アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
私は、職場にいた時、セクシャル・ハラスメント対策委員というのを、やらされていたことがある。
今とちがって当時まだ、ハラスメントという言葉さえ広まってなかったし、鬱陶しく気の重い役目だった。職場で啓発活動や研修会をやらねばならなかったこともあり、かなりきつい思いをした。

セクハラというのは、男性の上司が女性の部下に抱きつく、といった単純なものだけはない。
女性の上司が、男性の部下をマスコットのように「可愛がる」のも、逆に「男のくせに・・・」とか言って小馬鹿にするのも、部下の男性側が苦痛を覚え侵害されたと感じるなら、セクハラとなる。

セクハラがあったとき、調停役は第一に、被害を受けたと感じている側に寄り添って、その言い分を受け止める必要がある。
むろん、「相手に濡れ衣を着せようとしている」のではないか、と留意もする。
困ったことに、ハラスメントでは、その性質上、確たる「証拠」がないケースも多い。
しかし、セクハラに限らず、被害を受けたと訴えている側に立つ事を原則としなければ、誰からも救助されない人を見捨てることになってしまう。
二次被害を受けるかもしれないのに、訴え出ているのだ。
「証拠」がなければ訴えを退ける、で本当に済ませていいのか?
濡れ衣が横行すれば、人間の心は根っこからジワジワと損壊する。
同じように、「証拠」がない、と見捨てる行為も、人間の心を知らぬ間に損壊させる。
ならば、「対話」を試みるしかない。


そこで、調停役は、加害者に申し入れる。
「$!×△&%#△、という訴えがありました。私どもは、○○さんからの聞き取りをもとに、和解を提案します。被害者に謝って下さい。そして、同様のことを繰り返さないで下さい」とか。

そう言われた加害者は、しばしば驚いて、「自分は相手を傷つけるつもりはなかった」と言う。
実際、自分の言動について「無自覚」な加害者が多いのだろう。
「自覚」をうながされて、「申し訳なかった。今度のようなことは2度としません」と、すんなり言ってもらえる場合もある。そんな時、調停役は、加害者に感謝し、尊敬の念さえ覚えるものだ。
人事異動や懲戒が適当でないケースならば、「ご理解をいただきありがとうございました」と加害者に述べて、調停を終えたいくらいだ。

だが、厄介なことに、そうすんなりいかない場合もある。
加害者の側が、相手に損害を与えていることを、容易に認めることが出来ない。
邪魔しているのは、加害者の「自尊心」である。
「人を侵害したり圧迫したりしている、つまらないワタシ」という自己認識は、誰にとっても耐えがたいだろう。
「自尊心」を保てなくなるかもしれない、というのは、個人にとって大きな危機だ。

私だって、不用意に言った言葉が相手を傷つけたなんて指摘されたら、いたたまれなくなる。
あ~あぁ~。このボケ!クソ!カス!イヤだ~イヤだ~イヤだあぁぁ~。
と、心の中は、ワケの分からん叫び声でいっぱいになるだろう・・・。

それでも加害者が、「自尊心」の壁を乗りこえ、「つまらないワタシ」であることをいったん受け入れ、「つまらないワタシ」を克服していければ、明日はそのぶん改善される訳だ。

結局、最後に残る調停不可能なケースとは、加害者が「つまらないワタシ」であることを、絶対に受け入れない場合だ。
そういう人に対しては、臨床的支援、カウンセリングなどによる根気強いケアも必要になってくる。


長々とセクハラの話を書いたのは、ほかでもない。

セクハラの現場と、今の日本の政治状況とが、似ているから。
セクハラに限らず、ハラスメント体質を持つ人間がそれを「自覚」出来ないという事態は、職場といった小さな集団においても放置できない。
労働「環境」を悪化させ、生産性を低め、その組織を弱体化させるからだ。
そういう深刻な問題が、国という大きな集団で起こっているのが、今の(昔も)日本だから。
(12月26日、安倍総理、戦争指導者を合祀した靖国神社へ、公式参拝。(×_×))
そして、「インテリジェンス」(=「対話」する能力)が不可欠なのが、セクハラ救済の現場だから。
ハラスメントの被害者と加害者。その両方に生じる痛み・・・。
一方的・短絡的な態度から抜け出し、両方の痛みをケアしていく為にこそ、「知性」を研ぎ澄まそうとする人々もいる。
ソーシャルワーク(社会福祉援助技術)の分野などは、「インテリジェンス」の先端を行こうとしている。
確かに「知性」は万能ではないが、「丸腰」の人間には、最後の頼みである。

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安倍晋三と対話することは、やっぱり無理なのだろうか。

石原慎太郎・安倍晋三・橋下徹・・・。
報道によって知りうる彼らの言動は、厄介なセクハラ加害者のそれと同類である。

従軍慰安婦問題で、安倍晋三が「強制性はなかった」と言いたがっているのも、橋下徹が「(当時は)必要だった」と言い張るのも、石原慎太郎が「戦争に性はつきもの」と知ったかぶりするのも。
彼らがその発言の加害者性を「自覚」出来てない、という意味で、2重の困難を抱えているのだ。
それらの発言は、元従軍慰安婦(を含めた世界中の女性)に、二次被害をもたらしているのに・・・。
ひとたびその意味が分かってしまえば、羞恥心で顔から火が出るほど醜悪な発言が、テレビや新聞を通じて、白昼堂々とまき散らされているのに・・・。
(過去記事→自分の恥・他人の恥-「自虐」を批判したがる心理

パワハラでもモラハラでもドクハラでも、いじめや体罰でも、被害を受けたと訴えている側に立って考える事から、解決の一歩を踏み出すことが出来る。
その大原則が分かっていない点でも、彼らの「自覚」のなさは、重症だ。
侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて違う
という安倍晋三は、換言すれば、「アジアに侵入していった側に立って、自分は歴史を見る」、と宣言しているわけだ!!!

安倍が父方の祖父に倣うなら、円安株高とオリンピックの後が心配な日本を、ソフトランディングさせる政治家になれるかもしれない。
よりによって、母方の祖父に倣うことで、アイデンティティを形成し、「主権」や「人権」を日本人から奪い去るのが「善」だと信じ込んでいるらしい。
安倍には、「自尊心」の壁を乗りこえ、「つまらないワタシ」であることをいったん受け入れ、「つまらないワタシ」を克服してもらいたいが、それが可能かどうかは、その際の「痛み」に耐えられるかどうかにかかっている。
被害者も加害者も周囲の人間も、皆がしんどい思いをする。
「対話」とは、困難な事態において必要とされるのだから、当然か・・・。


河合隼雄が生きていたら、安倍と「対話」してもらいたいところだが。
国民は、総理大臣のカウンセラーではないのだし。

(アンタの言ってることは安倍への偏見じゃないのか?という批判は受けるつもりだ。
偏見だったら、日本はソフトランディングに向けて希望もでてくるだろう。いっそ、偏見だったらいいのに。)

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ここまで来てしまったのだから、私は自分に出来ることをやろう。
「普通の」日本人が「右傾化」していると言われる状況について、引き続きネットを通して発信もしよう。

「右傾化」の根底には、「知性」(=「対話」を成立させる能力)への不信がある。
「反知性主義」が我がもの顔でまかり通るような土壌が出来てしまったら、総理を一人退陣させたって、同類の者がまた出現するだけだから。


「インテリジェンス」が無力に見えても、万能でなくても、これを敵視するなんて、ネギをしょったカモになるのと同じだ。
不十分な食事でも、摂らねば生きていられない。

一生懸命書きました(爆)。応援よろしくお願いします。
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本年も、お付き合いいただきありがとうございました。次の更新は、年明けの予定です。
よいお正月を!
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[2013/12/27 17:19] | 右翼・戦争・カルト
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