アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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こんな私ですが、自分はどうやら相当にエキセントリックで偏狭な人間らしい、と気付いてはいるのです。

まっとうな人間である私の夫と夫の家族に出会って、ごく普通の日常が如何なるものかを知って驚いたのが、既にオバサンになってから…。
それまで知りませんでした。人を呪う言葉を2、3日に1度も聞かないで済む、日常、というものを。
私は、呪詛が飛び交う「お祭り」、非日常の中で育ったようなものです。
「どうしてそう、ゼロか100か思考なんだ!」と夫から散々叱られましたが、三つ子の魂百までと言うように、染みついたものを落としきるには、もう暫く時間がかかりそうです。

現在進行形の問題が過去になれば、いま許しがたく思うことも許せるんだろうと思います。
やっぱり、渦中にあっては、どうも難しいです。
というか、食われるんですよ。こっちが許したと見るやいなや。
これまでずっと、その繰り返しでしたから。
許して犠牲になって、逃げるべきか食われるべきか決断できず、過呼吸発作を起こして心身が硬直して、精神科へ搬送されてベンゾジアゼピンだのパキシルだのを飲まされて…。離脱症状で路上で失神して。
「親子じゃないか」と頭を撫でられ抱きつかれて、元の木阿弥…。
結構崖っぷちですよ。本当に危なかったんですから。

これを何十年と繰り返して、「もう嫌だ!生きている間は決して許さない」という所へ至ったのでした…。

で、ここ2、3か月焦燥心が昂じて「奇行」に走り、心配して下さる人の意見を読んでいて、ふと思ったのです。
あの妖術使いの魔女達よりも、私が先に死んだらどうなるんだろ?!(爆)
笑っている場合じゃないです。あり得ます。
なんせ、相手は魔女なので。
私や弟を見る目が、視線はこっちを見ているのにガラス玉みたいで、要は自分自身の内側にしか向かってない、対象を見てない目なんです。

やっぱり、イエス・キリストは人であって人ではないんだと思います。
私は、食われぬよう相手を拒否し、なおかつ許すように、努めるべきなのでしょう。
曲芸のようですが、今ならば、不可能でもない気がします。

幸い今の私は、不眠症でさえありません。
毎日のように美味しい道産の小麦や野菜を食べて、風雪をしのぐ住居に住んで。
何より、何の利益ももたらさないばかりか、こんなひどい迷惑をかけている私を、許容してくれている夫と夫の家族がいて。友達もいて。
せめて私は、もしかして悔しいのかもしれない夫の両親の心を、慮っていこうとおもいます。ひょっとすると悔しいのかもしれない夫の心も(爆)。
何の利益ももたらさないものを、損得勘定ではなく受け入れる行為。
私の血族にはそういう大きな人間がおらず、あの魔女達を許容してくれる大人は唯の一人もいなかったようです。それで、彼らは子を食うようになった…。
あっ、大丈夫です。私は犠牲の子羊になれる器ではないですから。噛み付かれたら、本能的に逆襲する人間ですから。


こちらへ移住して何年目だったか、家の中で、誰が褒めてくれるわけでもない掃除をしながら、額のあたりに何処かから光が射すような気がして(そんな気がしただけなんですけどね)、何故か、自由、という言葉が心に浮かびました。

それまで思っていた自由のイメージとは全く違ったものでしたが、魔女が栄えようが滅びようが、私は私として生きて、ただ、その自由を自分のものにしたいと思います。

「グレートマザー」と「賢老人」のことを教えてくれたユングは、私の精神の父ですが、対極にあるグレートマザーと賢老人は、地下深くで繋がっていると、言っていたようないなかったような…。

これからまた例の「売文」をやらねばならないので、ブログは2~3週お留守にします。
有り難う。ご機嫌よう。

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[2014/06/18 18:17] | ユングを通して見る日本・「私」
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伝道者の書
ちやこ
許すことなんてそうそう出来ることではありません。
出来ないことを出来たからイエス様は神様の子であったわけですもの。
いいのではないでしょうか急がなくて。

赦すにも時があります。
すべてに「時」があるのですから、大丈夫。
いまは、いまの時です。



Re: 伝道者の書
小谷予志銘
ちやこさんへ

コメントありがとうございます。

時間は無償の賜物なんでしょうか。フツーの人間は「いまは、いまの時」を生きる。

イエスは人であって人でないということを、以前は全く意味不明だと思っていましたが、最近はほんのちょっと、分かる、ような、気がします。

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この記事へのコメント:
伝道者の書
許すことなんてそうそう出来ることではありません。
出来ないことを出来たからイエス様は神様の子であったわけですもの。
いいのではないでしょうか急がなくて。

赦すにも時があります。
すべてに「時」があるのですから、大丈夫。
いまは、いまの時です。

2014/06/18(Wed) 22:16 | URL  | ちやこ #mQop/nM.[ 編集]
Re: 伝道者の書
ちやこさんへ

コメントありがとうございます。

時間は無償の賜物なんでしょうか。フツーの人間は「いまは、いまの時」を生きる。

イエスは人であって人でないということを、以前は全く意味不明だと思っていましたが、最近はほんのちょっと、分かる、ような、気がします。
2014/06/19(Thu) 09:55 | URL  | 小谷予志銘 #-[ 編集]
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