アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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記事の更新を月2回にしてから、自分の世界にすっかり沈潜している。

FC2ブログ同士だと、訪問者リストをたどっているうちに自ずと、ちょっとしたコミュニティのようなものが形成される。
私は沈潜しているといっても、週に1、2回程は、訪問者のブログを読みに行く。
毎日更新されているブログの場合、3、4日分をまとめ読みするわけだ。
そうすると、こちらは2週間に1度しか更新しないのに、度々訪問返ししていただくような格好になり、少し申し訳ないような気もする。
こちらの記事がダラダラ長いので、まとめ読みならぬ、分割読みをしておられる方も、あるいはいらっしゃるかも。
なんにせよ、「あのブログはそろそろ更新日」と、意識の隅にとどめて置いてもらえるとしたら、有り難い幸せである。

最近こっそり、小説の断片のようなものを書いている。
書いて、少し時間を置いて読み返すと、悪くはない。
ある程度の分量に達し、断片がまとまって何かの形になるかどうか、今は何とも言えない。
気がつくと3、4日、あっという間に過ぎているというのは、悪い状態ではないのだろう。
読書もしているが、読んだものから何か記事を書くには、パン生地をねかせる如く、しばらく脇に置いておきたい場合がある。
言えないことを言えるようになるまで待つ。
錘を抱いて、湖底に沈もう!

ゴマちゃん1_convert_20120904195220

少し前のことだ。
左の肩甲骨のあたりと左腕が、何か刺さっているのではないかと思う程、痛む日が続いた。
半月経っても、よくなる気配がないので、整形外科を受診した。
レントゲンで首のあたりを撮られ、医者が写真を指しながら、「4番目と5番目の頚椎の間のクッションがすり減ってますね」と言った。
要するに、椎間板が変性している様なので薬を飲んでみないか、ということだった。
どんな薬かと思ったら、2週間くらい飲んで始めて効果が現れる、新しいタイプの薬だという。
目まいや眠気などの副作用が現れることもあるが、それは稀なので、ぜひ試してみるといいと言われた。

私は直感的に、嫌なものを感じたが、毎日のように市販の痛み止めを飲まねばならぬ状態だったので、処方してもらうことにした。
「じゃ、2週間後にまた来てください」と言われた。
しかし、……。私の頭の中で、何かが警告している……。

「門前薬局」に行くと、「リリカ」なる薬のパンフレットを手渡された。
薬剤師が、なにやら色々と注意事項を並べるのを聞いているうちに、腹が立ってきた。
こんな薬と分かっていたら、医者に最初から断ったのに。

脳内の神経伝達物質の量を加減する、そういう類の薬だとわかったのである。
だから一度飲み始めると、止める時に困った症状が出るかもしれない。
ひと頃さかんに報道されていたが、あの「SSRI」を安易に処方されたケースと、似たようなことが起こるかもしれないのだった。
薬を止めたいと思っても、吐き気だの不安感だのに襲われて容易に服用を止められない、なんて事になったら。
万が一にでもそうなった時、泣く目に遭うのは、服用させられる側なのだ。
処方した医者の側は、痛くも痒くもない。


私は、背中と腕が痛いだけであった。
元々なかった目まいの症状が出たりしたら、面倒なことになる。
まして、2週間に1度の病院通いを、いつまで続ければ良いのか?
「リリカ」とは、椎間板の不具合を治すのではない、要するに痛みをごまかす薬である。
神経伝達物質を加減することが有効な場合もあるのだろうが、私の症状には、本当にそんなことが必要なのか???

ゴマちゃん2_convert_20120904195302

初診でいきなり、こんな厄介な薬を出す医者になんか、従う必要はない、と私は思った。
が、遅かった…。
そうこうしている間に、奥から印刷済みの薬袋と薬が出てきた。( ; ; )
仕方なく代金を払い、家に帰ってから、ネットで「リリカ」について調べてみると、色々なことが書かれている。
その真偽について、裏を取ることまではしなかったが…。
裏を取るには、一層の時間と、費用も要る。
結局、服用しないと決意し、2週間分の「リリカ」を全て、その日のうちに廃棄した。

鎮痛剤の「ロキソニン」等が一緒に処方されてあった。
それらは特に心配ない薬のようだから、私は、捨てずに2週間分飲んでみた。
それで、2週間後には、ひどい痛みがほぼ消えてしまった…。
以来、現在も痛みがぶり返すことはない。
( = =) 「リリカ」って、なんだったの???

クジャク_convert_20120906141156

こうなると、痛みの原因が椎間板の変性のせいだったかどうかも、疑わしい。
自分でも気付かないうちに、筋でも違えていただけで、「ロキソニン」の消炎作用で治るようなものだったと考えられる。
様子を見るでもなく、MRI画像で確定的な診断をするでもなく、テキトーな事をする医者もいるものだ。
後から考えて、ゾッとする。

門前薬局で渡されたA4の紙を見ると、薬価が書いていある。
「リリカ」が125.3円、「ロキソニン」が18.6円。
「ロキソニン」は胃を痛めるからと、出された胃薬「ムコスタ錠」が17.4円。
筋肉のこわばりを改善するという「ミオナール」が19.5円。
薬代の3分の2以上は「リリカ」代であると分かると、イヤーな感じは増大する。

勘ぐり過ぎだろうか?
不適切な薬の代金を払わされ、かえって健康を害していたかもしれないのである。
それに、高い薬を廃棄して不利益をこうむったのは、ウチだけではない。
ウチが払ったのは、費用の3割である。
7割は健康保険から、病院と門前薬局に支払われたのだ。

そうでなくとも財政が圧迫されているこの御時世に。

(日本では、医者一般に対する評価が高い。
医学部入学、国家試験合格と、彼らは勉強ができる。
でも、社会情勢を見る目やモラルを備えている保証はない。
皆様、御用心なさいませ!)

あの病院に行く事は、2度と無い。
行きつけの美容院にでも行った時に、あの病院のクチコミを、しっかりやっておこうwww

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[2012/09/15 06:03] | 北海道に移住して--食とか健康とか
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薬はね・・・
MASHIYUKI
『人体実験ってさぁ・・・』っていうお題で以前軽く触れてみたんだけども、オイラも右腕が痛く、整形外科を受診した際、その時に処方されたのが『ロキソニン』と『リリカ』。全く効きませんでした。おともだちの薬剤師A君曰く、『リリカ』は新しい薬で眠気を誘発する報告が何件かあるとのこと。A君は「新しい薬は、止めておいた方がいい。何年後かに問題になるケースがある」と。

かなりオブラートに包んでみました。
詳しくは書きませんが、オイラが聞いたA君からの情報は・・・医師と製薬会社・薬剤師の関係・・・奴隷・・・。何故患者に新しい薬を勧めるのか・・・etc。

昔、オイラのともだちの一人であるキムタクのおっちゃん(彼も某病院で薬剤師をしております)が言った一言。「命を守るのは、医師ではなく自分自身。」

少し想像力を働かせれば、なんとなくわかるはずです。今はそういう時代らしいです。

Re: 薬はね・・・
小谷予志銘
MASHIYUKIさんへ

酷い目にあうところでした。
なんで自分が?と思いましたが、稀なことではないんですね。

「リリカ」をゴミ袋に投げ込んだ時、残念な気持ちと共に、爽快感がわき起こりましたが。
清々した、という感覚は正しかった訳ですな。

管理人のみ閲覧できます
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Re: やはりそうですか
小谷予志銘
Eさんへ

コメントありがとうございます。

やっぱり情報を手に出来るかどうかなんでしょうね。
自分の健康や命に関わることだから、どういう医者なのか、よく見極めたいですね。

めんどくさい事ばっかり書いてるブログですけど、どうぞよろしくお願いします。

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『詩の自覚の歴史』は、山本健吉が59歳の時に連載を開始し、13年かけて書き上げられた。
持続、ということは偉大だと熟々思う。

山本のこの大著に触発されて記事を書くのは、今回で7回目。
取りあげることができた内容は極々わずかであるが、締めくくりとして、『万葉集』の編纂にかかわったとされる大伴家持について、触れておきたい。

詩の自覚の歴史付箋

たまきはる寿(いのち)は知らず松が枝(え)を結ぶ情(こころ)は長くとぞ念(おも)ふ
(『万葉集』巻六・1043)

この歌は、歌に添えられた詞書からみて、新春の宴で詠まれたものである。
大伴家持らは、安積皇子(あさかのみこ)の宮殿があった活道(いくぢ)の岡に登り、一本の松の下に集って二次会を開いたのだろう。
そういう宴会では、あるじの寿への言祝ぎを、目にする風景に託して陳べるのが慣わしだった。
松の枝を結ぶことには、命の無事長久を祈る意味があるというから、家持は安積皇子の健康と長寿を願って、この歌を皇子に献上したのである。

安積皇子は聖武天皇の皇子だが、母の身分が高くないので立太子できなかった。光明皇后や外戚藤原氏の勢力を背景にして、皇后が生んだ阿部内親王が皇太子に決まっていた。
その女性皇太子を脅かす存在として、反藤原の諸氏は、安積皇子に期待を寄せていた。
大伴家持も、安積皇子を取り巻くグループの1人だったと考えられている。
しかし、皇子は身体が虚弱で、取り巻きたちの間には、皇子の健康への深い憂慮があった。

家持の歌に「たまきはる寿は知らず」と言ったのは、寿歌にはふさわしくない詞句である。人によっては不吉な印象をもたらすからである。それは命は不定だと言っているので、皇子の死を予見しているようにさえ思う。皇子はそれから一月後、後世の史家に仲麻呂の凶手が伸びたのではないかと思わせる、唐突の死に方で急死した。
(山本健吉『詩の自覚の歴史』,第二十章「鬱悒と悽凋と」)

あるじの寿をことほぐという‘公的動機’から作られる歌に、私的な感情がかぶさるということが、家持のこの歌では起こっている。
山本の『詩の自覚の歴史』が全体として目指しているのは、儀式や宴会といった‘群の世界’で詠まれる歌が、次第に、‘ひとりごころのかなしみの声を胎んでいくさま’(序章一「宴の歌」)を、明らかにすることだった。

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‘万葉の世界が最後に行き着いた到着地点’としての大伴家持について、家持の父である旅人や、旅人の従者達、叔母である坂上郎女からの影響など、山本が明らかにするところはどれも興味深い。
特に、大仏建立という国家目標を達成した後の、家持の倦怠感。
また、詩によらなければ発散できない悲しみを、司馬遷や屈原によって教えられるという、ブッキッシュな態度の近代性。
その一方にある、天皇の親衛隊長としての誇りに生きた、大伴家の嫡流、佐保大納言家の氏上(うじのかみ)としての、古い意識。

家持の古さ、古代は、「海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大皇(おほきみ)の辺(へ)にこそ死なめ、顧(かへりみ)はせじ」という一節を含む長歌(巻十八・4094)に、あらわに見える。

家持由来の“軍歌”を聞かされて、子供だった私は悪夢にうなされたものだ。
詞・曲・朗々と斉唱した録音、すべて相俟って、あんな怖い歌が出来上がるとは、家持は夢にも思わなかったろう…。

家持の古代性と近代性について記事を書いていると、いつまでも『詩の自覚の歴史』から離れられない…。
私もそろそろ、次に行かないと……。



[2012/09/01 06:00] | 古典と現代文学
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