アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
「憲法9条」を保持する日本国民にノーベル平和賞を」という過去記事を書いた一人として、ずっとモヤモヤしている。記事を書いた責任上、ノーベル平和賞署名活動について、改めて私の考えを述べたい。

これも過去記事(「右」か「左」か?「全体主義」か?)に書いたことだが、結局、その「日本人」とか「日本国民」とかいうのは、個々の「実体」と必ずしも合致しない「観念」的な存在でしかない。
積極的に9条を破棄したいと考えている「日本人」も少なからずいるのだから、もし本当にノーベル平和賞が授与されるとなれば、「実体」としての彼らは、ひどく反発するだろう。
9条や日米安保について特に考えてこなかったという人は、迷惑がるかもしれない。
世論を二分三分し、せっかくの「賞」は宙に浮くかもしれない。

「日本人」「日本国民」へ授与というのが、そもそも可能なのか?可能だとすればどんな意味をもつのか?という疑問を持ったまま、私は見切り発車のように【拡散】を呼びかけたし、今もやっぱり疑問は解消していない。
仮に授与されるとして、おそらく、平和賞を受賞するのは「観念」としての「日本人」という「???」な事態にならざるを得ない、と今のところ考えている。

ノーベル平和賞は、ノーベル賞の他の各賞と比べて、もともと非常に「観念」的で、それだけに「理想」や「理念」と直結している。
「理想」や「理念」が伴えば、平和賞を「政治」的に利用しようという思惑を、完全に排除することは出来ないだろう。
鷹巣直美さんが署名活動を発案したのも、それが「政治」的な行為だと承知の上で、むしろ「政治」的な駆け引きに「ただの人」が割って入ろうとしているのだ、と言ってよい。
そういう意図に対して、賛否両論が起こらない方が変だ。
たぶん、私も含めて多くの人は、この署名活動を未だ消化できないでいるのだろう。

平和賞の対象は、その時点で軍事力を排除しているかどうか、だけにとどまらず、マイノリティーの権利拡大といった「人権擁護」での功績にも及んでいる。
受賞には至らなかったが、パキスタンの少女マララさんが女子教育の権利を訴えたのも、そういう活動が平和を実現する為の一つの階梯として意味づけられるからだ。
平和の実現と「人権擁護」は、切っても切れない関係にある。
色んな人権侵害が起こっている中で、戦争状態に巻き込まれることは、最も苛烈な「人権侵害」だ。
また、「人権侵害」が有るところに、紛争の火種も生じる。

日米安保の傘の下にある日本では憲法9条が実現されていないのに、「日本人」が受賞なんておかしい、という見方は極めて真っ当なものだ。
→→「憲法9条にノーベル平和賞を」(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
ただ、憲法9条の存在によって、戦後の日本人は、朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、などアメリカが引き起こした戦争に日本人を送り込まなかった。「日本兵」は、一人も死傷してないし現地の人を殺してもいない。
方や、「集団的自衛権」を行使した韓国は、ベトナム戦争で5千人もの韓国兵を死なせている。
憲法9条は、これらの戦争で生じていたかもしれない「人権侵害」を、防ぐ役割は果たした。これを過小評価できるだろうか?
そして今後、安倍政権によって「集団的自衛権」が行使されようとしている。

憲法9条は、平和の実現のために限定的にせよ役割を果たしてきたし、まだその「途上」にあるにもかかわらず、大きな危機に直面している。
9条を巡るこの状況に対し、「理想」や「政治」的駆け引きを持ち込もうとする人々がいて、それを周辺から「評価」する人々がいる。また、「評価」さえしない人々もいる。
そういうことじゃないだろうか?


「理想」とは、「恥ずかしい」ものである。
「日本人」は、羞恥を覚えて「理想」と距離を置きたがる。「理想」をかかげる人も、「理想」のウソをあげつらう人も、困っている誰かを置き去りにしがちだ。
そんな「恥ずかしい」「理想」に関わらずやって来られた時代だったのかもしれない。しかし、それはもう終わったと、早く気付いた方がいい。
日本を「理想」の国家にしたがっている総理大臣が出てきて、嫌がる国民に「恥ずかしい」「理想」を呑め、と迫っているのだから。
安倍総理は、良くも悪くも、状況を一変させる才能だけは持っている様だ。

「日本人」が「理想」を苦手としているだけに、「日本という国は何にも変わっていない」と言われる様な、相変わらずな状態を引き摺っている。
そこへ、「理想」と「理想」の競り合いという、多くの日本人に未経験の試練を持ち出してきたのが、安倍総理なんだろう。

総理の「理想」は呑めないと思っている人は、ノルウェーへの署名に協力したらどうだろう。
ノルウェーの委員会が、未だかつてなかった要望をどう消化するか見ることに意義はあるし、海外も巻き込むよう一石を投じることができる。もっと良いアイディアが、出てくるかもしれない。
「日本人」が決して一枚岩ではないということも、知ってもらえる。

総理が仕掛けてきた「理想」と「理想」の競り合いとは、言い換えれば、欧米が犠牲を払って掴んだ「普遍的価値」を「日本人」がどう扱うのか、という問題なのだから、簡単に片付くはずがない。
まず、大きなところへ、押しつけがましく人を巻き込むこと。そういう「日本人」がやったことのないことから、まず始める必要があるんだろう。

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[2014/01/28 19:09] | 右翼・戦争・カルト
トラックバック:(2) |

拝読いたしました
村野瀬玲奈
私の記事(?)への言及をいただきましてありがとうございます。読ませていただきましたが、これを機会に多くの人が、今まで漫然と考えていたことを見直すきっかけになればいいと思うのです。

自分の記事には明記はしませんでしたが、署名をしたい人はすればいいし、したくない人はしなくてもよいと思います。私は署名をする人にあのやねごんさんのツイートを見せることはしても、「署名をしてはいけない」と言おうとは思いません。

今後ともよろしくお願いいたします。

「「憲法9条」を保持する日本国民にノーベル平和賞を」について・・・
YOUのつぶやきです!
タイトルについては、?って思う部分もあります。日本人に対して、ノーベル平和賞!とは思っていません。記事に書かれている通り、色々な日本人がいるからです。ただ、現在の「憲法9条」に対しては「ノーベル平和賞」が送られるのなら、誰も文句が出ないと思います。(そんな事が出来るのかどうかは私はしりませんが・・・)私自身、今の世の中が好きではありません。戦後先進国で戦争をしていない国が日本とあと1〜2国?では無かったでしょうか?基本どの国も自分の利権の為のにみ動いています。国民の意思とは無関係に・・・しかも、国を越える利権の為、国単位で語る事が出来ない状況です。ぐだぐだ言ってもしかたありませんが、憲法9条にノーベル平和賞が送られるのなら、それに越した事はありません。憲法9条を作ったのが日本国民ではありませんし、守ってきたのも日本国民ではなく、法律だから従っていたまでです。日本国民をノーベル平和賞にするのは違っていると思います。が、とにかく憲法9条が絡みノーベル平和賞が送られるのな世界的に何か違う動きが出ればと思ったため賛同しました。実際に送られたらいいなぁ。レベルです。ただ、ノーベル賞の背景を考えると受賞は無いのではないでしょうか?と思われます。そんなに簡単なものではありませんし、現実、オバマさんが受賞していますが、戦争をしています。私は理想として応援していますので、頑張ってくださいね。では、

Re: 拝読いたしました
小谷予志銘
村野瀬玲奈さんへ

村野さんが「署名をしてはいけない」とおっしゃっているのではない事、分かっているつもりです。

私はツイッターをフォローするところまで出来てないので、価値の有るツイートをブログで取りあげる試みには、ずいぶん助けられています。
やねごんさんのあのツイートを、村野さんがピックアップしてきたのは、まさに「直球ど真ん中」でした。
私のアタマの中で、固まりがピキッと割れました。それで、停滞していた考えが、動きだしました。

署名一つにしても、考えが進み納得できなければ、不可能ですから。
あの活動が進展していくには、見直しに継ぐ見直しが必要だと、私も思っています。

これからも、次々と球を投げて下さい。どうぞよろしくお願いします。

Re: 「「憲法9条」を保持する日本国民にノーベル平和賞を」について・・・
小谷予志銘
YOUのつぶやきさんへ

「基本どの国も自分の利権の為のにみ動いています。国民の意思とは無関係に・・・しかも、国を越える利権の為、国単位で語る事が出来ない状況です。」

そうですね。国民の意思と無関係に事がどんどん進んでいる、最も酷い国の一つが今の日本でしょうね。
安倍自民や「みんなの党」などは、日本人を「アメリカの鉄砲玉」にしようとし、おまけに、その政策を日本人に賞賛させようとしているのですね。

この奇っ怪な局面で、日本の「民主主義」が進化しなかったら、いつ進化するのか?と思います。みんな、心ある人はそう思っているでしょう。

「とにかく憲法9条が絡みノーベル平和賞が送られる」
そうなれば、「国を超える利権」に「理想」がはむかうことになる。
そのために、署名活動は「日本国民」という所を、乗りこえる必要がありそうですね。


ノーベル平和賞の件について
MNG
ごめんください。
TBありがとうございます。

当方山陰の、一票の価値が日本一の田舎に住んでますので、東京新聞でどのように書かれていたかは分からないのですが、天木直人氏のブログを読んで、これはなかなかやるなと思って紹介させていただきました。

彼女の行動はやはり注目を集めているようで、週刊金曜日の今週号に彼女のインタビューがありました。

「わたしと憲法シリーズ」
http://www.kinyobi.co.jp/news/wp-content/uploads/2014/01/140124-003trim.pdf

彼女は留学経験もあり、紛争地出身者との交流から憲法9条の重みを実感したそうです。

もともとノーベル平和賞自体、佐藤栄作が受賞したように、かなり政治的な性格を持っていますが、安倍政権のもとで9条の空文化・改憲の動きが進む中、ひとつの手段としてノーベル賞を利用するくらいの気持ちでやるのもいいんじゃないかなどと思っています。

Re: ノーベル平和賞の件について
小谷予志銘
MNGさんへ

そうですね。政治的手段として利用するという、割切りですね。
それにしても、「日本国民」というのが、「抽象」度が高い点、気になります。
ともかく委員会の判断を待って、場合によっては「9条の会」のような、より具体的な対象を考えた方が、反発がなくていいかもと思います。
牽制効果なら、同じかもしれないです。

国連人権高等弁務官もツワネ原則も、ものともしない政治家たちですから。日本人の一人として返上するとか、拒否するとか、言い出しかねないですから。

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