アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
父親危篤との知らせを受けた伊藤整は、その頃、小樽の中学教師を辞めて東京商大に通っていた。
『若い詩人の肖像』によると、伊藤は帰郷するため、上野から小樽へ向かう夜汽車に乗った。昭和3年、伊藤が23歳の時である。

木道

途中の仙台で乗り込んできた3人連れの客が、伊藤の前と隣の席に座った。僧侶じみた口ひげのある男は、「新興宗教の教理のようなこと」を喋りだした。
男は、信者である2人の中年女と周囲の乗客達に向けて、「死者の霊」と遺族の関わりについて「ことさら声を高くして」話している。肉親が死んだ時に遺族が死者の霊をどう感じたか、とか、悪い人間が死者の霊に導かれて改心した、とかいう話である。

木道カラーネガ

「その本来の素直な心の働きに目覚めるとですよ、自分の父、自分の母、自分の兄弟というものの愛情なしでは、人間は一日も生きて行けないことが分かります。その人が死んでごらんなさい。どんなにその人が自分にとって大切な人であったか、それが分かって来ます。死んでしまってから分かるというのが馬鹿の特徴です。」
(『若い詩人の肖像』 7「詩人たちとの出会い」)

説教師がこう言ったとき伊藤は突然、自分の父が死にかけていること、自分の息子に愛された記憶を持たずに父が死ぬことを思い、泣き出してしまう。説教師は自分の「説教の効果を覚った」様子で、声を高めて言った。
「人というものは、みな善心を持っているもので、よい話を聞けばよい心が動くものです。私どもは、何の説明を聞かなくても、人が何を苦しんでいるかが、顔を見ただけで分かります。」

木道エンボス

伊藤は、自分がこの男の説教によって自分が改心したと思われていることに、「居たたまれない屈辱感」を抱く。

私は自分自身の心の動きで泣き出したのだ。私の心の破れ目が、この男の話で刺戟されたのは事実である。しかしその働きは、本来の私のものだ。父親というものを生理的に忌み嫌う青年の苦しさなんかお前に分かるものか、と私は思った。
私は涙の溢れている目で、その説教師に向かって言った。
「私のことは何もあなたの話とは、なんの関係もありません。私に構わないでください」

(『若い詩人の肖像』 7「詩人たちとの出会い」)

それに対して説教師は、「強情な人には、中々お救いが下らないものですからね」と言ってから黙った。

私は小説を読み返してみて、伊藤が書いている説教師の言葉が、ある宗教団体の言葉に酷似しているので、ナイーブではあるが、かなりショックを受けた。それらの言葉は、幼かった頃から大人になっても、私の耳にねじ込まれ続けた。(その宗教団体からは、数年前にやっと離脱できた)。

木道ソラリ

『若い詩人の肖像』は昭和31年の出版。伊藤が50歳を過ぎての作品であるから、23歳当時の体験をそのまま書いているとは限らない。実際‘文学研究’の領域では、『若い詩人の肖像』には様々な虚構があることが明らかにされている。
しかし、『若い詩人の肖像』に対する私の興味は、‘老境’にある人間が過ぎ去った‘青春’を結晶化した、その出来上がった姿に向かっている。だから、作中の説教師の言葉が、昭和初年代のものか、昭和30年頃のものかを、調べてみたいとは思わない。

それよりも、私には、「型どおりの偽善的な説教の形式」というのは何時までもしぶとく生き延びるのかもしれない、と思えて、どうも心穏やかになれない。
明治・大正の昔から、私が幼少期を過ごした昭和40年代、そして平成23年の今も、日本の何処かで、弱い立場の者を叱りつけるこんな声が響いているようで…。


霊界が許さないんだッ! 霊界に対して素直になりなさい。強情な人間には霊界のお手配はないよッ。

伊藤は作中で、説教師の話し方についてこう言っている。
「その話し方には、一度耳を傾けたものの心の弱い所を掴み、引きずりまわし、自分の膝下に引き据えてしまうような奇妙な力があった。」
そう。その類の人間の言葉には、奇妙な力がある。

私が信仰を強要されていた団体では、大会衆を前にした幹部の話しぶりは、声が高いどころの騒ぎではなかった。
まるでヒトラーの演説のようだった。天を、会衆の誰かを、指さしながら、マイクを前に何かに噛み付くようにしゃべっているので、その声は常に潰れていた。
でも、人間にとって本当に大切で、意味のある言葉なら、「ことさら声を高くして」話さなくても、ささやくような声でも人の耳に入るのではないか、と私は思っている。

木道ー魚眼

ところで伊藤整は、小樽で中学の教師をしていた時も、酒宴で意地の悪いことを同僚に言われて泣き出したことがあったらしい。(これも事実か虚構かは、私は知らない。)
「私には、ある簡単な言葉で突かれると自己を抑えられなくなる泣き所があるらしかった。一体それは何だろう。二度とも、自分が軽蔑している人間の単純な言葉使いで私は自己抑制を失ったのだ。」
(『若い詩人の肖像』)

そして私は、伊藤整の次のような言葉に、今や忘れ去られそうなこの作家の、‘批評家の魂’と言うべきものを見つけて、身震いするのである。

「単純な嘲弄に、それから型どおりの偽善的な説教の形式に、そういうものに私は破られたのだ。それを考えて見よう。泣き出すなどということは、案外機械的な単純なことなのかも知れない。少くとも私の経験では、泣くということは、本当の苦しみや本当の感動とは関係がなかった。それはある特定の場所に鍵を差し込まれると、涙の溜っていた室の扉がかちりと開くのに似ていた。それを考えて見よう。それが分らなければ自分が文学をやっているのは何のためだか分からなくなる、と私は思った。」
(『若い詩人の肖像』)

猫柳

私の経験においても、「泣くということは、本当の苦しみや本当の感動とは関係がな」い、という事は多々あった。

私の養育者は、鶴田浩二の歌う「明日はお発ちか」をレコードでかけては、私が泣き出すのを期待した。なんとも悪趣味な行為だが、それが戦死者への供養になるのだとか言われたので、私は拒否することが出来なかった。残念ながら私は、自分が悪者にされるのを避けようとする、甘ったれだったらしい。
すっかり覚えてしまうほど聴かされて、その度に私は思ったものだ。確かに戦死者も遺族も気の毒だが、その‘銃後の歌’の一種間の抜けたところ、お気楽さにはゲンナリする。こんな歌が本当に、戦時に人気があったのか? と。
つまり、私の涙は、私の「本当の苦しみや本当の感動とは関係がなかった」のである。
「船酔いせぬか 嵐は来ぬか」って…。そんなヤワな事じゃない、鉄砲の弾や爆弾が飛んでくる所へ、家の大事な男達を送り出すんだよな、と。
(「明日はお発ちか」の歌詞とメロディーは下記のサイトでどうぞ)
http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/asuwaotachika.html

伊藤整に戻ろう。伊藤は、自分を破ったものは何か、考えて見ようと言いながら、『若い詩人の肖像』を次の言葉で結んでいる。

「自分の心の内側の働きはまだオレに分っていない。そこには闇に閉じこめられた複雑な機械のようなものがある。」「そこをのぞいて見るのは怖ろしいことで、今のオレには出来そうもない、と私は思った。」

その後、中年期・老年期の伊藤が、「自分を破ったもの」の正体を見たのかどうか?
思い出せない。未読の作品も結構あるし…。なんとも覚束ない。

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[2011/09/19 00:10] | 伊藤整をめぐる冒険
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