アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
文学の事を書いていて少し疲れたので、今日は気分転換を。

スーパーのI.Y堂でタマネギを買った。ネットスーパーで届けてもらった。
よく見ると、袋に4個パックされている内の1つが、カビていた。
一袋98円なので、1個24.5円である。
どうしようかなー、とちょっと考えた。クレームの電話を入れるのも面倒くさい。
しかし、これから先も買い物することだし、と思って電話した。
すると、責任者が代替のタマネギを持って、家にすっ飛んできた。
私は、あんまり迅速なのと丁重なのに、逆に恐縮してしまった。

たとえ24.5円の品でも、変な物を客の手に渡したら、店の信用が落ちてしまう。
客が苦情も言わずに黙ってそのタマネギを捨て、「2度と買うもんかっ!!!」と思ったりしたら…。
そういう所から店は傾いていったりするものだ。

前に別の大手スーパーで、袋入りのピーマンの1つが、やはりカビていたことがある。
その時は、私はクレームをつけず、腐ったピーマンを不愉快さと共にゴミ箱に投げ込み、以来その店では買い物していない。
なぜなら、たまたまピーマンがカビていただけじゃなく、その店の色んな物がおいしくなかったから。

赤い芽

その点、私を電話する気にさせたI.Y堂は、常日ごろの‘商い’の仕方が良かったという事だ。
全国の他の店舗の事は知らないが、私が買い物している店舗では、透き通るようなみずみずしいレンコンを売ったりしている(タマネギは1個カビてたけど)。
普通、売り場に並んでいるレンコンの切り口は、既に煮しめた後みたいに、ドンヨリと濁った灰白色だったりする。
普通じゃなく新鮮そうな、抜けるような白さの切り口を見て、私は加熱前のレンコンの一切れを、生でかじってしまった。それがなんとも、甘くておいしい。

私は、タマネギ1つのために米つきバッタみたいに頭を下げている責任者を見て、世の中何をやっても楽ではないなあ、と思った。

ことわっておくが私は、I.Y堂の関係者でも回し者でもない。
ただ、目立たない所で続けられている努力というのが、確かにあるんだなあと思ったので。
客の利益を守り、会社の利益を守り、結果として両方を成り立たせるためのノウハウの蓄積。

はて、私は、人を喜ばせつつ自分を守るために、どんなノウハウを持っているか?

とりあえず、パンを焼いた。
どういう脈絡だろう?

パン2

歳のせいか最近、工場で大量生産されるパンを食べると、後で気分が悪くなる。それで、手間がかかるけど仕方なく。

どうも、パンに加えられているショートニングなどを、身体が受け付けないようだ。
ショートニングを使うと、加工食品は傷みにくくなるらしい。不自然なほどに。

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[2011/08/31 20:05] | 北海道に移住して--食とか健康とか
[tag] ネットスーパー 食材 クレーム レンコンの生食 自家製パン 加工食品 ショートニング
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お腹こわしませんか
カロリーオフ
はじめまして.
レンコンを生食して,お腹大丈夫ですか.
透きとおるように白いから,灰汁が少ないんでしょうか?

パン,かわいい形ですね. ブルーベリーの実かお花みたい.
上にツンと立っているのは,どうやって作るんですか.


Re: お腹こわしませんか
小谷予志銘
コメントありがとうございます。
生で食べると言っても、小さな一切れ。流水でよく洗ったからでしょうか。
今のところ特に問題ないです。まあ、アクのこと等、本来生食する物ではないでしょうね。

パンについては、生地を丸めて発酵させた後、キッチン鋏でチョキチョキと。
十文字に切り目を入れてから焼きます。
プロが焼いているクープ入のパンにあこがれますが、クープナイフを使うのが怖いです。
手を切っちゃいそうで。



沖縄・与勝半島より
やけなかまじしⅢ
沖縄・与勝半島より初コメントです。
この記事、繰り返し拝読しました。

沖縄には残念ながらI.Y堂の店舗はありませんが、客の利益を守る心根が伝わりますね~

僕もその辺、心得ねばなりません・・

素敵な記事ありがとうございました。

Re: 沖縄・与勝半島より
小谷予志銘
やけなかまじしⅢさんへ

記事を繰り返し読んでいただけるというのは、私としては最高にうれしいです。
実は、再読に堪える文章を書きたいと、不遜な夢を見たりしておりまして。

日記とか備忘録のようなブログも多い中では、それは恐らく非主流でしょうから、せっかく来訪してくださった人が、「何じゃこれ???」と通り過ぎる事も多いでしょう。
悲しいかな、三つ子の魂百まで、という感じで、自分のスタイルはなかなか変えられないです。

でも、詩のような短い表現への憧れはあります。
私のようにダラダラ長く書けば、それなりに説得できるというか、もっともらしくなりますが。逆に言葉を切り詰めるのは、大変難しい事と思います。
「貧窮問答」のような、行間、語と語の間が生きているような表現は、真似したいですけど、なかなか…。

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伊藤整(1905-1969)を鳥に喩えるなら白鳥だと、私はずっと思っていた。
文学作品の受け止め方が年齢とともに変わる、というのは実にありふれた事だが、自分が40歳を過ぎてよく見ると、伊藤整という作家はなんだか、白鳥というよりも『白鳥の湖』のオデット/オディールを懸命に踊っているプリマのようではないか。

白鳥の湖

伊藤が21歳のときに出した最初の詩集『雪明りの路』は、“口語文の自由詩形式”に則って書かれたものである。伊藤自身が30年後に顧みているように、やや「幼稚」であるように感じられる面もあるが、それは「易しい言葉を並べる方法を取った」ことに原因の一つがあるのだろう。

「私は文語体が苦手で、象徴的表現を操れなかった。ただ私は自由詩の粗大さを嫌って、できるだけ圧縮した、無駄のない表現で、散文そのものにならない強さを得ようとして努力した。」
(『若い詩人の肖像』 6「若い詩人の肖像」)

『若い詩人の肖像』には、詩集の出版や発送や批評等のことで、伊藤が心を掻き乱されている様が詳細に書かれている。
詩の表現を自分の心の本当の表現だと信じていた」伊藤には、草野心平の「冬眠」は我慢がならなかったらしい。
「冬眠」の本文は ● という、黒丸1つである。それを、「全然誤魔化しかでたらめで人を驚かすような詩」だと、切って捨てている。
伊藤は、自分が書いた詩の価値を何とか見極めようと神経を尖らせる日々において、批評家としての資質を磨いていったのだろう。
これから世に出そうとしている詩がすでに「流行遅れになりかかって」いることを気にしつつ、「公平に言ってやっぱり自分の詩は悪くない」と思う。
その一方で、丸山薫の「病める庭園」(やめるにわ)を読んで、丸山の方が自分よりも詩が上手いと思い、不安になったりしている。

「丸山薫、こいつだけはオレの予定を狂わせた、と考え、きっとこの男は、痩せて、眼のぎょろぎょろした交際しにくい青年だろうと想像した。」

丸山の「病める庭園」は、百田宗治主宰の同人雑誌『椎の木』創刊号に、伊藤の「馬」と共に掲載された。伊藤が『若い詩人の肖像』に引いているのは、次のような詩だ。

静かな午さがりの庭さきに
父は肥つて風船玉の様に籐椅子に乗つかり
母は半ば老いてその傍に毛糸をば編む
いま春のぎようぎようしも来て啼かない
此の富裕に病んだ懶い風景を
では誰れがさつきから泣かすのだ
オトウサンヲキリコロセ
オカアサンヲキリコロセ

それはつき山の奥に咲いてゐる
黄ろい薔薇の葩びらをむしりとり
又しても泣き濡れて叫ぶ
此処に見えない憂鬱の顫へごゑであつた
オトウサンナンカキリコロセ!
オカアサンナンカキリコロセ!
ミンナキリコロセ!

(丸山薫,「病める庭園」)

伊藤はこの詩に、「題のない詩」や「さびしい来歴」で萩原朔太郎が創始したイメージが使われている、と指摘している。
「鳥の啼き声の擬人法だって、朔太郎の「とうてくう、とうるもう、とうるもう」というのがある。しかし真昼の空しい空虚感とよしきりの啼き声を「オトウサンヲキリコロセ」という言葉で示した効果は鋭かった。私はこの詩を作ったのが自分でないことが残念であった。」


馬の銅像

しかし、伊藤整の「馬」も、決して「悪くない」、素直で強い歌である。

馬よ いくら首を振らうとも
鈍重な車は離れないのだ。
馬よ さうして俯向いてゐても
もう考える事にも飽いたゞらう。
今朝も泥道は長々と続いて
せなかのこはい毛はさか立ち
馬具は古び 馬車追は貧しい。
もう諦めたことも忘れた頃だが
この泥道をたどる時は
ずつと昔の悲しみが少しは心を刺すらしい。
でも峠を登りつめて
青い朝風が谷から吹き上げると、
おまへは昔の
みやびた足なみを思ひ出してか
坂を下るにも何かたのしさうではないか。

(『雪明りの路』)

しかし、考えすぎの伊藤整は、丸山薫が発揮している“直感”によって傷つくのを、怖がっているのかもしれない。

詩の表現以外の言語表現を、私は真実のものと見ていなかった」ということと、「詩の中の感情や、詩の中の判断を日常生活の中に露出すれば、人を傷つけ、自分も傷ついて、この世は住み難くなることを、私は本能的に知っていた。」ということ。(『若い詩人の肖像』 1「海の見える町」)

この両方にまたがってできあがったのが『雪明りの路』なのだろう。


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[2011/08/29 19:30] | 伊藤整をめぐる冒険
[tag] 文学史 詩論 伊藤整 若い詩人の肖像 百田宗治 草野心平 丸山薫
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先日、居酒屋で夕食をとったとき、ライム風味の酎ハイを飲んだ。
その酎ハイがどうも変で、アルコールが入ってないのではないか、と思われる代物だった。飲んでいるうちに酔ってきたので、焼酎は確かに入っていたのだと分かった。ただ、何というか、アルコールの味がしないのだった。
メニューの表紙にも、綴りの違う英単語がデカデカと印刷されていて、店全体も何とも変であった。

盆栽convert

それで私は、小樽の或るレストランでの出来事を思い出した。
壁際のテーブルで食事をしていると、店員が別の家族連れを、私の隣のテーブルに導いた。ホールはとても広く、他のほとんどのテーブルが空いているにもかかわらず。
私は何でだ?と思ったが、私のテーブルにくっ付くようにして据えてある席に案内された家族の側も、いくぶん怪訝そうな顔をしていた。遠くから見ると、その親子4人連れと私たち夫婦は、1つのグループみたいに見えただろう。ともかく、2つのグループは、あからさまに席を変えてくれとも言えず、お互いに遠慮しながら大人しく食事をしていた。
親子連れのうち中年の母親は、3歳くらいの男の子に何か促すようなことを言う以外は、黙々と食べている。その男の子は、食べることより遊ぶことの方に気を引かれている様子だった。
そのうち、サラリーマン風の父親が、明るいはっきりした声で「うん、美味しい」と言った。

枝

少しの間、皆、黙っていた。バイキング形式の大皿から取ってきた料理は、どれもこれも、美味しいとはとても言えないものだった。辛すぎるとか、甘すぎるとか、脂っこいとか、そういう事ではなくて、どう言っていいか分からない類いのマズさだった。それで、その父親だけが、屈託のなさそうな勇ましいような様子で、パクパク食べているのが、一群から浮いた形になっていた。
その時、小学校4,5年生くらいの娘が、「味がない」とポツリと言ったのである。私はハッとした。まさにそのとおりだった。肉も、魚も、野菜も、その素材の味が全くと言っていい程なかった。父親はというと、娘のつぶやきが聞こえなかったという風に、相変わらず快活そうに、そのマズい料理をパクついている。おそらく、その父親は子供たちに手本を示すべく、快活さを自分に命じていたのだろう。一家の長として普段から、食べ物の事で文句を言ってはいけない、という風に子供に教育しているのではないか。それをよく知っている妻も、内心の不満を表に出さないようにしているらしかった。私は、その父親は良い親だと思った。そして、それ以上に、小学生の娘の、理解力・表現力に感心したのである。
その店を出てから、夫も、「あれだけ不味く作るのは難しいのではないか」と首をかしげ、それにしても「味がない」とは的確だと言った。私は、自分が日常的に食材を扱っている経験から、「冷凍と解凍を繰り返したりすると、衛生上は問題なくても、食材の味は格段に落ちるから」というような意見を言ってみた。要するに、あの不味さは、料理法の問題ではなく、良くない食材を使っている事に原因があると思う。

札幌の青空1

そして先日、焼酎の“味がない”酎ハイを飲みながら、小樽での少女の事を思い出した。私は、その少女と同年代だった頃の、子供時代の自分を、見直してやるべきかな、と思った。
子供の頃の私は、恒星の死に惹かれたり、ノストラダムスの大予言が気になって仕方がなかったりした。が、果たして“世界の終わり”を期待していたか? 密かに終末を待望していたと解釈するのは、大人になった自分の“荒廃”ではないか? 確かに、子供の私は、未来の破局にオノノイていたのだけれど、それは歓びからだとも言えるし、悲しみからだとも、畏れからだとも、どのようにでも言える性質の事だろう。
遠藤周作も短篇「雲仙」のなかで、こう書いている。
小説を書きだして十年彼はすべての人間の行為の中にエゴイズムや虚栄心などを見つけようとする近代文学が段々、嫌いになってきた」。エゴや虚栄心を除いた後の「残余の動機こそ、人間にとって、大切なものではないのか」と。
私は、子供なりに、恒星の生き死になどに心を惹かれながら、それを思うことで、生きようとしていた。そういう心の動きについて、性急に断罪せず、よく考えてみるべきなのだろう。私は、生きようとしていたのだから。


小樽では、食べ物の恨みは残ったが、街歩きは面白かった。小樽文学館では、小林多喜二のデスマスクに触れて、その顔の小ささに驚いたり、伊藤整の‘回転する資料棚’をギイギイまわしてみたりした。
やっと伊藤整だ。この文章のタイトルは、「伊藤整の青春(1)」だった。

黒雲1


伊藤整は、大正15年に最初の詩集『雪明りの路』を自費出版した。出来上がった詩集を百人程の詩人たちに贈った後で伊藤は、突然、自分の詩集がどういう風に詩人たちに読まれているかを想像し、後悔の念に襲われている。

「私は、ああっ、と叫び出したいような居たたまらぬ恥ずかしさを感じた。今それを感じたって、どうにも取り返しようのないことであった。消えてなくなれ、というような言葉が自分の口から出そうなのを、私は我慢した。」
(『若い詩人の肖像』昭和31年)

伊藤整は、一見優雅そうに見えて、このように実はジタバタジタバタしている。「消えてなくなれ」って…。その必死の抵抗ぶりが、面白い。




[2011/08/21 00:22] | 伊藤整をめぐる冒険
[tag] 子供の知性 終末思想 原理主義
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