先日、書棚の中を点検した時に、奥の方から、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』が出てきた。
イヤなものを見つけてしまった、と私は一瞬思った。小説家の書いたものと違って、華がないというか、如何にも可愛げがなさそうだ。著者である橋川文三が悪いわけではない。橋川が論じているところの、「日本ロマン派」が可愛くないのである。
「日本ロマン派」とは、戦前にもてはやされた、いわゆる「ウルトラ・ナショナリストの文学グループ」である。橋川は、この一派を評して「精神史的異常現象」とまで書いている。
一派の内の亀井勝一郎などは、私は過去に読んで感心したことがないし、保田与重郎に至っては‘触らぬ神にたたりなし’といった感じだった。それで、橋川の本が自分の書棚にあることさえ、私は忘れていた。
しかし、見つけてしまうと、これが時期というものかな? と思った。

このブログでは、そもそも遠藤周作を中心的に取りあげつつ、手始めとして宗教について考えるつもりだった。
それが、懐かしく手にした伊藤整にハマってしまって、ついでに小林多喜二を再発見して……、と最初の思惑から明らかにズレてきている……。まあ、宗教の問題と、日本文学の古典的(?)作家のことを、並行して気の向くままに書けばいい、と思っていた矢先である。
この本と出会う時期がようやく来たのだ、と半ば観念する思いで『日本浪曼派批判序説』を読んだ。そして、このブログが何となく進んでいる方向は、あながち間違いでもないと感じる。
昭和8年(小林多喜二の死の年)前後の状況について、私は、伊藤整の叙述に吸引されたわけだった。
その上で橋川の著書を読んでみると、その昭和初年代・10年代とは、日本思想史・文学史の問題が集中的に現れている時代だと分かる。この時期に現れた日本社会の宿命的な‘錯誤’は、現在の日本にまで尾を引いている。
宗教の問題は、‘政治と宗教と文学’の関わりにおいて考えるべきだろう、と漠然と思っていた私の中で、何かがカチリと噛み合った。
こんな風に書くと随分エラそうだが、何のことはない、読んでみて解らないことだらけだった。
だから、このブログに「日本ロマン派」のことを書くのは、2012年の何時か? である。
多喜二ならぬ、生きのびた方の小林(秀雄)のことやら、‘第二『文学界』’のことやら、面白そうだが一筋縄ではいかない事がたくさん関係しているので。
(すみません。どうぞ気長にお付き合い下さい。ダイエットや禁煙をする人が、それを周囲に宣言して自分にプレッシャーをかけるように、私も自分の心積もりについて此処に書いておきます。)
少し以前に見たテレビ番組の事を思い出した。

NHKが今年(2011年)の1月から3月にかけて放送した、『シリーズ 日本人はなぜ戦争へと向かったのか』について、橋川文三の著書との関連を思い、録画してあったのを再び見た。
当時の「大本営政府連絡会議」(内閣と軍の首脳で構成)のバカバカしさには、開いた口がふさがらない。特に、最終回の「開戦・リーダーたちの迷走」では、NHKも“驚くべきリーダーたちの実態が明らかになった”としているが、私は、驚愕を通り越して脱力してしまった。
NHKの取材で新たに見つかった、“当事者”達の証言テープ等から明らかになった事とは。
(1)「大本営政府連絡会議」が何一つ決められず重大案件を先送りしている間に、一つ一つ選択肢が失われていった事。
(2)開戦決定する以外にない状態に追いつめられ、“勝算なし”と分析済みの戦争を始めた事。
(3)彼らの頭に唯一あったのは、組織を存続させるための時間稼ぎ、“様子見”という考えだった事。
近衛文麿も東条英機も、言葉は悪いが、まるで‘能なし’、‘でくの坊’である。
「連絡会議」といっても、まともな議論などできない人間の集まりだったらしい。
選択肢を失った後の“決意なき開戦”……。もう、泣くしかない程に無惨だ。
国粋主義者達が偏った信条をかかげて狂信的に突っ走った、という方が、太平洋戦争の莫大な犠牲を考えた時、まだ救いようがあるかと思う。
あくまでも、アドルフ・ヒトラーのような者の方がチェックしやすいという意味で。
当時の国家指導者たちの‘不気味な空洞’と、大衆の側の‘不気味な空洞’が呼応するように、私は思う。
大衆の側の‘不気味な空洞’とは、「日本ロマン派」(特に保田与重郎)をもてはやした戦前・戦中の一般人達の心の空洞である。
イヤなものを見つけてしまった、と私は一瞬思った。小説家の書いたものと違って、華がないというか、如何にも可愛げがなさそうだ。著者である橋川文三が悪いわけではない。橋川が論じているところの、「日本ロマン派」が可愛くないのである。
「日本ロマン派」とは、戦前にもてはやされた、いわゆる「ウルトラ・ナショナリストの文学グループ」である。橋川は、この一派を評して「精神史的異常現象」とまで書いている。
一派の内の亀井勝一郎などは、私は過去に読んで感心したことがないし、保田与重郎に至っては‘触らぬ神にたたりなし’といった感じだった。それで、橋川の本が自分の書棚にあることさえ、私は忘れていた。
しかし、見つけてしまうと、これが時期というものかな? と思った。

このブログでは、そもそも遠藤周作を中心的に取りあげつつ、手始めとして宗教について考えるつもりだった。
それが、懐かしく手にした伊藤整にハマってしまって、ついでに小林多喜二を再発見して……、と最初の思惑から明らかにズレてきている……。まあ、宗教の問題と、日本文学の古典的(?)作家のことを、並行して気の向くままに書けばいい、と思っていた矢先である。
この本と出会う時期がようやく来たのだ、と半ば観念する思いで『日本浪曼派批判序説』を読んだ。そして、このブログが何となく進んでいる方向は、あながち間違いでもないと感じる。
昭和8年(小林多喜二の死の年)前後の状況について、私は、伊藤整の叙述に吸引されたわけだった。
その上で橋川の著書を読んでみると、その昭和初年代・10年代とは、日本思想史・文学史の問題が集中的に現れている時代だと分かる。この時期に現れた日本社会の宿命的な‘錯誤’は、現在の日本にまで尾を引いている。
宗教の問題は、‘政治と宗教と文学’の関わりにおいて考えるべきだろう、と漠然と思っていた私の中で、何かがカチリと噛み合った。
こんな風に書くと随分エラそうだが、何のことはない、読んでみて解らないことだらけだった。
だから、このブログに「日本ロマン派」のことを書くのは、2012年の何時か? である。
多喜二ならぬ、生きのびた方の小林(秀雄)のことやら、‘第二『文学界』’のことやら、面白そうだが一筋縄ではいかない事がたくさん関係しているので。
(すみません。どうぞ気長にお付き合い下さい。ダイエットや禁煙をする人が、それを周囲に宣言して自分にプレッシャーをかけるように、私も自分の心積もりについて此処に書いておきます。)
少し以前に見たテレビ番組の事を思い出した。

NHKが今年(2011年)の1月から3月にかけて放送した、『シリーズ 日本人はなぜ戦争へと向かったのか』について、橋川文三の著書との関連を思い、録画してあったのを再び見た。
当時の「大本営政府連絡会議」(内閣と軍の首脳で構成)のバカバカしさには、開いた口がふさがらない。特に、最終回の「開戦・リーダーたちの迷走」では、NHKも“驚くべきリーダーたちの実態が明らかになった”としているが、私は、驚愕を通り越して脱力してしまった。
NHKの取材で新たに見つかった、“当事者”達の証言テープ等から明らかになった事とは。
(1)「大本営政府連絡会議」が何一つ決められず重大案件を先送りしている間に、一つ一つ選択肢が失われていった事。
(2)開戦決定する以外にない状態に追いつめられ、“勝算なし”と分析済みの戦争を始めた事。
(3)彼らの頭に唯一あったのは、組織を存続させるための時間稼ぎ、“様子見”という考えだった事。
近衛文麿も東条英機も、言葉は悪いが、まるで‘能なし’、‘でくの坊’である。
「連絡会議」といっても、まともな議論などできない人間の集まりだったらしい。
選択肢を失った後の“決意なき開戦”……。もう、泣くしかない程に無惨だ。
国粋主義者達が偏った信条をかかげて狂信的に突っ走った、という方が、太平洋戦争の莫大な犠牲を考えた時、まだ救いようがあるかと思う。
あくまでも、アドルフ・ヒトラーのような者の方がチェックしやすいという意味で。
当時の国家指導者たちの‘不気味な空洞’と、大衆の側の‘不気味な空洞’が呼応するように、私は思う。
大衆の側の‘不気味な空洞’とは、「日本ロマン派」(特に保田与重郎)をもてはやした戦前・戦中の一般人達の心の空洞である。
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『キリストの誕生』(1978年,昭和53年,新潮社)は、遠藤周作自身の「あとがき」にあるように、「イエスがキリストになるまで」(『新潮』に連載)を加筆訂正したものである。
‘イエス’とは、人名(当時のパレスチナではごくありふれた名だった)。‘キリスト’とは‘救世主’のことであるから、この本は、一人のパレスチナ人‘イエス’が、どの様にして‘救世主’として高められていったのか、という問題を、当時の人々の心に分け入るようにして明らかにしたものだ。
11月も下旬となると、クリスマスケーキの予約にいざなう広告を手に、今年はどうしようかと迷う。キリスト教徒でない私がクリスマス商戦に乗せられるのもどうか、と我ながら興ざめな考えが、毎年のように頭に浮かぶ。それで、適度に消費行動をすることも社会貢献になる、とか目新しくもない言い訳を捻り出したりする。
やっぱり今年も、美しくデコレーションされたケーキを、目で楽しみ味わうのがよかろう。まだ切り分けてない丸ごと一台のケーキがテーブルに載るのは、クリスマス以外では、やっぱり人の誕生日くらいなのだし。

それにしても、クリスチャンではない私にとって、キリスト教とは何とも理解しづらいものだ。しかも、日本的風土で生活してきた人間には、余計に解りにくいかもしれない。
遠藤の功績の1つは、そもそもキリスト教のどこが日本人にとって解りにくいのかを、食卓に珍味を1個1個並べるようにして、示してくれたことだろう。
何かを理解できないという際、どこが理解できないのかさえ理解できない場合がある。これはかなりの重症である。どこが解らないのかを理解することこそ、理解のための第一歩だ。
キリスト教が解りにくいのは、何よりまず、その‘落差’の為であろう。
祭壇に祀られているのは、十字架に架けられ頭を垂れている、ガリガリに痩せた神様の像である。(カトリック以外の事はややこしくなるので、今は考えない。)
とても崇拝の対象になりそうではない神様を信仰するという、‘落差’。(これを、私が以前の記事で書いた‘逆説’と言ってみてもいい。)
イエス像とは対照的に、日本人になじみ深い仏像の場合、みな割合にふくよかである。如何にも苦難を超越している様子だ。如来像などは、もう豊満と形容する以外にない、はち切れんばかりの福々しさだったりする。
そういう福徳の象徴のような神仏を崇拝する時、そこに‘落差’はない。人間の願いは、信仰の対象に向けてストレートに伸びて行き、引っ掛かってつまずくことがない。
とはいえ、イエスが十字架刑に処せられたという事実に躓くのは、日本人に限ったことでもない。イエスの直弟子でさえ、その事実につまずいて苦しんだ。そのことを、遠藤は『イエスの生涯』にも書いている。弟子達は皆、恐怖と保身のためにイエスを見捨てて逃げ出し、隠れていたのだという。
要するに、イエス亡き後の弟子達がその躓きから如何にして体勢を立て直したか、という事がキリスト教を理解する時の鍵になるのだ。

そこで、革命的重要性を帯びてくるのが、使徒パウロ(西暦六〇年代に殉教)の神学である。パウロの「犠牲と生贄」の神学がどう生み出されたか、という問題が、『キリストの誕生』で叙述の中心になっているわけだ。(なお、遠藤はパウロをポーロと表記している。)
このパウロの神学について、私がここで生半可な理解を述べるのは良心が咎める。ただ、パウロの神学は、ユダヤ教の“律法”(『旧約聖書』)を越えようとする動機から生まれた。遠藤は次のようなパウロの言葉を引用している。
「律法がなければ、私は罪を知らなかった。律法が『むさぼるな』と命じなかったなら、私はむさぼりという罪を知らなかっただろう。だがその戒律ゆえに罪は私の心に浮かび、あらゆるむさぼりの心を起させた」(「ローマ人への手紙」七 - 七~八)
私は以前、これと似たような言葉に、哲学者の著書で出会ったことがあるが、著者も書名も忘れてしまった。こういう人間認識は、古く『新約聖書』にまで遡れるということだろう。
ユダヤ教に限らず、善く生きようとして“戒律”を守っていると、逆に自分の罪深さに気付いてしまう。“戒律”を守って神仏に近づこうとすると、かえって人間が神仏から遠い存在である事に気付く。(自分を誤魔化せば、自分は神だと思えるかもしれないが。)
ユダヤ教以外の古今東西の宗教でも、この『旧約聖書』的な限界に落ち込んで、一歩も出られないままの宗教も多い。

そこで、『旧約』を越えるためにパウロは、どう考えたのか。
「この時、ポーロは人間のどうにもならぬ神との分離に終止符をうったのが、キリストだと考えたのである。」(『キリストの誕生』)
さらに遠藤は、パウロの独自性を次のようにとらえてみせる。
「彼(パウロ)の独自性は人間が神の怒りをなだめるためだけの従来の生贄の意味を百八十度、転換させて、神が人間の罪をゆるすために、わが子「キリスト」を地上に送り人間の罪をすべて担わせたと主張した点にある。」
ここでまた、多くの日本人はつまずくだろう。
遠藤曰わく、
「我々日本人の宗教には生きた者の生命を生贄に捧げることを求めるような、すさまじい神はほとんどいなかったからである。」
「我々は客をもてなすように、神に初穂や食べものを捧げる民族である。」
(『キリストの誕生』)
この「客をもてなすように」というのは、面白い。日本人論として面白い。
ただ、○○論というものが、○○の全てをカバーできず、必ずこぼれ落ちるものがあるように、「すさまじい神」を求める日本人も相当に存在するのではないか、とも私は思う。
○○論を展開する時、それが○○の何割程度に当てはまっていれば、論としてOKなのか?
どんな目利きにも、見えない部分があり、想像力で補えない部分がある。○○論を受けとめる側にも、同様に死角がある。
要は、○○論を‘仮設’する事によって、問題の本質に切り込んでいければOKだろう。
「客をもてなすように」神仏に接している部分と、神仏との峻烈な関係を欲する部分と。人間は本来、その両方を持っていると思われる。
歴史的・社会的諸条件によって、どの部分が表に出るかが変わってくるのだ。現代の日本人は、「すさまじい神」を求めたくなるような、厳しい状況に入りつつあるのかもしれない。
これまでのところ、日本人が祝うクリスマスとは、「客」達の中に混じったキリストが大人しく末席に座っている、という感じだろうか。
現代日本人は、『旧約聖書』をどういう風に越えればいいのだろう。
クリスマスケーキでも食べて、ゆっくり考えるとしよう。
‘イエス’とは、人名(当時のパレスチナではごくありふれた名だった)。‘キリスト’とは‘救世主’のことであるから、この本は、一人のパレスチナ人‘イエス’が、どの様にして‘救世主’として高められていったのか、という問題を、当時の人々の心に分け入るようにして明らかにしたものだ。
11月も下旬となると、クリスマスケーキの予約にいざなう広告を手に、今年はどうしようかと迷う。キリスト教徒でない私がクリスマス商戦に乗せられるのもどうか、と我ながら興ざめな考えが、毎年のように頭に浮かぶ。それで、適度に消費行動をすることも社会貢献になる、とか目新しくもない言い訳を捻り出したりする。
やっぱり今年も、美しくデコレーションされたケーキを、目で楽しみ味わうのがよかろう。まだ切り分けてない丸ごと一台のケーキがテーブルに載るのは、クリスマス以外では、やっぱり人の誕生日くらいなのだし。

それにしても、クリスチャンではない私にとって、キリスト教とは何とも理解しづらいものだ。しかも、日本的風土で生活してきた人間には、余計に解りにくいかもしれない。
遠藤の功績の1つは、そもそもキリスト教のどこが日本人にとって解りにくいのかを、食卓に珍味を1個1個並べるようにして、示してくれたことだろう。
何かを理解できないという際、どこが理解できないのかさえ理解できない場合がある。これはかなりの重症である。どこが解らないのかを理解することこそ、理解のための第一歩だ。
キリスト教が解りにくいのは、何よりまず、その‘落差’の為であろう。
祭壇に祀られているのは、十字架に架けられ頭を垂れている、ガリガリに痩せた神様の像である。(カトリック以外の事はややこしくなるので、今は考えない。)
とても崇拝の対象になりそうではない神様を信仰するという、‘落差’。(これを、私が以前の記事で書いた‘逆説’と言ってみてもいい。)
イエス像とは対照的に、日本人になじみ深い仏像の場合、みな割合にふくよかである。如何にも苦難を超越している様子だ。如来像などは、もう豊満と形容する以外にない、はち切れんばかりの福々しさだったりする。
そういう福徳の象徴のような神仏を崇拝する時、そこに‘落差’はない。人間の願いは、信仰の対象に向けてストレートに伸びて行き、引っ掛かってつまずくことがない。
とはいえ、イエスが十字架刑に処せられたという事実に躓くのは、日本人に限ったことでもない。イエスの直弟子でさえ、その事実につまずいて苦しんだ。そのことを、遠藤は『イエスの生涯』にも書いている。弟子達は皆、恐怖と保身のためにイエスを見捨てて逃げ出し、隠れていたのだという。
要するに、イエス亡き後の弟子達がその躓きから如何にして体勢を立て直したか、という事がキリスト教を理解する時の鍵になるのだ。

そこで、革命的重要性を帯びてくるのが、使徒パウロ(西暦六〇年代に殉教)の神学である。パウロの「犠牲と生贄」の神学がどう生み出されたか、という問題が、『キリストの誕生』で叙述の中心になっているわけだ。(なお、遠藤はパウロをポーロと表記している。)
このパウロの神学について、私がここで生半可な理解を述べるのは良心が咎める。ただ、パウロの神学は、ユダヤ教の“律法”(『旧約聖書』)を越えようとする動機から生まれた。遠藤は次のようなパウロの言葉を引用している。
「律法がなければ、私は罪を知らなかった。律法が『むさぼるな』と命じなかったなら、私はむさぼりという罪を知らなかっただろう。だがその戒律ゆえに罪は私の心に浮かび、あらゆるむさぼりの心を起させた」(「ローマ人への手紙」七 - 七~八)
私は以前、これと似たような言葉に、哲学者の著書で出会ったことがあるが、著者も書名も忘れてしまった。こういう人間認識は、古く『新約聖書』にまで遡れるということだろう。
ユダヤ教に限らず、善く生きようとして“戒律”を守っていると、逆に自分の罪深さに気付いてしまう。“戒律”を守って神仏に近づこうとすると、かえって人間が神仏から遠い存在である事に気付く。(自分を誤魔化せば、自分は神だと思えるかもしれないが。)
ユダヤ教以外の古今東西の宗教でも、この『旧約聖書』的な限界に落ち込んで、一歩も出られないままの宗教も多い。

そこで、『旧約』を越えるためにパウロは、どう考えたのか。
「この時、ポーロは人間のどうにもならぬ神との分離に終止符をうったのが、キリストだと考えたのである。」(『キリストの誕生』)
さらに遠藤は、パウロの独自性を次のようにとらえてみせる。
「彼(パウロ)の独自性は人間が神の怒りをなだめるためだけの従来の生贄の意味を百八十度、転換させて、神が人間の罪をゆるすために、わが子「キリスト」を地上に送り人間の罪をすべて担わせたと主張した点にある。」
ここでまた、多くの日本人はつまずくだろう。
遠藤曰わく、
「我々日本人の宗教には生きた者の生命を生贄に捧げることを求めるような、すさまじい神はほとんどいなかったからである。」
「我々は客をもてなすように、神に初穂や食べものを捧げる民族である。」
(『キリストの誕生』)
この「客をもてなすように」というのは、面白い。日本人論として面白い。
ただ、○○論というものが、○○の全てをカバーできず、必ずこぼれ落ちるものがあるように、「すさまじい神」を求める日本人も相当に存在するのではないか、とも私は思う。
○○論を展開する時、それが○○の何割程度に当てはまっていれば、論としてOKなのか?
どんな目利きにも、見えない部分があり、想像力で補えない部分がある。○○論を受けとめる側にも、同様に死角がある。
要は、○○論を‘仮設’する事によって、問題の本質に切り込んでいければOKだろう。
「客をもてなすように」神仏に接している部分と、神仏との峻烈な関係を欲する部分と。人間は本来、その両方を持っていると思われる。
歴史的・社会的諸条件によって、どの部分が表に出るかが変わってくるのだ。現代の日本人は、「すさまじい神」を求めたくなるような、厳しい状況に入りつつあるのかもしれない。
これまでのところ、日本人が祝うクリスマスとは、「客」達の中に混じったキリストが大人しく末席に座っている、という感じだろうか。
現代日本人は、『旧約聖書』をどういう風に越えればいいのだろう。
クリスマスケーキでも食べて、ゆっくり考えるとしよう。
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西洋・東洋の枠組みをなぜ‘仮設’するか
小谷予志銘 遠藤が言う、東洋・西洋の枠組みへの疑問。また、私がその枠組みに単純に乗っかっているかのように受けとめたコメントがありましたので、補足しておきます。
確かに、聖母信仰などを取りあげれば、西洋人の宗教観にも、日本人の観音信仰とか土着神への信仰に近いものを見出す事ができます。遠藤の日本人論を、そういう指摘により覆すのは、実は簡単です。
しかし、○○論には必ず該当しない例もある事を認めた上で、あえて○○論を‘仮設’しているという、私の記事の趣旨をご理解下さい。
西洋・東洋の枠組みで簡単に論じられない、という指摘に対しては、例えば、岡田温司の『キリストの身体』(中公新書)を参照できます。
この本には、「美しいキリスト、醜いキリスト」という章があって、“キリストの「醜さ」のうちにこそむしろ、神の恩寵はあらわれる”という概念が指摘されてます。
この概念は、異教やユダヤ教には存在しない、“おそらくキリスト教に特有の感受性であるといえる”と、岡田は書いてます。
いわゆる「神性放棄」という概念で、イエスがへりくだり人間と同じものになったという考え方だそうで、やはり使徒パウロに由来するものだという事です。
とはいえ、キリスト教内部でも、初期の教父達以来、キリストが美しいか否かで議論が続いていたとのこと。特に、イタリア美術では、十字架上のキリストも含めて、「醜い」キリストが主流となることはなかったそうです。
この事例と共に、ルネサンスやマニエリスムの画家達が受難のキリストを美しく画いたことに対し、カトリックの聖職者達が批判していた例も、岡田温司は紹介しています。
要するに、「すさまじい神」に対する西洋人の態度も一様ではない事が、うかがえる訳です。
その上で敢えて私は、「我々は客をもてなすように、神に初穂や食べものを捧げる民族である。」という遠藤の日本人論に注目します。
この日本人論から、日本人・日本文化の美質と限界とを、共に考える事ができるからです。
小谷予志銘 遠藤が言う、東洋・西洋の枠組みへの疑問。また、私がその枠組みに単純に乗っかっているかのように受けとめたコメントがありましたので、補足しておきます。
確かに、聖母信仰などを取りあげれば、西洋人の宗教観にも、日本人の観音信仰とか土着神への信仰に近いものを見出す事ができます。遠藤の日本人論を、そういう指摘により覆すのは、実は簡単です。
しかし、○○論には必ず該当しない例もある事を認めた上で、あえて○○論を‘仮設’しているという、私の記事の趣旨をご理解下さい。
西洋・東洋の枠組みで簡単に論じられない、という指摘に対しては、例えば、岡田温司の『キリストの身体』(中公新書)を参照できます。
この本には、「美しいキリスト、醜いキリスト」という章があって、“キリストの「醜さ」のうちにこそむしろ、神の恩寵はあらわれる”という概念が指摘されてます。
この概念は、異教やユダヤ教には存在しない、“おそらくキリスト教に特有の感受性であるといえる”と、岡田は書いてます。
いわゆる「神性放棄」という概念で、イエスがへりくだり人間と同じものになったという考え方だそうで、やはり使徒パウロに由来するものだという事です。
とはいえ、キリスト教内部でも、初期の教父達以来、キリストが美しいか否かで議論が続いていたとのこと。特に、イタリア美術では、十字架上のキリストも含めて、「醜い」キリストが主流となることはなかったそうです。
この事例と共に、ルネサンスやマニエリスムの画家達が受難のキリストを美しく画いたことに対し、カトリックの聖職者達が批判していた例も、岡田温司は紹介しています。
要するに、「すさまじい神」に対する西洋人の態度も一様ではない事が、うかがえる訳です。
その上で敢えて私は、「我々は客をもてなすように、神に初穂や食べものを捧げる民族である。」という遠藤の日本人論に注目します。
この日本人論から、日本人・日本文化の美質と限界とを、共に考える事ができるからです。
「キンドル」のサービス開始に向けて、アマゾンと日本の出版社各社との交渉が、難航しているようだ。販売価格決定権を握りたいアマゾン(流通側)に対し、出版社側が反発しているらしい。(11月8日,『朝日新聞』朝刊)
(・_・?)(._. )( ・_・)(・_・ )( ・_・)(・_・?)(._. )
私は釣られて(?)、青空文庫からダウンロードした小林多喜二の『党生活者』(1932年,昭和7年 生前未発表)を、「smoopy」というソフトで開いてみた。
まず、「smoopy」のウィンドウの大きさを、読みやすさを考えて調節する。
1ウィンドウに表示される文字数が、文庫本1頁ぶんくらいになるようにしてみる。
縦書きで、1行が36字、1頁が16行程度になるように合わせると、『党生活者』は全部で130ページ余である。いわゆる中編小説である。
しかし、モニタ上で130ページというのは、なんとなく気が重い。
そこで、「smoopy」のウィンドウをディスプレイ一杯に広げてみると、40ページほどになった。しかしこれはこれで、読む気が削がれる。
電子書籍の読みにくさ・読みやすさとは、どういうことなのだろう?

いま私が考えているのは、モニタが液晶バックライトか電子ペーパーか、という問題ではない。
現在の電子書籍の根本的問題は、量を直感的に把握できないということだ。
例えば、「smoopy」のウィンドウの下には、水平スクロールバーと1頁ずつ前後に送るためのボタンがある。
スクロールバーのノブ(つまみ)の位置を見ると、小説全体のどの辺りを読んでいるのかが分かる。同様に、ページ数で今43ページを読んでいるのであれば、全部で130頁の43ページだから、全体の3分の1あたりを読んでいるのだと見当をつけられる。
しかし、そういう風に見当をつける事は、紙の本を手にして分量を把握する事とは、異質である。
縦書きの本だと、本を読み進めるにつれ、開いた本の右側の厚みが増し、左側が薄くなっていく。
こういう量感は、1冊の本を受容する場合に、実は大切な情報だと私は考えている。分量というのは、その本文の調子とか呼吸などと関わっていて、内容の理解に間接的にせよ役立っているはずだ。
電子書籍で原稿用紙100枚以上もの小説を読むとなると、私はその量感のなさのために、しばしば挫折する。
スクロールバーのノブを見て、“今3分の1あたりだから、あとは今まで読んだ量の倍くらい読むと終わるのね”と思うことはできる。ただ、それが有効なのは一気に読み切る場合だろう。途中で置いて、その3分の1の量感を忘れたら…。そこでアウトである。分量と内容の関連について、どこかで勘を働かせていたのが、もう効かない。
電子書籍の今後の課題(技術面)は、デジタル情報の‘擬アナログ化’だと思う。
‘擬アナログ化’とは、例えばディスプレイ上で時間表示をする時、10:22 という風に表示せず、わざわざアナログ時計の短針長針を描いてみせるようなものだ。

段ボール箱みたいだったパソコンが、そう長くない年月の間にマナ板よりも薄くなった事を考えれば、そういうことも何時か実現するのだろう。
SINさんのブログで、3D映像の仮想物体を手でつかんだり動かしたりできる技術「Holodesk」が紹介されている。
↓↓↓
【触れられる立体映像】最近のホログラムの技術が凄すぎる!
私が待ち望んでいるのは、分量についての情報を直感的に得られる電子書籍端末であるらしい。
論理的・実用的な文章ならともかく、小説のような美的なものは、今のソフトや端末では私には少しきつい。特に、小説で中編以上の長さのものは、今の電子書籍では辛い。結局、多喜二の『党生活者』を紙の本で読んだ。
日本の技術者の皆様! ユーザーはアップルの模倣よりアップルそのものを選ぶでしょう。本当に使える電子書籍関連の技術を生み出して、日本の主導権を回復して下さい!! 聞こえますかぁー。
聞こえないだろうな。(- -;*)

『党生活者』を読むと、地下に潜行した多喜二らがどんな風に活動していたのか、想像される。「個人生活」を捨てた人間が、どういう理由で雨を喜び、どういう理由で夏が過ぎ去るのを望むか。
私にはちょんびりもの個人生活も残らなくなった。今では季節々々さえ、党生活のなかの一部でしかなくなった。四季の草花の眺めや青空や雨も、それは独立したものとして映らない。私は雨が降れば喜ぶ。然しそれは連絡に出掛けるのに傘をさして行くので、顔を他人(ひと)に見られることが少ないからである。私は早く夏が行ってくれゝばいゝと考える。夏が嫌だからではない、夏が来れば着物が薄くなり、私の特徴のある身体つき(こんなものは犬にでも喰われろ!)がそのまゝ分るからである。早く冬がくれば、私は「さ、もう一年寿命が延びて、活動が出来るぞ!」と考えた。たゞ東京の冬は、明る過ぎるので都合が悪かったが。
私は、以前の記事で、追いつめられた多喜二の頭を‘転向’という考えがよぎったかもしれない、と書いた。しかし『党生活者』の次の箇所を読むと、この人は本当に不退転だったのではないか、と思えて、少し怖くなる。
若しも犠牲というならば、私にしろ自分の殆(ほと)んど全部の生涯を犠牲にしている。須山や伊藤などゝ会合して、帰り際になると、彼等が普通の世界の、普通の自由な生活に帰ってゆくのに、自分には依然として少しの油断もならない、くつろぎのない生活のところへ帰って行かなければならないと、感慨さえ浮かぶことがある。そして一旦(いったん)つかまったら四年五年という牢獄が待ちかまえているわけだ。然しながら、これらの犠牲と云っても、幾百万の労働者や貧農が日々の生活で行われている犠牲に比らべたら、それはものゝ数でもない。私はそれを二十何年間も水呑(みずのみ)百姓をして苦しみ抜いてきた父や母の生活からもジカに知ることが出来る。だから私は自分の犠牲も、この幾百万という大きな犠牲を解放するための不可欠な犠牲であると考えている。
(『党生活者』)
イエス・キリストみたいな人間が何人もいる、という風には、私はあまり考えたくないのだけれど。
【関連記事】
伊藤整の青春.6-プロレタリア文学
『蟹工船』-小林多喜二の文学(1)
(・_・?)(._. )( ・_・)(・_・ )( ・_・)(・_・?)(._. )
私は釣られて(?)、青空文庫からダウンロードした小林多喜二の『党生活者』(1932年,昭和7年 生前未発表)を、「smoopy」というソフトで開いてみた。
まず、「smoopy」のウィンドウの大きさを、読みやすさを考えて調節する。
1ウィンドウに表示される文字数が、文庫本1頁ぶんくらいになるようにしてみる。
縦書きで、1行が36字、1頁が16行程度になるように合わせると、『党生活者』は全部で130ページ余である。いわゆる中編小説である。
しかし、モニタ上で130ページというのは、なんとなく気が重い。
そこで、「smoopy」のウィンドウをディスプレイ一杯に広げてみると、40ページほどになった。しかしこれはこれで、読む気が削がれる。
電子書籍の読みにくさ・読みやすさとは、どういうことなのだろう?

いま私が考えているのは、モニタが液晶バックライトか電子ペーパーか、という問題ではない。
現在の電子書籍の根本的問題は、量を直感的に把握できないということだ。
例えば、「smoopy」のウィンドウの下には、水平スクロールバーと1頁ずつ前後に送るためのボタンがある。
スクロールバーのノブ(つまみ)の位置を見ると、小説全体のどの辺りを読んでいるのかが分かる。同様に、ページ数で今43ページを読んでいるのであれば、全部で130頁の43ページだから、全体の3分の1あたりを読んでいるのだと見当をつけられる。
しかし、そういう風に見当をつける事は、紙の本を手にして分量を把握する事とは、異質である。
縦書きの本だと、本を読み進めるにつれ、開いた本の右側の厚みが増し、左側が薄くなっていく。
こういう量感は、1冊の本を受容する場合に、実は大切な情報だと私は考えている。分量というのは、その本文の調子とか呼吸などと関わっていて、内容の理解に間接的にせよ役立っているはずだ。
電子書籍で原稿用紙100枚以上もの小説を読むとなると、私はその量感のなさのために、しばしば挫折する。
スクロールバーのノブを見て、“今3分の1あたりだから、あとは今まで読んだ量の倍くらい読むと終わるのね”と思うことはできる。ただ、それが有効なのは一気に読み切る場合だろう。途中で置いて、その3分の1の量感を忘れたら…。そこでアウトである。分量と内容の関連について、どこかで勘を働かせていたのが、もう効かない。
電子書籍の今後の課題(技術面)は、デジタル情報の‘擬アナログ化’だと思う。
‘擬アナログ化’とは、例えばディスプレイ上で時間表示をする時、10:22 という風に表示せず、わざわざアナログ時計の短針長針を描いてみせるようなものだ。

段ボール箱みたいだったパソコンが、そう長くない年月の間にマナ板よりも薄くなった事を考えれば、そういうことも何時か実現するのだろう。
SINさんのブログで、3D映像の仮想物体を手でつかんだり動かしたりできる技術「Holodesk」が紹介されている。
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【触れられる立体映像】最近のホログラムの技術が凄すぎる!
私が待ち望んでいるのは、分量についての情報を直感的に得られる電子書籍端末であるらしい。
論理的・実用的な文章ならともかく、小説のような美的なものは、今のソフトや端末では私には少しきつい。特に、小説で中編以上の長さのものは、今の電子書籍では辛い。結局、多喜二の『党生活者』を紙の本で読んだ。
日本の技術者の皆様! ユーザーはアップルの模倣よりアップルそのものを選ぶでしょう。本当に使える電子書籍関連の技術を生み出して、日本の主導権を回復して下さい!! 聞こえますかぁー。
聞こえないだろうな。(- -;*)

『党生活者』を読むと、地下に潜行した多喜二らがどんな風に活動していたのか、想像される。「個人生活」を捨てた人間が、どういう理由で雨を喜び、どういう理由で夏が過ぎ去るのを望むか。
私にはちょんびりもの個人生活も残らなくなった。今では季節々々さえ、党生活のなかの一部でしかなくなった。四季の草花の眺めや青空や雨も、それは独立したものとして映らない。私は雨が降れば喜ぶ。然しそれは連絡に出掛けるのに傘をさして行くので、顔を他人(ひと)に見られることが少ないからである。私は早く夏が行ってくれゝばいゝと考える。夏が嫌だからではない、夏が来れば着物が薄くなり、私の特徴のある身体つき(こんなものは犬にでも喰われろ!)がそのまゝ分るからである。早く冬がくれば、私は「さ、もう一年寿命が延びて、活動が出来るぞ!」と考えた。たゞ東京の冬は、明る過ぎるので都合が悪かったが。
私は、以前の記事で、追いつめられた多喜二の頭を‘転向’という考えがよぎったかもしれない、と書いた。しかし『党生活者』の次の箇所を読むと、この人は本当に不退転だったのではないか、と思えて、少し怖くなる。
若しも犠牲というならば、私にしろ自分の殆(ほと)んど全部の生涯を犠牲にしている。須山や伊藤などゝ会合して、帰り際になると、彼等が普通の世界の、普通の自由な生活に帰ってゆくのに、自分には依然として少しの油断もならない、くつろぎのない生活のところへ帰って行かなければならないと、感慨さえ浮かぶことがある。そして一旦(いったん)つかまったら四年五年という牢獄が待ちかまえているわけだ。然しながら、これらの犠牲と云っても、幾百万の労働者や貧農が日々の生活で行われている犠牲に比らべたら、それはものゝ数でもない。私はそれを二十何年間も水呑(みずのみ)百姓をして苦しみ抜いてきた父や母の生活からもジカに知ることが出来る。だから私は自分の犠牲も、この幾百万という大きな犠牲を解放するための不可欠な犠牲であると考えている。
(『党生活者』)
イエス・キリストみたいな人間が何人もいる、という風には、私はあまり考えたくないのだけれど。
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