アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
キリスト教文学会北海道支部の研究会に行ってきた。
研究会になんて出席するのは、8年ぶりか?10年ぶりか?
ろくに出席してなかったにもかかわらず、その時期さえ覚えていないのは、それだけ私の日常が荒れていたという事。

今はもう、人に何と言われようがワルもの呼ばわりされようが、自分が死ぬときに思い残す事の無いよう、自分のやりたい事をやろうと思う。

私は過去に、日本文学研究の領域でいくつか‘論文’も書いているのだが、自分のその‘業績’が残念ながら好きではない。
私はこれまで、自分がかつて研究対象にしてきた或る作家への違和感を、無意識の方に押しやってきた。しかしこのところずっと、遠藤周作や伊藤整を読み返す中で、その或る作家への違和感を意識せざるを得なくなり、困っている。
私は、言うなれば、その作家が時おり使う‘粗雑な’言葉に嫌悪を感じているのだ。
その作家が若かった頃、評論に感じていた粗雑さは、小説の中には認められなかった、と思う。だから私は、評論と小説を別物として受け止めておけばよかった。しかし作家がキャリアを積むにつれ、評論の粗雑さが小説に入り込んできて・・・・。

研究というのは本来、対象への好悪の情なんかに左右されない、客観的な立場からなされるべきものだ、と叱られるだろう。そのお叱りに対し、私は今は黙るしかない。
が、某作家への違和感を、それが湧いてくる原因も含めて、距離を置いて解き明かす事が可能になる日も、いつか来るかもしれない。

それまでは、遠藤や伊藤という豊かな鉱脈を掘り返しながら、今ブログで書いているようなエッセイを綴る事で、私は自分を解き放ちたいと思う。遠藤や伊藤の言葉の力によって、私は息を吹き返しつつある。
私は今度こそ、自分の実感をおろそかにすまい。

萌芽更新

「日本キリスト教文学会」という会は、〈文学〉と〈キリスト教〉の関係論を研究する学会なので、キリスト教徒である作家はもちろん、非教徒でキリスト教の周囲をぐるぐる回っている作家の事を考える為に、有効な視点を得られる場である。
学会員自体も、信徒と非信徒との両方で構成されていて、私は非信徒なのだが、肩身が狭いなんて事は無い。
加えて北海道支部の場合、詩に関する活動が活発で、そういう面でも、私のこれからの一つの足場になるだろう。

さて、研究会の今回のテーマは、アメリカの詩人、アン・セクストン(1928-1974)について。
1967年にピュリッツア賞を受賞している詩人だが、日本での知名度は低い。私は初めて読んだ。詩集を入手するのも困難だったが、講演者である木村淳子氏の論文が、ネット上で入手できた。それを読んで、研究会に出席。

木村氏によると、マサチューセッツ州に生まれたセクストンは、ニューイングランド地方のピューリタンの伝統に根ざした詩人である。ただ、アンが求めた神は「既成の神ではなかったようである」とのこと。教会が首をかしげるようなハミ出しのクリスチャンは、なにも遠藤周作に限ったものではないらしい。

アン・セクストンは、家庭の中での余計者という自己認識などから精神を病み、精神病院に送られ、何度か入退院を繰り返した。治療の一助として詩を書き始め、8冊の詩集を書き残したが、46歳で自ら命を絶ってしまった。
セクストンが書いた詩は、アメリカの口語を用いた定型詩といえるもので、自由詩よりも定型詩の方が、アンの「絶えず揺れて病まない精神をつなぎとめておこうとする」ために、また彼女の「精神世界の広がりの範囲を劃する」ために有効だったらしい。
すっかり混乱してしまった近代の人間には、枠があった方が良い場合があるのだろう。

今回の講演で木村氏が取り上げた“Flee on Your Donkey”(ロバに乗って逃げよ)は、「非常にパーソナルな体験が、日常的な言葉を素材にして、一つの型にはめられるとき、そこに普遍的な、しかも感情を排除した別の世界があらわれてくる」、その良い例なのだという。

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木村氏の講演の主旨は、ミドルブルック氏のアン・セクストン評伝への異論。
ミドルブルックは、“Flee on Your Donkey”が、ランボーの「飢餓の饗宴」とロバに乗ってエルサレムに入城したイエス・キリストとを結びつけて書かれたとする。つまり、ロバに乗って行った先には、死(磔刑)があるのだった。
しかし、木村氏の言うように、“Flee on Your Donkey”は死から生へ向かおうとする、アンの強い願いを読んだものだと、私も思った。その場合にイメージされるのは、幼児キリストが、ヨセフやマリアと共に、ヘロデ王の嬰児殺しからロバに乗って逃亡する姿だ。
アンの生への渇き。240行の長い詩の中から、その思いを一部引用すると。

Six years of such small preoccupations!
Six years of shuttling in and out of this place!
O my hunger! My hunger!
I could have gone around the world twice

こんなつまらないことをして過ごしてきた六年間だ!
ここ(精神病院)に出たり入ったりの六年間だ!
ああ、私の飢え、私の飢え!
私は地球を二回まわることだって出来たはずだ。

Anne,Anne,
flee on your donkey,
flee this sad hotel,
ride out on some hairy beast,
gallop backward pressing
your buttocks to his withers,
sit to his clumsy gait somehow.
Ride out
any old way you please!
In this place everyone talks to his own mouth.
That's what it means to be crazy.
Those I loved best died of it-
the fool's disease.


アン、アン、驢馬に乗って逃げよ、この悲しいホテル(病院)から、お前の尻をその獣の首に当てて、そのぎこちない足取りに合わせて乗っていけ。好きな路を通って逃げてゆけ。ここではみんなが自分の言葉でしゃべっている。狂気とはそういうものだ。私の愛していた人々がそれで亡くなった、愚か者の病だ。


1962年に“Flee on Your Donkey”を書き上げたアンは、12年後、友人からもらったロザリオも返してしまい、自ら死を選んだ。
Flee on Your Donkeyとは、それ自体秀逸なメタファーだが、アンはロバに乗れなかったのだろうか?



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[2011/09/27 22:12] | 散文
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父親危篤との知らせを受けた伊藤整は、その頃、小樽の中学教師を辞めて東京商大に通っていた。
『若い詩人の肖像』によると、伊藤は帰郷するため、上野から小樽へ向かう夜汽車に乗った。昭和3年、伊藤が23歳の時である。

木道

途中の仙台で乗り込んできた3人連れの客が、伊藤の前と隣の席に座った。僧侶じみた口ひげのある男は、「新興宗教の教理のようなこと」を喋りだした。
男は、信者である2人の中年女と周囲の乗客達に向けて、「死者の霊」と遺族の関わりについて「ことさら声を高くして」話している。肉親が死んだ時に遺族が死者の霊をどう感じたか、とか、悪い人間が死者の霊に導かれて改心した、とかいう話である。

木道カラーネガ

「その本来の素直な心の働きに目覚めるとですよ、自分の父、自分の母、自分の兄弟というものの愛情なしでは、人間は一日も生きて行けないことが分かります。その人が死んでごらんなさい。どんなにその人が自分にとって大切な人であったか、それが分かって来ます。死んでしまってから分かるというのが馬鹿の特徴です。」
(『若い詩人の肖像』 7「詩人たちとの出会い」)

説教師がこう言ったとき伊藤は突然、自分の父が死にかけていること、自分の息子に愛された記憶を持たずに父が死ぬことを思い、泣き出してしまう。説教師は自分の「説教の効果を覚った」様子で、声を高めて言った。
「人というものは、みな善心を持っているもので、よい話を聞けばよい心が動くものです。私どもは、何の説明を聞かなくても、人が何を苦しんでいるかが、顔を見ただけで分かります。」

木道エンボス

伊藤は、自分がこの男の説教によって自分が改心したと思われていることに、「居たたまれない屈辱感」を抱く。

私は自分自身の心の動きで泣き出したのだ。私の心の破れ目が、この男の話で刺戟されたのは事実である。しかしその働きは、本来の私のものだ。父親というものを生理的に忌み嫌う青年の苦しさなんかお前に分かるものか、と私は思った。
私は涙の溢れている目で、その説教師に向かって言った。
「私のことは何もあなたの話とは、なんの関係もありません。私に構わないでください」

(『若い詩人の肖像』 7「詩人たちとの出会い」)

それに対して説教師は、「強情な人には、中々お救いが下らないものですからね」と言ってから黙った。

私は小説を読み返してみて、伊藤が書いている説教師の言葉が、ある宗教団体の言葉に酷似しているので、ナイーブではあるが、かなりショックを受けた。それらの言葉は、幼かった頃から大人になっても、私の耳にねじ込まれ続けた。(その宗教団体からは、数年前にやっと離脱できた)。

木道ソラリ

『若い詩人の肖像』は昭和31年の出版。伊藤が50歳を過ぎての作品であるから、23歳当時の体験をそのまま書いているとは限らない。実際‘文学研究’の領域では、『若い詩人の肖像』には様々な虚構があることが明らかにされている。
しかし、『若い詩人の肖像』に対する私の興味は、‘老境’にある人間が過ぎ去った‘青春’を結晶化した、その出来上がった姿に向かっている。だから、作中の説教師の言葉が、昭和初年代のものか、昭和30年頃のものかを、調べてみたいとは思わない。

それよりも、私には、「型どおりの偽善的な説教の形式」というのは何時までもしぶとく生き延びるのかもしれない、と思えて、どうも心穏やかになれない。
明治・大正の昔から、私が幼少期を過ごした昭和40年代、そして平成23年の今も、日本の何処かで、弱い立場の者を叱りつけるこんな声が響いているようで…。


霊界が許さないんだッ! 霊界に対して素直になりなさい。強情な人間には霊界のお手配はないよッ。

伊藤は作中で、説教師の話し方についてこう言っている。
「その話し方には、一度耳を傾けたものの心の弱い所を掴み、引きずりまわし、自分の膝下に引き据えてしまうような奇妙な力があった。」
そう。その類の人間の言葉には、奇妙な力がある。

私が信仰を強要されていた団体では、大会衆を前にした幹部の話しぶりは、声が高いどころの騒ぎではなかった。
まるでヒトラーの演説のようだった。天を、会衆の誰かを、指さしながら、マイクを前に何かに噛み付くようにしゃべっているので、その声は常に潰れていた。
でも、人間にとって本当に大切で、意味のある言葉なら、「ことさら声を高くして」話さなくても、ささやくような声でも人の耳に入るのではないか、と私は思っている。

木道ー魚眼

ところで伊藤整は、小樽で中学の教師をしていた時も、酒宴で意地の悪いことを同僚に言われて泣き出したことがあったらしい。(これも事実か虚構かは、私は知らない。)
「私には、ある簡単な言葉で突かれると自己を抑えられなくなる泣き所があるらしかった。一体それは何だろう。二度とも、自分が軽蔑している人間の単純な言葉使いで私は自己抑制を失ったのだ。」
(『若い詩人の肖像』)

そして私は、伊藤整の次のような言葉に、今や忘れ去られそうなこの作家の、‘批評家の魂’と言うべきものを見つけて、身震いするのである。

「単純な嘲弄に、それから型どおりの偽善的な説教の形式に、そういうものに私は破られたのだ。それを考えて見よう。泣き出すなどということは、案外機械的な単純なことなのかも知れない。少くとも私の経験では、泣くということは、本当の苦しみや本当の感動とは関係がなかった。それはある特定の場所に鍵を差し込まれると、涙の溜っていた室の扉がかちりと開くのに似ていた。それを考えて見よう。それが分らなければ自分が文学をやっているのは何のためだか分からなくなる、と私は思った。」
(『若い詩人の肖像』)

猫柳

私の経験においても、「泣くということは、本当の苦しみや本当の感動とは関係がな」い、という事は多々あった。

私の養育者は、鶴田浩二の歌う「明日はお発ちか」をレコードでかけては、私が泣き出すのを期待した。なんとも悪趣味な行為だが、それが戦死者への供養になるのだとか言われたので、私は拒否することが出来なかった。残念ながら私は、自分が悪者にされるのを避けようとする、甘ったれだったらしい。
すっかり覚えてしまうほど聴かされて、その度に私は思ったものだ。確かに戦死者も遺族も気の毒だが、その‘銃後の歌’の一種間の抜けたところ、お気楽さにはゲンナリする。こんな歌が本当に、戦時に人気があったのか? と。
つまり、私の涙は、私の「本当の苦しみや本当の感動とは関係がなかった」のである。
「船酔いせぬか 嵐は来ぬか」って…。そんなヤワな事じゃない、鉄砲の弾や爆弾が飛んでくる所へ、家の大事な男達を送り出すんだよな、と。
(「明日はお発ちか」の歌詞とメロディーは下記のサイトでどうぞ)
http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/asuwaotachika.html

伊藤整に戻ろう。伊藤は、自分を破ったものは何か、考えて見ようと言いながら、『若い詩人の肖像』を次の言葉で結んでいる。

「自分の心の内側の働きはまだオレに分っていない。そこには闇に閉じこめられた複雑な機械のようなものがある。」「そこをのぞいて見るのは怖ろしいことで、今のオレには出来そうもない、と私は思った。」

その後、中年期・老年期の伊藤が、「自分を破ったもの」の正体を見たのかどうか?
思い出せない。未読の作品も結構あるし…。なんとも覚束ない。


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[2011/09/19 00:10] | 伊藤整をめぐる冒険
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伊藤整は、大正14年20歳の時に、新設の小樽市中学校教諭となった。そこに、熊本の県立第一高等女学校長から新校長として転任してきたのが、吉田惟孝であった。

この広島高等師範卒の「ダルトン・プラン」の理論家は、生徒の家を毎日2,3軒ずつ訪問してまわった。
当時、家庭訪問というのは小学校の教師のすることだったらしい。中学校のまして校長が生徒の家庭を訪問するというのは、聞いたことがないと伊藤は書いている。

吉田校長は、昼の弁当を教師たちが毎日一緒のテーブルについて食べるよう取り計らい、その際、自分が続けている家庭訪問の結果を教師たちに話した。校長は、生徒一人一人の家庭の様子や、土地の人々の気風や特色を語り、教師たちは「完全にこの校長に支配されてしまったことを感じた」。

「この校長は、教育の方法があることを信じ、他人の子を教育してゆく自信を持っている、と私は感じた。教育ということを自信をもってやる人間のいることが私には意外だった。」(『若い詩人の肖像』 4「職業の中で」)

中島公園セピア

伊藤整が中学校の勤務と並行して、最初の詩集『雪明りの路』の校正と大学受験のための勉強を進めていた頃、校長の吉田惟孝は、長年抱いていた「ダルトン・プラン」の実践に取りかかった。

その教育理論は、現在でいうところの、習熟度別クラス編成・授業、に相当するようだ。
具体的には、50人ずつ2組に分けていた2年生を、成績別に30人ずつの3組に分ける。そして、成績の最も低いクラスには教科書を普通よりも緩慢に繰り返し教え、真ん中のクラスには普通の速度で教え、最も成績のよいクラスには教科書以外の内容も教える、というものだった。

「私は、以前のようにどこかに分からない子がおり、どこかに退屈している子がいる、といういやな気持ちから抜け出すことが出来た。」 (『若い詩人の肖像』)

伊藤は、「ダルトン・プラン」の効果をそのように認めている。
しかし、その試みのせいで「教師の労働は加重された」。
教師は3分の1ずつ持ち時間が増え、当時の一般的な週に18時間から、週に23時間も授業しなければならなくなった。
時間数だけではない。
出来ないクラスでの、緩慢な、繰り返しの説明は苦労であった。また出来るクラスでの早い進め方や補助の教科書を使うのも苦労であった。

中島公園

何時の時代にも同じ問題がある。習熟度別クラス編成については、効果と同時に色々な弊害もあろう。今、そこには立ち入れない。
さしあたって私が言いたい事は、教育効果と効率の問題。要は財政・お金の問題を、日本の公教育はどうにも出来なかったという事だ。

最近は少子化の為もあって、小学校では1クラスの人数が減少傾向にあるようだ。しかし、高校となると別で、1クラスに40人かそれ以上もの生徒を詰め込んでいる。教師の目が行き届くはずもないが、クラス数を増やして教師を多く雇う事は、財政上の問題で出来ない。財政を遣繰りしようと、本気になっていたようにも見えない。

黒雲ソラリ

私は20代の頃、ある県の新任教員研修で、お偉方が口にした不思議な言葉を聞いた。

「私は、育ちの良い先生に、生徒達の教育に当たってもらいたいんです。育ちの良い先生というのは、生徒達の悩みを受け止めて、自分の事のようにその解決にあたる事が出来ます。」

新任研修だから、採用の辞令は既に出ている。‘育ちの良くない’新人教師が混じっていた場合、ではどうすればいいのか?
採用選考で「育ちの良さ」を探る事は、人権上の問題などから難しいはずだ。もっと言えば、「育ち」というのは経済状態や家族構成で決まるような単純な事ではないから、探りたくても出来ないというのが実際だろう。
そのお偉方は、よほど歯痒かったと思われる。彼の奇っ怪な主張は、何度も未練がましく繰り返された。私は、その度に、自分が小さくなるような気がした。

そのお偉方の持論は、たぶんこうだ。
「育ちの良い」人間は、精神的・物理的ストレスに耐性を持ち、家族などからのストレスへの支援も得やすい。そして、そういう教師個人の‘自前の資産’に頼らなければ、教育現場の困難には対処できない。

しかし、「育ちの良い」ということは‘身分’みたいなものだ。育てられる側の子供には、選ぶ事も変える事も難しい。
そういう事柄を敢えて取りあげ、「育ちの良さ」による教員の力量を期待するという、公教育のお粗末さは、今の日本の停滞とつながっている。
教員養成課程とは、そういう‘資産’を持ち合わせない者に、力量を与えるためのものじゃなかったのか。


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[2011/09/11 00:30] | 伊藤整をめぐる冒険
[tag] 能力別クラス 授業時間数 効率
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kenkenkids
人としての本質は、育ちの良さでは測れませんよね。
教育者ともなれば、求められるの見識の深さと振り幅広さのように感じます。
それにはやはり、労して得たものが大きいのではないかと。

リンクの件、有難うございました。
こちらも貼らせて頂きましたので、今後とも宜しくお願い致します。

Re: kenkenkidsさんへ
小谷予志銘
”人としての本質は、育ちの良さでは測れませんよね。”
そう思います。「育ちの悪い」人間だからこそ逆に、という事もあるでしょうし。
そもそも「育ちの良い」の定義もあいまい。

だから、「育ちの良い」という事をワザワザ持ち出す人の考えが、私にはどうも分からないのです。
某県のお偉方だけではなく、大江健三郎も「育ち」のいい人間が好きみたいで(?)、読んでいるとよく出てくるのが前から気になってます。ノーベル賞作家への疑いが、ふと芽生えた瞬間でした。
彼が何を言いたいのか、いつか再読して考えてみたいですが、大江健三郎の小説、長い・・・・。



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