アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
小説版『多重人格探偵サイコ』の第2巻「西園伸二の憂鬱」(2002年,講談社)では、童話やお伽噺の主人公を模倣した事件が、次々と起こる。

事件を起こすのは、精神科医・津葉蔵幸治(つばくら・こうじ)の患者達。
津葉蔵は、民話療法(患者達に童話をモチーフにした寸劇を演じさせる治療法)を施す医師として知られている、という設定だ。
しかし、「白雪姫」も、「アリとキリギリス」も、実は‘自己実現の物語’になっておらず、‘暗く救い難い欲望が横たわっている’だけのように、津葉蔵には思えてきた。
長い思案の末、津葉蔵は、暗い欲望に身をまかせて初めて患者達が癒やされる、という‘仮説’を実行に移した……。

何とも、救いようのない話だ……。

『木島日記』(2000年)では、喪失と思慕の甘ったるーい物語は、軽やかに茶化されていた。
おちゃらけた大塚英志の筆致が、慕わしいほどだ。

「いやーん、いけすかない」
(『木島日記』,第5話, ‘おかま’のドイツ人・ヘーガーの嬌声。www)

木島日記

しかし、『サイコ』では、シャイな少年、内田保(うちだ・たもつ)が、渋谷センター街の雑踏で日本刀を振り回す。
これは、2008年に秋葉原で起きた悲惨な通り魔事件を、予見しているかのようだ。

『サイコ』の漫画版を「有害図書」に指定して、18才未満から遠ざけるべきなのだろうか?
『サイコ』は、犯罪を誘発するだろうか?
逆じゃないか。無差別的怨恨がどんな風に生じるか、深く理解できる大人もいるのだという、希少なメッセージになり得るかもしれない。
(まあ、絵を見ていないから、柔らかい心が受け止められる範囲かどうか、分からないけれど。)

勿論、話の分かりそうなオタクがマスコミに一人や二人いるからと言って、それで苦痛から解放されるほど、現実は甘くなく。
『サイコ』も、理解の通路が一目で見えるほどには、単純な構造をしておらず。
『サイコ』の複雑な物語は、甘くない現実を知っている大塚の、屈折の反映にも見えて…。

いやーん、いけすかない!

西園伸二の憂鬱

“誰でもよかった”と、直接の加害者でない人間に刃を向けさせるような怨恨とは、因果律を認めさせない力が働いて起こる。
(あの、飼い犬を殺処分されたという恨みで、元官僚宅が襲われた事件。飼い犬を保健所に引き取らせたのは、犯人の家族だと報道されていたが。)
原因を直視させない力によって、無差別的に人間への恨みが発生する。

あらぬ方へ八つ当たりして、怨恨を晴らすやり方は。この期に及んで、自戒すべし。
かといって、恨みを内向させて、自分自身を破壊する行為も、やっぱり却下だ。
原因を作った張本人に、正当にやり返す。これは、因果律に則っているぶん、上の二つよりマシだ。
ただ、悪趣味で不毛だから、私はこれも却下する。
では、内に渦巻いている恨みを、どう解決すればいいのか?
原始的な‘刺激’に躍らされている人間について知悉し、まがまがしい力を消化してしまうこと。
私には今のところ、それ以外に、方法が見つからない。
その方法で、どこまで人が立ち直るか? 私が実験台だ。


人間について知悉しようとする時、次のような感覚は、不可欠に思われる。

死体にビデオカメラを向けたジャーナリストはその受け手の好奇心をただ代行するだけだ。カメラを向けられた瞬間、いかなる絶望も戦争も、多分、ホロコーストさえもポルノグラフィーとして加工される
(『多重人格探偵サイコ』--西園伸二の憂鬱,第4章)

津葉蔵の患者達が引き起こす凶行を、ビデオに収録してまわる渡久地菊夫(とぐち・きくお)。
凶行の実況中継をする、電波ジャックのDJ・純内聖人(すみうち・きよひと)。
ラジオから流れてくる絶望と呪詛を、‘ワイドショーの視聴者’よろしく、‘性的昂奮’を覚えながら、‘消費’する語り手、大江公彦(おおえ・きみひこ)。

『サイコ』にひしめいている、快楽主義のしもべ達。

いやーん、いけすかない!!

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小説版『多重人格探偵サイコ』
大塚英志の『木島日記』

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[2012/05/22 06:00] | 大塚英志の仕事
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