アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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先日、居酒屋で夕食をとったとき、ライム風味の酎ハイを飲んだ。
その酎ハイがどうも変で、アルコールが入ってないのではないか、と思われる代物だった。飲んでいるうちに酔ってきたので、焼酎は確かに入っていたのだと分かった。ただ、何というか、アルコールの味がしないのだった。
メニューの表紙にも、綴りの違う英単語がデカデカと印刷されていて、店全体も何とも変であった。

盆栽convert

それで私は、小樽の或るレストランでの出来事を思い出した。
壁際のテーブルで食事をしていると、店員が別の家族連れを、私の隣のテーブルに導いた。ホールはとても広く、他のほとんどのテーブルが空いているにもかかわらず。
私は何でだ?と思ったが、私のテーブルにくっ付くようにして据えてある席に案内された家族の側も、いくぶん怪訝そうな顔をしていた。遠くから見ると、その親子4人連れと私たち夫婦は、1つのグループみたいに見えただろう。ともかく、2つのグループは、あからさまに席を変えてくれとも言えず、お互いに遠慮しながら大人しく食事をしていた。
親子連れのうち中年の母親は、3歳くらいの男の子に何か促すようなことを言う以外は、黙々と食べている。その男の子は、食べることより遊ぶことの方に気を引かれている様子だった。
そのうち、サラリーマン風の父親が、明るいはっきりした声で「うん、美味しい」と言った。

枝

少しの間、皆、黙っていた。バイキング形式の大皿から取ってきた料理は、どれもこれも、美味しいとはとても言えないものだった。辛すぎるとか、甘すぎるとか、脂っこいとか、そういう事ではなくて、どう言っていいか分からない類いのマズさだった。それで、その父親だけが、屈託のなさそうな勇ましいような様子で、パクパク食べているのが、一群から浮いた形になっていた。
その時、小学校4,5年生くらいの娘が、「味がない」とポツリと言ったのである。私はハッとした。まさにそのとおりだった。肉も、魚も、野菜も、その素材の味が全くと言っていい程なかった。父親はというと、娘のつぶやきが聞こえなかったという風に、相変わらず快活そうに、そのマズい料理をパクついている。おそらく、その父親は子供たちに手本を示すべく、快活さを自分に命じていたのだろう。一家の長として普段から、食べ物の事で文句を言ってはいけない、という風に子供に教育しているのではないか。それをよく知っている妻も、内心の不満を表に出さないようにしているらしかった。私は、その父親は良い親だと思った。そして、それ以上に、小学生の娘の、理解力・表現力に感心したのである。
その店を出てから、夫も、「あれだけ不味く作るのは難しいのではないか」と首をかしげ、それにしても「味がない」とは的確だと言った。私は、自分が日常的に食材を扱っている経験から、「冷凍と解凍を繰り返したりすると、衛生上は問題なくても、食材の味は格段に落ちるから」というような意見を言ってみた。要するに、あの不味さは、料理法の問題ではなく、良くない食材を使っている事に原因があると思う。

札幌の青空1

そして先日、焼酎の“味がない”酎ハイを飲みながら、小樽での少女の事を思い出した。私は、その少女と同年代だった頃の、子供時代の自分を、見直してやるべきかな、と思った。
子供の頃の私は、恒星の死に惹かれたり、ノストラダムスの大予言が気になって仕方がなかったりした。が、果たして“世界の終わり”を期待していたか? 密かに終末を待望していたと解釈するのは、大人になった自分の“荒廃”ではないか? 確かに、子供の私は、未来の破局にオノノイていたのだけれど、それは歓びからだとも言えるし、悲しみからだとも、畏れからだとも、どのようにでも言える性質の事だろう。
遠藤周作も短篇「雲仙」のなかで、こう書いている。
小説を書きだして十年彼はすべての人間の行為の中にエゴイズムや虚栄心などを見つけようとする近代文学が段々、嫌いになってきた」。エゴや虚栄心を除いた後の「残余の動機こそ、人間にとって、大切なものではないのか」と。
私は、子供なりに、恒星の生き死になどに心を惹かれながら、それを思うことで、生きようとしていた。そういう心の動きについて、性急に断罪せず、よく考えてみるべきなのだろう。私は、生きようとしていたのだから。


小樽では、食べ物の恨みは残ったが、街歩きは面白かった。小樽文学館では、小林多喜二のデスマスクに触れて、その顔の小ささに驚いたり、伊藤整の‘回転する資料棚’をギイギイまわしてみたりした。
やっと伊藤整だ。この文章のタイトルは、「伊藤整の青春(1)」だった。

黒雲1


伊藤整は、大正15年に最初の詩集『雪明りの路』を自費出版した。出来上がった詩集を百人程の詩人たちに贈った後で伊藤は、突然、自分の詩集がどういう風に詩人たちに読まれているかを想像し、後悔の念に襲われている。

「私は、ああっ、と叫び出したいような居たたまらぬ恥ずかしさを感じた。今それを感じたって、どうにも取り返しようのないことであった。消えてなくなれ、というような言葉が自分の口から出そうなのを、私は我慢した。」
(『若い詩人の肖像』昭和31年)

伊藤整は、一見優雅そうに見えて、このように実はジタバタジタバタしている。「消えてなくなれ」って…。その必死の抵抗ぶりが、面白い。



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[2011/08/21 00:22] | 伊藤整をめぐる冒険
[tag] 子供の知性 終末思想 原理主義
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