アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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河合隼雄が「場の倫理」と呼んでいるものは、今も昔も、日本人の根っこに存在する。

「場の倫理」は、7月17日の記事で取りあげた、「母性原理」(言い換えれば「ベタ塗り」原理)に基づいている。

母性原理に基づく倫理観は、母の膝という場の中に存在する子どもたちの絶対的平等に価値をおくものである。それは換言すれば、与えられた「場」の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与えるものである。
(『母性社会日本の病理』)

「与えられた「場」の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与える」ことによって、恩恵を受ける面があることは否定しないが、平衡状態の維持とは、コピーを繰り返すようなものだから、時間と共に劣化していくのもまた、日本の現実と思われる。

「場の倫理」が悪く作用して最も弊害を生んでいるのは、「責任」の問題でだろう。
「責任」の問題を克服できないかぎり、日本は資産バブルは起こせても、社会としての再生は遠い。
(というか、行き着く先は、縮小コピーの挙げ句の無理心中だと思えて、私は最近悲観的だ。
当人達は自覚してないだろうが、無理心中したがっている人は、えてして声が大きい・・・。)

「場の倫理」というのは奇っ怪なもので、「責任が全体にかかってくるので、被害者もその責任の一端を担うことが必要となる」(p25)。
そうすると、責任の所在は限りなく曖昧になり。「日本人の無責任性」と批判を受ける事態が生じるのも、肯ける。

「賽の河原」などというのは、日本の俗信であるから、苛酷な「場の倫理」の代表例として見ることが出来る。
親に先立った幼子が「親不孝」の報いとして鬼に責められるという、恐ろしくグロテスクな信仰。(^_^;)
これは、さすがに平成の世では忘れられただろうが、そういう信仰を長らく保った心性までは、なかなか変わらないだろう。

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日本人がどんどん減少していく中で、遂にリセットとならないためには、意識的にきちんと線引きしていく態度が必要ではないか。
「個」が「個」として自立せず、「場」に依存しているままでは、必要な改革は出来ない。
(逆ギレする「女」のような「家父長」ではない、真の意味での「父性」原理を、模索することが必要だ。
「私は私、何がどうあっても私」、とはいかなる事態か?
「父」なるものとは、どういうものか?)

今問題となっている「体罰」についても、「影の補償性」という概念と「場の倫理」を合わせて、河合は大変鋭い指摘をしているが(p82-86)、個人の能力に応じてそれを生かす教育が出来ないという、日本の学校の不幸な事態についても、「場の倫理」が障害になっている事を明らかにしている(p86-89)。

「場」に依存した個人でしかないから、特定の学校とかクラスなどから外れることは「決定的敗北感」につながってしまう。
ただ、適性や能力の問題を「個人の責任において背負い処理」するためには、欧米的な「自我」が確立している必要がある。
日本では、「個」の尊重という事が、しばしば自分勝手な自己主張と同義になってしまう。
まして、「個」や「自我」についての浅薄な理解を、声を大にして唱える勢力が勢いづいている。
そんな「個」の確立が難しい中で、単純に能力差の問題を持ち出すとどうなるか・・・。
「ある個人を簡単に場から外す」ことを正当化するだけという、排除の論理になりかねない。
河合隼雄の洞察は、「日教組」風の、底の浅い平等主義とはレベルの違うものである。

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キリスト教が分からない日本人が欧米人の「自我」を理解できるはずもなく、また、欧米人と違っていて当然で、しかし、グローバリズムの中で立ち回らざるを得ない以上、線引きする思考を諦めずにやっていくしかない。
神話の時代や戦前に憧憬を抱く人は、自分の頭の中だけでやっていて欲しい。
間違っても、「個」を退かせながら「自助」を唱える、都合の良いスローガンを受け入れてはいけない。
そういう破綻した主張は、破綻したものとして、切って捨てなければならない。


よく考えてみれば、上手く線を引けない人々が、劣化する「場」の中で、「自虐」に陥っているのである。
「○○は無かった」と、「自虐」から決別したがっている人は、残念ながら、彼等の意に反して「自虐」に縛られている人々なのだ。
この問題に就いては、もう少し考えて、私なりに確信が持てたら記事にしたい。

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[2013/08/05 20:30] | ユングを通して見る日本・「私」
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