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アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
小林多喜二の1930年(昭和5年)の年越しです。単行本で5ページ弱の短文です。
目印として、昭和5年と6年の干支のカットを入れました。

小林多喜二「監房随筆―お頭付きの正月」
(底本は『小林多喜二全集』第五巻,新日本出版社,1992)
(傍点は省きました。くの字点は表示困難の為、ワクワク、という様に表記しました。)

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   お頭付きの正月 
                   小林多喜二

 十二月の二十五六日になると、雑役が廊下の床にたわしをかけたり、一々監房の窓硝子を外ずして洗ったりし始めた。そういう少しでも何時もと変ったことが、独房に坐りこくっているものたちの気持をおかしな程ときめかした。――もう正月が近いのだ。
 監獄で正月を迎える! それは私には初めてのことである。然し監獄の正月であろうが、何処の正月であろうが、殊に「運動」をしている私たちにとっては、それは何んの変哲もないことなのだ。だが、フトすると、「世の常の人のような」感慨にふけっている自分に気付いて、私は苦笑した。――もの心ついてから、三十一日の「歳取り」と云えば、私は荒巻きの焼いたのと大根を刻んだ鯨汁を思い出す。吹雪いている北国では、私の分をもちャんと揃えて、テーブルのまわりに坐った母や小さい妹が、そこだけが空いている私のところを見かえり見かえり時々箸を休めている姿を思い出すことが出来るのだ。
 その日、「どうだい、大晦日の感想は?」
 暇な看守が「覗き」からそんなことを云った。――「さすがに心の乱るゝを覚ゆってところじゃないかな?……」
「どう致しまして!」
 私は無愛そに云いかえした。
「フン……?」
 ――看守は「どうかな」という顔をした。
特に「大晦日」という日なので、私は昨年の大晦日に自分がどんなことをしていたかという事が、ハッキリ思い出すことが出来る。私は新労農党系の労働組合内の反対派活動をしていた。そのフラクションとして、全協の小さいグループの責任者に重要な連絡を取るために吹雪の中を労働者の住んでいる街から山の手のアジトへ歩いて行っていた。真正面から吹きつけてくるとそのまゝ後向きにならないととても歩けそうにもない程吹雪いていたのだが、大晦日なので人はしきりなしに歩いていた。その為に私は目だゝないので非常に都合がよかった。私はその時他人は俺をも借金のことでトットコ歩きまわっていると思っているだろうが、どッこいそんなものじゃないんだということが、何かこの上もない皮肉なことのように考えたことを思い出せる。殊にそれは他人がたッた眼先のことでアクセク駈けずり廻わっているのに対して自分はそれとは段違いに高遠? なことのために働いているのだということが強く頭にきた。――然しそれが如何にもその頃の私らしいことなので、今でも思い出せるのである。
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 運動も済み、晩飯も終って、黄ッぽい電燈の下に坐り込むと、私は外の生活に対する執着を急にワクワクと激しく感じ出した。それは自由に歩き廻わり、自由に仕事の出来た外の世界に対する執着だった。私はあの追いかけられた時、モウ三分間!(五分間までは要らなかった)頑張れゝばよかったのにと思うと、かえすがえすも情ない気がした。そしたら私は又昨年のように、この大晦日の夜を、借金のことしか考え事にない者どもを石ッころみたいに黙殺しながら何処かへ重大なレポを運んでいたのだ!
 就寝の鈴が鳴った。すると、一せいにみんながコンクリートの壁をたゝき出した。階下でも階上でも、よく聞くと十文字に向い合っている北房の方でも、たゝいているらしい。一九三〇年の「最後の音」である!
 私はこの壁をたゝく音が、監獄の「除夜の鐘」であると思った。
 私は「世の常の人」だろうか、床に入ったのだが、何時ものように、私はそんなに直ぐには寝つけなかった。――私は寝ながら眼をつぶり、世の常の人のように、言葉の本当の意味で多事多端であったこの一年のことを思い浮かべてみた。私は人一倍日記をつけるのが好きだったが、運動をするようになってから危いのでやめていたのである。考えてみれば、私はそんなに仕事はしていなかったのだ。少ォし芽が見え始めていた、その絶対に捕かまってはならない丁度その時に捕かまっていたという事がよく分った。――七時半の就寝で、十一時頃まで寝られずにいた。然し私はキット何処か近所のお寺からでも聞えてくる筈の、本当の除夜の鐘は聞かなかった。目が覚めてみると一九三一年の朝になっていた。
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 起床の鐘が鳴ると、皆はそれよりも一時間も早く起きて待ち構えていたかのように、鐘の音と一秒の三分ノ一も早くも遅くもなく、壁をたゝき出した。それは毎日の朝よりも長く、長く続いた。看守は元旦なのか、黙っていた。――気のせいで、寒い朝である。
 朝飯の時間に、
「茶碗とお皿の用――意!」
 と、向う端で叫ぶのが聞えた。
 大抵の朝は、茶碗かお皿のどっちかで、茶碗とお皿の用意ということになると、それはお馳走のあることを意味しているのである。刑務所でも正月だと云って、お馳走(それがどんなものか知らないが)を出すのかと思うと、腋の下に手を突ッこまれたような擽ぐったさを感じた。
 ガラ、ガラッと、一つ一つの監房の前に止まりながら飯車が近付いてきた。丁度向い側では、
「へえー これァ素晴しい!」
と云っているのが、聞えてきた。
「それ、お頭付!」
 雑役が笑った。
 私は皿や茶碗やワッパや土瓶を両手に持って、扉の前に立って待っていた。扉はガチャンガチャンと何時もより勢よく開いた。
「それ!」
 雑役が慣れた手付で、調子をつけた。
 見ると、数の子、昆布、お雑煮、「お頭付」の小さい平べったい鯛が揃っている。――私は「成る程!」と、ニヤッとした。
「どうだい?」
 看守が笑って、私を見た。
「仲々やるもんだ!」
「お目出度づくしだろう。案外、有難いものだろう?」
「…………。」
 私は、口の中だけで笑った。――然し正直に云えば、私は今迄の自分の貧しい生涯を振りかえってみるとき、元旦の朝をこのようにちァんと揃えて、法式にかなった! 迎え方をしたことがあったろうか?――私は本当の正月を初めて監獄に来たから迎えたことになる! 私はこれは仲々面白いことだと思った。
 最後に附け加えておくが、この元旦のお昼に蓄音機をならして聞かせた。ところが、こういう時に何時でも最初にならす音楽が響き出したとき、突然どの監房からも壁をたゝき出して、とうとう途中でそれをやめさせてしまったということである!
 私たちは、そして新しい年の闘争を誓った。
(一九三一・一二・二四)
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[2011/12/28 09:06] | 電子テキスト
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Re: 鍵コメのSさんへ
小谷予志銘
罵声の響かない平穏なお正月は、もの心ついて以来、今日で3回目です。2010年から数えて。(;´ー`)
私自身のこういう背景を伏せてブログを書いているので、読者に分かりにくいとは思ってました。だから、Sさんが気になさっていること、私は失礼だなんて思ってませんよ。

私は、マルクス主義のことは何も知りません。
また、戦前の労働運動の、仲間割れ、非難の応酬、小林多喜二らが地下に潜ったやり方(非合法活動)など、問題も多かったと思います。彼等は仲間割れしている場合じゃなかったのです。
ただ、多喜二については、その聡明さ、不屈さ、良心、といった点で戦前戦後の日本政治に不足しているものを備えている、という気がします。
格差、貧困、様々な理不尽。これ等は今日の課題でもあります。状況を見て、「これは本来のあるべき姿じゃない」と感じ、改善しようと努力すること。良心とか正義とかいうことを、前面に出しにくいのは、日本社会の不幸でしょうか。

また、多喜二はプロレタリア文学の枠に入ったのが惜しい(?)ほどの、文学的才を持っていました。あの伊藤整が一目置いた理由は、先ずは多喜二の文才にあったのでしょう。

私の背景に関連して、Sさんに気遣っていただいている事、大変有り難く思います。
思えば私は、血縁者ではなく、血の繋がらない赤の他人によって守られ、これまでやってこられたのです。血縁者とは、真の意味での「会話」が成立したことはありません。

「会話」が成立しないような状況をどう越えたらいいのか。
私がやってきたのは家庭内の闘争、子供が生き残るための「闘い」で、逃げ出すのがオチでした。
でも社会の状況に対しては、感情的なもの以上に、冷静な手練手管が要るのでしょう。

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12月も下旬。カレンダーをにらみながら、新聞の山と格闘している。

山の中に、6月10日のが混じっていた。やれやれ……。

と思って開くと、「ひと」欄(『朝日新聞』2面)に、「青空文庫」の世話人である富田倫生(とみた・みちお)さん(59歳)の記事が載っていた。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、ひと月に4万1千回も読まれたのだという。
(青空文庫って、そんなに読まれているんだ! 古新聞、チェックして良かった!!!)

「青空文庫」の船出は1997年7月。
2011年6月8日時点の公開作品数は、横光利一の「上海」で1万点に達したとのこと。
(横光利一も読めるんだ……。感無量。)

富田さんが32歳で出した本『パソコン創世記』は、間もなく本屋から消え、裁断されたそうだ。
「紙の本は残酷でもある」という思い、「裁断されたあの本を、せめてパソコン上で残したかった」ということから、富田さんは電子本に向かった。
富田さんの好きな山本周五郎は、7年後に著作権が切れるので、その「公開に立ちあえたら、本望だなあ」とのこと。
(ちなみに、伊藤整の著作は、2020年元旦からパブリックドメインとなる。)

「青空文庫」の苦闘には、頭が下がる。
『風姿花伝』の校訂者の権利をめぐる問題←クリック, 解釈の難しい著作権問題について理解が深まります)など色んな事をクリアしてきた訳だ。

あとは、電子書籍端末の進化にかかっている。

【関連記事】
小林多喜二の文章(2)(mix 電子書籍の未来)
暫く電子テキストの公開のみとします。



[2011/12/21 09:26] | 情報の発信・蓄積・管理
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小林多喜二「下女と循環小数」の電子テキストです。
『新樹』,1926年(昭和元年)5月号に掲載
底本は『小林多喜二全集』第5巻(新日本出版社,1992)

家の中を掃除していて、この随筆のことを思い出しました。

また少し前、歯科に行けない大阪の子供達の事を、ニュース23が特集していました。富の再分配という事を真剣に考える必要があると感じました。(政治のポピュリズムに警戒しつつ。)
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  下女と循環小数
小林多喜二

「世界意識」という神聖な病気がある。
 彼はあるカフェーでビフテキーを食うとする。その瞬間、然し彼は寒空に飢えている人を思う。だから彼はそのビフテキーをソット側の塵箱に投げなければならない。彼は笑うと思う。然し笑えない多くの人の存在が、彼の顔を引きゆがめてしまう。彼は日向を歩いてゆく……しかし日の光を一日も見ず土の底にうごめいている多くのものを考える。彼は日陰を歩まなければならない。
 ――若しも人達がこの彼の態度を笑うか?
 ビフテキを塵箱に捨てるのをよして彼が食べたら、その佳美な味を味うた「幸福者」が世界に一人だけ殖えた筈だ。彼が若し笑ったら、世の中に心から笑えた人が一人だけ多くなったわけだ。そして彼が日の光の中を朗かに闊歩したら、それだけ世界が明るくされてあった筈だ。(これこそ彼が望んでいた事であったのだのに!)――そこで彼は嘲笑われるのか? 然し彼がこんな事を皆んな知っていたとしたら?(知っているのだ)
 四を三で割ると一、三三三……となる。この循環小数を人はいくら迄続けてゆく根気があるであろう。これを一生涯せっせとつゞけ得るものがあったら、その人こそ社会改造家であり得る人である。そしてその人はキット下女[注-下女に傍点(••)]を侮蔑しないであろう。何故なら下女は、今朝すっかり家の中を掃除しても、又次の朝掃除しなければならない事を知って居り、恐らく一生涯その事を「平気」で続けることをも理解しているからである。(自分はこのことをシーリヤスな気持で云うのだ。)

「資本主義的社会は一つの歴史過程である。だからこれが円熟すれば、それ自身が崩壊することに依って次の過程に入って行く」とマルクスが云った。そしてこれは人間の「意志」では如何ともすることが出来ない、と唯物史観の原理を押したてた。然し我可愛いマルクスは「共産党宣言」の最後でこう云った――「万国の労働者よ団結せよ!」だから可愛い。
 彼等にして栄光の日を信じ得る者は幸福である。而して栄光の日を信じ得ないものは利口である。「下女」「循環小数」……。

 腹が減った時にある事を感じる、腹が一杯の時にその同じことに対して或る事を感じる、この二つの感じの内容は同じものだろうか? 寝不足の朝のときの感ずる気持、寝足りた後で感ずる気持、これはどうだろう。――然し、と云ってプロレタリアが待ち望んでいた革命が来、社会組織の改変が行われると、彼等もブルジョワらしい気持に変って行くのではないか、と云う意味ではない。――然し考えて見たらどうだろう、第四階級の解放は何も彼等をブルジョワのレヴェルにまで高めるためのものでない、と云っている人達もいる事だから!

 然し人が幸福[注-幸福に傍点(◦◦)]になるにはどうすればいゝんだろう、この事が考えられる。これだけが!

【関連記事】
「こう変っているのだ。」(電子テキスト)
「お頭付きの正月」(電子テキスト)
「一九二八年三月十五日」(電子テキスト)



[2011/12/17 10:11] | 電子テキスト
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