アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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北海道拓殖銀行小樽支店に勤めていた小林多喜二が左翼運動をしているという漠然とした噂は、当時、伊藤整の耳にも入っていた。

しかし小林が、小作地の争議を応援するという、銀行員としての地位を危うくする行動をしていた事は、当時の伊藤は知らなかったという。また、小林が「売笑の巷にいる女性」(田口タキ)に近づいてそれを救おうとしたが、解決できずに苦しんでいたことも、何も知らなかったらしい。
それで伊藤は、「小林はプロレタリア文学の潮に乗ろうとしているのだ、と彼の動きを文学的野心としてのみ考えていた」、と書いている。(『若い詩人の肖像』)

だが、小林を実際運動にまで駆り立てたのは、「文学的野心」だけではなく、「魂」の問題だったと、後になって伊藤は気付いたわけである。

「小林は社会的怨恨の感情というものを深く心の中に持って育った魂であったのだろう。」
(『若い詩人の肖像』)

伊藤整が1歳の頃(明治39年)、その一家は小樽近郊にある塩谷村に移った。村民の多くは貧しく、米も麦もなくて蕎麦かきで食事をするような友人の家の生活を見て、伊藤は育っている。ただ、小林の「少年時代から叔父のパン工場で働きながら通学したという経歴」と、伊藤自身の境遇とは縁遠いものだった。
「要するに私は、軍人恩給を持つ村役場吏員の子であった。私の父は常に多少でもその人たちを助けてやる立場にいた。私は、あんな風でなくてよかったと思い、また自分は漁夫や農夫と違う、という小さな優越感を持って育った。」

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『若い詩人の肖像』には、当時の小樽市内に私娼窟がいくつもあったことが書かれている。若い伊藤整は、面白半分にそれらの私娼窟を歩き回り、女たちとふざけたりしたという。
田口タキを救い出そうとした多喜二とは対照的な態度である。

「もし私が私娼にかかずらわり、その女性の中にちゃんとした人間を見出すことがあったとしても、私は小林のようにその女性の救済に身を入れることはできなかった。」

伊藤整の多喜二に対するコンプレックスが最大限に膨れあがるのは、伊藤が実際運動に関わらなかったという事に加えて、人間性の問題が意識された時なのだろう。
遠藤周作はこう言っている。
「我々の人生には、その人の純粋さを考えれば、自分の賤しさに心が痛むというような誰かに時としてめぐりあうことがある。」(『イエスの生涯』)

純な人だったらしい、小林多喜二。多喜二が借金してまで田口タキを身請けしたのは、竹内結子風の美人であったタキに惚れたから、といった単純なことだけではなかったように思う。
多喜二がタキに宛てた手紙には、こんなことが書かれていた。

「どこに「自分のようなものなんか…」と云う必要がある。そんな事は絶対にないのだ。いいかい。」
(小林多喜二書簡 1927年2月 田口瀧子宛)

多喜二は、タキが自分を卑下するのを止めてもらいたかったという事。身請けして、彼女を従属させたいのではない。私娼の境遇から解放し、次には人間としての解放を考えていた。

蹄鉄付け2

しかし、私は人のコンプレックスをあおりたくはない。
他人の為にどこまで自分の身を削れるか。
中野重治は、獄から出るにあたって共産党を捨てた。戦前の警察という密室の中で本当のところは知りようもないと思うが、多喜二の頭には、‘転向’という事が全くよぎらなかったのだろうか。
イエス・キリストは‘人’ではないのかもしれないが、小説家は‘人’だから、追いつめられれば保身を図りたくもなるだろう。
‘人’が‘人’のままでいられなくなる幻想も、今さらどんなものか。
その幻想のために、これまで散々な目に遭ってきただろうに。


伊藤整の今日的な価値というのは、幻想に流れそうになる弱さを周到に抑えながら、文学として成り立っている点にあるのだと思う。
政治と文学という問題に関連してあげるなら、少し長いが次の詩だろうか。
2連目には、無遠慮さと細やかな情とが同居した、伊藤らしい表現が見られる。

雄鶏が啼きやんで羽搏きをする。
七月の緑とアカシアの白い花をつけた道を
行商の洋傘が下りて来るでもなく
村はただ忘れられて眠ってゐる。
砂丘を越えた所では 海がのつたりと静まり
魚等も人気ない岩陰を出入りするだけだ。
喧嘩の強い青年たちはみな街へ行つて、
髪の毛を長くし ナツパ服に油を滲ませ
大建築にたかる虱のように
女等の胸を悪くしてゐる。

意気地のない向ひの総領息子だけが
母親のいとしいばかりに
畑でピカピカ鋤を光らしてゐるのだ。
そして巴旦杏みたいな少女たちは
思ふことも言はぬうちに売られて行つて
何処かの売春窟を出て来る頃は
紙のやうに魂がなくなり、
行き倒れて慈恵院で死んでしまふ。
考へて甘い故郷なんか嘘だ。
頼り合ふには誰も彼も疲れ果てゝゐる。
私なんか子供みたいな日向の老人を相手に
何時来るかも解らぬ世のことを語つたりしてゐるが
明日にでも売つた家は空けねばならないから
見も知らぬ街で わびしい人の二階を借り
たつた一つの若さを せつせと摺りへらして働くのはいゝとしても
それで父が心にかけた弟たちを
暖くし 飢ゑさせずに行ける見込もつかないのだ。
あゝ何かしら のしかゝる灰色の怪物があつて
私たちを田園故郷から追ひ
遂には生きて行けない世の果てまで追ひつめるのだ。

(「田園故郷を失ふ」『冬夜』所収)

伊藤整は、政治からの文学の自律にこだわる方向を選んだ。(それは、多喜二的なものに脅かされ続ける事につながった。)自分のこの詩について、次のように説明している。
「私は、この詩法の方向へもう一歩行けば、プロレタリア詩の形になるのを感じた。そしてそうなりそうな叙述を辛くも叙情の衣で包んで引きとめたのを知った。そして私は、こんな題材に引っかかったら、詩を書けなくなると思った。」
(『若い詩人の肖像』)

「叙情の衣」で包んでいるというものの、「考へて甘い故郷なんか嘘だ」と言い切るあたり、伊藤整は甘くないのだ。田口タキも伊藤の幼友達である娘も、彼女らの故郷で、私娼として売られた。
現代人が地縁血縁を離れ、根無し草的である事を、色んな問題の根源であるかのように言いたがる人々がいる。
しかし、「考へて甘い故郷なんか」、それこそ幻想だと思う。

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[2011/10/11 00:30] | 伊藤整をめぐる冒険
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