小林多喜二「詩の公式」の電子テキストです。
初出は『山脈』,1927年(昭和2年)5月号
底本は『小林多喜二全集』第5巻(新日本出版社,1992)
(原文に付された傍点は省略しました。くの字点は表示困難の為、「まだまだ」という様に表記しました。)
テキスト中に2箇所、(註。)とありますが、1つめの(註。)については、『小林多喜二全集』の巻末にも解題にも、何の記述もありません。
2つめの(註。)については、『全集』の巻末注に以下のようにあります。
「『文芸戦線』の引用詩」一九二七年二月号のゲ・レレーウィッチ、蔵原惟人訳「アギートヵ万歳」のポロンスキイの詩
ブログで電子テキストを公開するのは、今回で一応最後です。
次回更新から、文学についての記事を再開する予定です。
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詩の公式
=生活、意識、及び表現の三層楼的関係に就いて=
誰が云ったか記憶はないが――「詩とは散文の終ったところから始まる」という言葉は自分を捉えている。
自分達が詩の鑑賞をする場合、散文の到達点と詩の出発点とのデリケートな感覚的認識能力のない限り、自分達にとって詩はついに無用の長物でしかなくなるであろう。リトマス試験紙のように、或いは電気のようにビリンと来たらビリンと反応出来る感情の訓練が必要である。狂った検温器のようでは何んにもなるまい。
然し前の言葉はモット重要な意義を我々に与えているのだ。それは、そういう詩を創造(クリエート)するものの生活実体についてゞある。自分達の生活の大半が散文的であり、その反射形態(若しくは意識形態)として考えられる芸術(こゝでは詩)も当然その生活に順応するものであれば、そういう生活を生活しているものが、その必然の結果として、散文の終点から出発すべきものである詩を産み出すことが出来るか、という問題である。詩の発生起源として一般に考えられている事を正しいとすれば、詩とは太古に於いては戦勝の叫声であった。この事は、だから詩は平板な一つの流れとしての生活から産れるものでないことを証明している。詩は(劇もそうであるが)生活の危機から産れなければならないのである。この事が云われなくては前出の言葉はその実践的根拠を失うのである。――石狩川は何処から源を発しているか知らないが、とにかく旭岳の麓から石狩町の川口まで、その間幾つの滝があるか? 如何程の急流岸をかむ所があるか? 詩はそのときでなければ産れない。だから詩は「作るもの」ではない。詩人は自分が創造するものと自惚れているかも知れない。
然し「作られる」ものである、あらゆる芸術はそれがよってもって立っている生活実体の意識形態としての上層建築物であるに過ぎないからである(然し彼等が自惚れている限り、自分達が獅子舞いのように逆立ちをしていることを知らないのである。だから彼等は伽噺の裸の王様のようにお目出度く、まさにコペルニクス以前の人であることになる。)
彼等詩人と称するものは、自分の作詩意識の決定要因である生活そのものを考顧することなしに――そういう内的必然性なしに、生活実体に於ける散文的と詩的とのデリケートな判別能力のないものが、(御当人には定めし立派な詩に見えることだろうが)詩を作ることについて自分は云いたかったのである。これはムキに云う方が恥かしい位単純なことである。まゝ真理は馬鹿らしいことを云うものである。――「詩とは散文の終ったところから始まる。」と。然し、それをそうだからって、今度はこっちで馬鹿にする時は大目玉を受けるものと知らなければならない。(註。)
自分の隣に若い女がいる。何か書いている。何を書いているのか、と自分が訊ねると、詩を書いているのだ、と答えた。そして紙の下の方に行かないうちに行(ぎょう)を変えて書いている。何故途中で行をかえるの、自分がそう重ねてきいた。女は自分の顔を一寸の間見ていたが、顔をしかめて、フンという風に肩を縮めて横を向いてしまった。自分は取りつく島がなくなった。そこで今度は自分は諸君にこの事をきいてみたいと思うのである。
詩を作る人達が作詩の態度上「行(センテンス)をかえることに」必然的気迫を感じてそうするのか。「どうしても」行をかえなければならないからかえるのか。それとも、詩は今も昔も、日本も外国も行をかえてかくことになっているからそうするのか。
「行を途中でかえるから詩になるのではない。」と、若しこの場合自分が向き直って云ったとしたら、皆んなはその単純の故に笑うであろうか? 笑っていゝかも知れない、笑える人には。然しそうでない人は笑う前に七ツ位心のうちで数をかぞえてからしてはどうであろう。
問題は、詩人のその熟し切った作詩意識とそれがやがて導入されるべき必然の形式たるものゝ間に横たわるギャップについてゞある。(この二つのものゝ過程を自分は表現と思っている。)彼等が若しそこを飛躍するならば足は地を離れなければならない。(自然は飛躍せず。)一種の芸当である、危い。そこに形式への導入の嘘が存在することになる。しかも彼等は自分がジャンプをしながら、そう見せない。こゝに必然的な致命傷がある。木造家屋の外側にコンクリートを塗った建物である。
彼等はまずその作詩意識と導入形式を埠頭とそれにピッタリ横付けにされた船との関係のように、二種の液体間の拡散のようにすべきであった。(ストリンドベルグはその自然主義的な立場から、詩について、人間は日常あんな白粉臭い言葉なんか使わない、と云って斥けたことは、色々議論のあることゝしても、鋭敏にもこのギャップに気付いたことを証明しているのである。)
自分はさきに、作詩の意識は彼等自身の生活実体が決定すべきで、高貴にして独創的な頭脳がそれを決定すると自惚れることが如何に錯覚であり、倒立ちであるかを明かにした、そこで今度は、また導入の形式も、最新のフランス帰りの土産物としてピョコピョコ決して生れるものではなくして、その決定要因は、深く生活に根差すことによって必然的に醸し出された作詩意識に依ってである、ということを述べたいのである。
生活→作詩意識→表現。まさにその相互関係は三階の建物である。
意識は生活の湯気である。意識はその根底にその人自身の生活を持っていない限り、蜃気楼である。(小説のことであるが)自分は新感覚派が流行してきたとき、若しその人達の生活それ自体の必然的な意識形態としてああいう作風が生まれて来たのだ、としたら勿論問題外だが、将して彼等自身そうか、と疑いを最初にもった。豈はからんや。彼等は芸術はカイライであり、細工物である、と考えていた。こゝに大きな誤りがある、(芸術は彼等が勝手に作るものではなくして、作られるものであることを述べた筈である。)最初はなる程謂うところの新感覚派的のものが出来た。が、根が空に浮いている。水分を何者からも吸いあげることが出来ない。枯れなければならなくなった。自分自身に嘘をついて、自分とその導入形式との間のギャップ(殆んど無関係な位と云っていゝ。)がとてつもなく大きいのを知らん顔をしてジャンプをしているのだ。化の皮! そしてそれとは逆にプロレタリア文学が、たとい如何様なる批判を下され、沮まれようとも「底力のある」強力をもってジリジリと進展してきたことは何を意味しているか。これで、前にのべた三層楼的関係の第一、第二、第三命題が事実の側から証明されたことになると思う。
自分は横になって天井を見ている。それからボンヤリ側にあった詩の本を一冊取りあげて、ボンヤリ頁をめくって行く。
「涙」「月」「恋人」「白き手」「季節」「砂丘」「レター」「キッス」「唇よ」「髪の匂い」「夕べ」「シャンデリヤ」「ゴンドラ」「マロニエー」「シャンゼリゼエ」「並木道(ヴウルヴアル)」「瓦斯燈」「カクテル」「カフェー」「ナポリ」「サモワアル」「すゝき」……一寸の間にこんな言葉が何度も出てくる。こうなる。と詩用語辞典が出来上りそうだ。さて、今挙げたこれ等最大公約数をもって、誰かの詩を順次に割ってみる。ところが答えが皆零である。一・二位ならいゝ方であろう。即ちこの事は、(算術の法則に従えば)その詩の内容は結局これ等最大公約数しか包んでいなかったということである。(勿論この美しい言葉についてはまだ言わなければならない事があるけれども長くなるから省く。)
で、又馬鹿らしい真理はこゝにも又もう一度ひっぱり出されなければならない。「そんな言葉を並らべたからって詩は出来上らない。」
然し、こう云うこともあったのである。――たゞ単に外形的なリズムを持ってきて、それにピンセットで活字を一つ一つ拾ってきてはめこんで(どんな活字でもはまる活字ならいゝのである。)詩というものを作った、ということが。あの有名な「逆立ち」である「この土手に上るべからず警視庁」はこの典型的なものである。が、諸君はすぐ「まあ!」とか「馬鹿にしてらァ」という前に、「朝起きて、飯を食っていたら、友達が来て、学校へ行って……」なんて詩を作ることをやめなければならないと同様に、枕詞、中詞、尻詞の固定的、外面的約束にたゞ単純な理由で捉われないようにしなければならないのではあるまいか。
作家、若し 彼が――波であり、
大海が――ロシアであるならば、
大海の立騒ぎし時、
いかでか 立騒がざるを得よう。(文芸戦線より。)
(註。)これ等の関係についてはまだまだ云い足りないし、触れなければならない事で全然触れていない所がある。が、余白がないのである。然し一言したいのは、あゝいう云い方のため人間の立つ瀬がなくなり、極端に人間が不自由になり、決定的で、宿命的になってしまった、と思うのではないか、という事である。然しそれは短見である。これは丁度人間が空気の中に住んでいる場合、人間はその空気を吸って生きているという制限を受けているのであって、その不自由を逃れようとすれば死なゝければならない。そして人間は空気によって生きているというこの中では自由なのである。だから人間の自由は自然の法則に意識的に服従することであり、それは又自然の認識を前提する。「自分は室の中に住んでいればその室に束縛を受けるのである。室の外に出るにも扉に手をかけて開けなければならない。然しそういうことに従って、自分が外へ出ようとする自分の決意には自由がある。その反対にこの室の中に雀でもまぎれ込んだなら逃げようとして勝手に飛び廻る、だから表面上は自由に思うまゝに振舞っているように見えても、実際には盲目的に外物の支配をうけているのであるから、結局不自由である。室内の構造を知尽することにより、出るべき場所から静かに出てゆく人間の上にのみ真の自由はある」(河上肇)如何に滅茶苦茶の雀詩人の多いことか。彼等はあのギャップのまわりを飛んで廻って、結局鼻先を砕いて死ぬ自由を持つであろう。が、本当のところ此処へカントの所謂先験の哲学、超経験の問題が論議されなければならないのであるが、自分としてもこの間の問題に就いては未解決なのである。いずれ触れることがあるであろう。
初出は『山脈』,1927年(昭和2年)5月号
底本は『小林多喜二全集』第5巻(新日本出版社,1992)
(原文に付された傍点は省略しました。くの字点は表示困難の為、「まだまだ」という様に表記しました。)
テキスト中に2箇所、(註。)とありますが、1つめの(註。)については、『小林多喜二全集』の巻末にも解題にも、何の記述もありません。
2つめの(註。)については、『全集』の巻末注に以下のようにあります。
「『文芸戦線』の引用詩」一九二七年二月号のゲ・レレーウィッチ、蔵原惟人訳「アギートヵ万歳」のポロンスキイの詩
ブログで電子テキストを公開するのは、今回で一応最後です。
次回更新から、文学についての記事を再開する予定です。
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詩の公式
=生活、意識、及び表現の三層楼的関係に就いて=
小林多喜二
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誰が云ったか記憶はないが――「詩とは散文の終ったところから始まる」という言葉は自分を捉えている。
自分達が詩の鑑賞をする場合、散文の到達点と詩の出発点とのデリケートな感覚的認識能力のない限り、自分達にとって詩はついに無用の長物でしかなくなるであろう。リトマス試験紙のように、或いは電気のようにビリンと来たらビリンと反応出来る感情の訓練が必要である。狂った検温器のようでは何んにもなるまい。
然し前の言葉はモット重要な意義を我々に与えているのだ。それは、そういう詩を創造(クリエート)するものの生活実体についてゞある。自分達の生活の大半が散文的であり、その反射形態(若しくは意識形態)として考えられる芸術(こゝでは詩)も当然その生活に順応するものであれば、そういう生活を生活しているものが、その必然の結果として、散文の終点から出発すべきものである詩を産み出すことが出来るか、という問題である。詩の発生起源として一般に考えられている事を正しいとすれば、詩とは太古に於いては戦勝の叫声であった。この事は、だから詩は平板な一つの流れとしての生活から産れるものでないことを証明している。詩は(劇もそうであるが)生活の危機から産れなければならないのである。この事が云われなくては前出の言葉はその実践的根拠を失うのである。――石狩川は何処から源を発しているか知らないが、とにかく旭岳の麓から石狩町の川口まで、その間幾つの滝があるか? 如何程の急流岸をかむ所があるか? 詩はそのときでなければ産れない。だから詩は「作るもの」ではない。詩人は自分が創造するものと自惚れているかも知れない。
然し「作られる」ものである、あらゆる芸術はそれがよってもって立っている生活実体の意識形態としての上層建築物であるに過ぎないからである(然し彼等が自惚れている限り、自分達が獅子舞いのように逆立ちをしていることを知らないのである。だから彼等は伽噺の裸の王様のようにお目出度く、まさにコペルニクス以前の人であることになる。)
彼等詩人と称するものは、自分の作詩意識の決定要因である生活そのものを考顧することなしに――そういう内的必然性なしに、生活実体に於ける散文的と詩的とのデリケートな判別能力のないものが、(御当人には定めし立派な詩に見えることだろうが)詩を作ることについて自分は云いたかったのである。これはムキに云う方が恥かしい位単純なことである。まゝ真理は馬鹿らしいことを云うものである。――「詩とは散文の終ったところから始まる。」と。然し、それをそうだからって、今度はこっちで馬鹿にする時は大目玉を受けるものと知らなければならない。(註。)
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自分の隣に若い女がいる。何か書いている。何を書いているのか、と自分が訊ねると、詩を書いているのだ、と答えた。そして紙の下の方に行かないうちに行(ぎょう)を変えて書いている。何故途中で行をかえるの、自分がそう重ねてきいた。女は自分の顔を一寸の間見ていたが、顔をしかめて、フンという風に肩を縮めて横を向いてしまった。自分は取りつく島がなくなった。そこで今度は自分は諸君にこの事をきいてみたいと思うのである。
詩を作る人達が作詩の態度上「行(センテンス)をかえることに」必然的気迫を感じてそうするのか。「どうしても」行をかえなければならないからかえるのか。それとも、詩は今も昔も、日本も外国も行をかえてかくことになっているからそうするのか。
「行を途中でかえるから詩になるのではない。」と、若しこの場合自分が向き直って云ったとしたら、皆んなはその単純の故に笑うであろうか? 笑っていゝかも知れない、笑える人には。然しそうでない人は笑う前に七ツ位心のうちで数をかぞえてからしてはどうであろう。
問題は、詩人のその熟し切った作詩意識とそれがやがて導入されるべき必然の形式たるものゝ間に横たわるギャップについてゞある。(この二つのものゝ過程を自分は表現と思っている。)彼等が若しそこを飛躍するならば足は地を離れなければならない。(自然は飛躍せず。)一種の芸当である、危い。そこに形式への導入の嘘が存在することになる。しかも彼等は自分がジャンプをしながら、そう見せない。こゝに必然的な致命傷がある。木造家屋の外側にコンクリートを塗った建物である。
彼等はまずその作詩意識と導入形式を埠頭とそれにピッタリ横付けにされた船との関係のように、二種の液体間の拡散のようにすべきであった。(ストリンドベルグはその自然主義的な立場から、詩について、人間は日常あんな白粉臭い言葉なんか使わない、と云って斥けたことは、色々議論のあることゝしても、鋭敏にもこのギャップに気付いたことを証明しているのである。)
自分はさきに、作詩の意識は彼等自身の生活実体が決定すべきで、高貴にして独創的な頭脳がそれを決定すると自惚れることが如何に錯覚であり、倒立ちであるかを明かにした、そこで今度は、また導入の形式も、最新のフランス帰りの土産物としてピョコピョコ決して生れるものではなくして、その決定要因は、深く生活に根差すことによって必然的に醸し出された作詩意識に依ってである、ということを述べたいのである。
生活→作詩意識→表現。まさにその相互関係は三階の建物である。
意識は生活の湯気である。意識はその根底にその人自身の生活を持っていない限り、蜃気楼である。(小説のことであるが)自分は新感覚派が流行してきたとき、若しその人達の生活それ自体の必然的な意識形態としてああいう作風が生まれて来たのだ、としたら勿論問題外だが、将して彼等自身そうか、と疑いを最初にもった。豈はからんや。彼等は芸術はカイライであり、細工物である、と考えていた。こゝに大きな誤りがある、(芸術は彼等が勝手に作るものではなくして、作られるものであることを述べた筈である。)最初はなる程謂うところの新感覚派的のものが出来た。が、根が空に浮いている。水分を何者からも吸いあげることが出来ない。枯れなければならなくなった。自分自身に嘘をついて、自分とその導入形式との間のギャップ(殆んど無関係な位と云っていゝ。)がとてつもなく大きいのを知らん顔をしてジャンプをしているのだ。化の皮! そしてそれとは逆にプロレタリア文学が、たとい如何様なる批判を下され、沮まれようとも「底力のある」強力をもってジリジリと進展してきたことは何を意味しているか。これで、前にのべた三層楼的関係の第一、第二、第三命題が事実の側から証明されたことになると思う。
◯
自分は横になって天井を見ている。それからボンヤリ側にあった詩の本を一冊取りあげて、ボンヤリ頁をめくって行く。
「涙」「月」「恋人」「白き手」「季節」「砂丘」「レター」「キッス」「唇よ」「髪の匂い」「夕べ」「シャンデリヤ」「ゴンドラ」「マロニエー」「シャンゼリゼエ」「並木道(ヴウルヴアル)」「瓦斯燈」「カクテル」「カフェー」「ナポリ」「サモワアル」「すゝき」……一寸の間にこんな言葉が何度も出てくる。こうなる。と詩用語辞典が出来上りそうだ。さて、今挙げたこれ等最大公約数をもって、誰かの詩を順次に割ってみる。ところが答えが皆零である。一・二位ならいゝ方であろう。即ちこの事は、(算術の法則に従えば)その詩の内容は結局これ等最大公約数しか包んでいなかったということである。(勿論この美しい言葉についてはまだ言わなければならない事があるけれども長くなるから省く。)
で、又馬鹿らしい真理はこゝにも又もう一度ひっぱり出されなければならない。「そんな言葉を並らべたからって詩は出来上らない。」
然し、こう云うこともあったのである。――たゞ単に外形的なリズムを持ってきて、それにピンセットで活字を一つ一つ拾ってきてはめこんで(どんな活字でもはまる活字ならいゝのである。)詩というものを作った、ということが。あの有名な「逆立ち」である「この土手に上るべからず警視庁」はこの典型的なものである。が、諸君はすぐ「まあ!」とか「馬鹿にしてらァ」という前に、「朝起きて、飯を食っていたら、友達が来て、学校へ行って……」なんて詩を作ることをやめなければならないと同様に、枕詞、中詞、尻詞の固定的、外面的約束にたゞ単純な理由で捉われないようにしなければならないのではあるまいか。
◯
作家、若し 彼が――波であり、
大海が――ロシアであるならば、
大海の立騒ぎし時、
いかでか 立騒がざるを得よう。(文芸戦線より。)
(註。)これ等の関係についてはまだまだ云い足りないし、触れなければならない事で全然触れていない所がある。が、余白がないのである。然し一言したいのは、あゝいう云い方のため人間の立つ瀬がなくなり、極端に人間が不自由になり、決定的で、宿命的になってしまった、と思うのではないか、という事である。然しそれは短見である。これは丁度人間が空気の中に住んでいる場合、人間はその空気を吸って生きているという制限を受けているのであって、その不自由を逃れようとすれば死なゝければならない。そして人間は空気によって生きているというこの中では自由なのである。だから人間の自由は自然の法則に意識的に服従することであり、それは又自然の認識を前提する。「自分は室の中に住んでいればその室に束縛を受けるのである。室の外に出るにも扉に手をかけて開けなければならない。然しそういうことに従って、自分が外へ出ようとする自分の決意には自由がある。その反対にこの室の中に雀でもまぎれ込んだなら逃げようとして勝手に飛び廻る、だから表面上は自由に思うまゝに振舞っているように見えても、実際には盲目的に外物の支配をうけているのであるから、結局不自由である。室内の構造を知尽することにより、出るべき場所から静かに出てゆく人間の上にのみ真の自由はある」(河上肇)如何に滅茶苦茶の雀詩人の多いことか。彼等はあのギャップのまわりを飛んで廻って、結局鼻先を砕いて死ぬ自由を持つであろう。が、本当のところ此処へカントの所謂先験の哲学、超経験の問題が論議されなければならないのであるが、自分としてもこの間の問題に就いては未解決なのである。いずれ触れることがあるであろう。
(一九二七・三・二〇)
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雪かきをすると、あとで腕や肩が痛い。
サラサラのパウダースノーの時は雪かきしながら遊んだり出来るが(^-^)v 、湿った重い雪が降ると、雪かきは苦役でしかない。「バカヤロー」とか、スコップを手につい、ののしってしまう。
それでもキレイに雪かきし終えると、妙に達成感を覚えてやる気になり、ストーブの前に坐り込んで、保田与重郎や堀辰雄を読んでいる。
何日もネットにつながず、ひたすら家事と読書…。
何とか時間を捻出しようと思いついたのが、「青空文庫」からダウンロードしたテキストを、JukeDox2という読み上げソフト(フリーソフト)に読ませて、家事をしながら聴くという方法。
(北国の冬は忙しいのです。ボンヤリしていると凍えて動けなくなります。)
パンを成形したりしながら、今は、堀辰雄の『大和路・信濃路』を聴いている。
これが、保田与重郎や遠藤周作の記事につながっていくハズ…。
JukeDox2は、ジャストシステムの「詠太」と比べてどうなのか、「詠太」を使ってないので分かりませんが、予想以上に使えます。
アクセントやイントネーションが奇妙だったり固有名詞を読み違えたりするのを、笑って許せるなら…。多少変な読み方でも、繰り返し聴いていると、読むのとは違った風に頭に入ってくる。
また、文章の校正にも使えます。
(クリック→JukeDox2フリー版ダウンロード)
******************************************
今度の公開は、小林多喜二の電子テキスト「コースの変遷――高等商業出の銀行員から――」です。
初出は『新文芸日記』(新潮社),1932年(昭和7年)
底本は『小林多喜二全集』第5巻(新日本出版社,1992)
(くの字点は表示困難の為、「さんざん」という様に表記しました。)
******************************************
「コースの変遷――高等商業出の銀行員から――」
家は貧しい農家であった。が僕は男だしそれに少しばかり学校も出来そうだというので、金持ちの親類で学資を出してくれる事になった。そこはパン工場を経営していたので、僕はその工場で手伝いながら、さんざん恩に被せられて、又、使用人達からは敵視を受けて、実に不快な思いの中に高等商業を卒業した。
早く卒業して月給をとるようになり、貧乏な親達を助けたいと思っていた。夏休みには潜水夫にポンプで空気を送り込む作業をやって若干の報酬を得、家へ送ったりしたが、その仕事はあまりに単純で恐らくどんな激しい労働よりも辛かったゞろう。それは刑務所の仕事とどこか似ているように思う。
高商にいる頃軍教反対運動に加わり、折柄学聯の潜行運動でやって来た林房雄を知った。
その頃福本イズムがやかましかったが、僕も熱心に社会問題を研究し始めて、小樽社会科学研究所などへ出入していた。
文学は好きで、一頃は志賀直哉氏の物等読んだが、僕の思想は当然「一九二八年三月十五日」の一篇となって表われた。あれを書いたのは小樽の銀行員時代で四・一六事件の時遂に銀行を馘首された。
【関連記事】
「こう変っているのだ。」(電子テキスト)
「下女と循環小数」(電子テキスト)
「お頭付きの正月」(電子テキスト)
「一九二八年三月十五日」(電子テキスト)
サラサラのパウダースノーの時は雪かきしながら遊んだり出来るが(^-^)v 、湿った重い雪が降ると、雪かきは苦役でしかない。「バカヤロー」とか、スコップを手につい、ののしってしまう。
それでもキレイに雪かきし終えると、妙に達成感を覚えてやる気になり、ストーブの前に坐り込んで、保田与重郎や堀辰雄を読んでいる。
何日もネットにつながず、ひたすら家事と読書…。
何とか時間を捻出しようと思いついたのが、「青空文庫」からダウンロードしたテキストを、JukeDox2という読み上げソフト(フリーソフト)に読ませて、家事をしながら聴くという方法。
(北国の冬は忙しいのです。ボンヤリしていると凍えて動けなくなります。)
パンを成形したりしながら、今は、堀辰雄の『大和路・信濃路』を聴いている。
これが、保田与重郎や遠藤周作の記事につながっていくハズ…。
JukeDox2は、ジャストシステムの「詠太」と比べてどうなのか、「詠太」を使ってないので分かりませんが、予想以上に使えます。
アクセントやイントネーションが奇妙だったり固有名詞を読み違えたりするのを、笑って許せるなら…。多少変な読み方でも、繰り返し聴いていると、読むのとは違った風に頭に入ってくる。
また、文章の校正にも使えます。
(クリック→JukeDox2フリー版ダウンロード)
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今度の公開は、小林多喜二の電子テキスト「コースの変遷――高等商業出の銀行員から――」です。
初出は『新文芸日記』(新潮社),1932年(昭和7年)
底本は『小林多喜二全集』第5巻(新日本出版社,1992)
(くの字点は表示困難の為、「さんざん」という様に表記しました。)
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「コースの変遷――高等商業出の銀行員から――」
小林多喜二
家は貧しい農家であった。が僕は男だしそれに少しばかり学校も出来そうだというので、金持ちの親類で学資を出してくれる事になった。そこはパン工場を経営していたので、僕はその工場で手伝いながら、さんざん恩に被せられて、又、使用人達からは敵視を受けて、実に不快な思いの中に高等商業を卒業した。
早く卒業して月給をとるようになり、貧乏な親達を助けたいと思っていた。夏休みには潜水夫にポンプで空気を送り込む作業をやって若干の報酬を得、家へ送ったりしたが、その仕事はあまりに単純で恐らくどんな激しい労働よりも辛かったゞろう。それは刑務所の仕事とどこか似ているように思う。
高商にいる頃軍教反対運動に加わり、折柄学聯の潜行運動でやって来た林房雄を知った。
その頃福本イズムがやかましかったが、僕も熱心に社会問題を研究し始めて、小樽社会科学研究所などへ出入していた。
文学は好きで、一頃は志賀直哉氏の物等読んだが、僕の思想は当然「一九二八年三月十五日」の一篇となって表われた。あれを書いたのは小樽の銀行員時代で四・一六事件の時遂に銀行を馘首された。
【関連記事】
「こう変っているのだ。」(電子テキスト)
「下女と循環小数」(電子テキスト)
「お頭付きの正月」(電子テキスト)
「一九二八年三月十五日」(電子テキスト)
小林多喜二「無題」の電子テキストです。
題名の付されてないノート稿です。『小林多喜二全集』の「解題」によると、1926年(昭和元年)6月10日の日記に、「『ジュードとアリョーシャ』のホヾ大体の骨組だけを書いた。」と記されています。
稿末に、「あゝ苦しかった。」との記入があります。
単行本で6ページちょっとの長さになると、電子書籍にした方が読みやすいようなので、これらのテキストをまとめて「パブー」でも公開する予定です。(2月に予定)
【参照~前の記事】紫芋と「一太郎」のNewバージョン
底本は『小林多喜二全集』第5巻(新日本出版社,1992)
(原文に付された傍点は省略しました。くの字点は表示困難の為、「とうとう」という様に表記しました。)
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無題
ドストエフスキは必ずその作品に一人のアリョーシャ(カラマーゾフ)を作る。が、又きまって一人のジュードを主人公とせずにはいられないハアディがいる。(人生という被告に対してはジュードは検事であり、アリョーシャは弁護士である。)
――これだけのことが、ある日の感想として、自分のノートの端にかきつけてある。
自分は世界の文学のなかで、ドストエフスキーのもの位「明るい」ものはない、と思っている。あまりに無条件に明る過ぎる。自分はだからドストのものを随分浅薄だとさえ思って、一向感服していない。(然しカラマーゾフ兄弟が完成されてあったら、問題は別だが。)そして、ハアディ位、その反対のものはないと思う。全く暗い――無条件に(これが重大)暗過ぎる。明るさがちっとも予定されていない。
この現実に自分たちが沈潜して行って、何等わずらわされない眼をもってみれば、アリョーシャが「うそ」であると同様、ジュードは大嘘である。(自分たちは過大に評価された過去の偶像にしばられ勝ちだけれど。)アリョーシャはその傑作とされている小説「カラマーゾフの兄弟」を見れば、堂々と「生きて行けている」然し、アリョーシャが今この世にいた、として、三日生きてゆけたら、自分は首をやる、とでも云いたい。これは実感の根拠をもって云うのである。(実にその小説では、万事アリョーシャに都合よく出来ているから可愛い!)
ジュ-ドと同じ、そっくり同じ事件を自分たちが、若し経験したとしても、自分たちは、決してあんなに惨めでは「断じて」ない。何故ハァーディはジュードがアハヽヽヽヽと心から笑えた日のことを省いたのだ。然し、若しジュードにそんな日がなかった、とでも云う人があったら自分はその人を軽蔑する。(実にその小説では、万事ジュードに都合わるく出来ているから愉快だ!)
裁判所へ行ってみると、この事がよく分かる筈だ。
人生に対するこの二つの態度――色眼鏡だ。眼鏡は実に奇麗にみがかれている。然し、片方の眼鏡はおかまいなしにどんなものでも「赤」に、他の一つは何がなんでも「青」にしか。然し自分は、この事を大きな欠点だとして論議しようとしているのではない。
自分は二度ほどベエトオベンの第九シンフォニイをきいて、あの最後の歓喜はうそだと思った。「桜の園」「三人姉妹」「叔父ワーニャ」で、とうとうチェホフはうそをついてしまっている。若し多くの人がチェホフのこの三つのものを限りなく愛しているとすれば(愛しているのだ。実際多くの人はその最後のシーンを読んで涙をポロポロ出している。)自分はその人達を女学生位に浅薄だと思う。キリストは「神の国は近づけり」と云った。神の時間の単位はどの位か分らないが、そう云ってから、もう二千年になる。キリストもうそをついたのだ、自分はそう考えている。「資本主義は円熟すれば必然的に崩壊することによって、社会主義組織へ移ってゆく」とマルクスが云っている。然し、自分はこゝでマルクスという人は随分お目出度く出来ていると思った。何故って、とうとう「万国の労働者よ、団結せよ」と云っているではないか。
現実な人生を考えるとき、自分達はそんなお目出度い要求を人生に対して持つ人々を軽蔑したくなる。然し、そう云って、自分はジュードの作者を尊敬する気持になれないことは、前者におとらない。(手際よく、書く位のことはヴァイオリンを稽古するのと同じで、四、五十年もやっていれば、皆相当になるのだ。)間違った「ゆがみ」で人生から、自分に都合のいゝような材料しか拾いあげないハアディなのだ。「頸飾」の作者モウパッサンも自分はそう考えている。勿論事実に於て、人生はたえざる循環小数である、四を三で割ってゆくと、永久に一、三三三……だ、然し人間は何時でもいつか四でも立つんではないか、と思ってゆくものだ。この気持! これさえハアディが知っていてくれたら。モウパッサンよ、「人生は本来として絶望的なものだ」かもしれない、然し、そこを生きてゆく人間自身にとって、そうとばかしは感じられないのだ。このことを知っていてくれたら! そして如何なる人も、御身達の小説の主人公のように惨めでないのだ。
(人の性は善か悪か。物の価値は主観によってか、客観によってか?……この事について絶えざる論議がされてきている。人はある一つのものを解決するのに必ず「白」と云わなければならない。そしたら他の一人は必ず「黒」と云わなければならない。然し誰かゞ「白と黒」と云ったら、その人は「妥協」したとか「折衷者」だとか云われる。経済価値論上のリカードとマルクス、そして「鉄の両刃」のマーシャル。学者は、真理を発見するために苦心する、と云うよりは、誰かゞ「白」と云ったから、自分はどうしても「黒」と云わなければならない、どうしたら、……とそれを考えるためのものなのだ。そうとしか考えられない。そしてこの事はジュードとアリョーシャにぴったり同じ型を見るのである。)
人生が愉快ならざる存在であると見たことに於てはドストとハアディは同じであった(かも知れない。)然し、その次にはもう二人はまるっきり違っている。「だから……」(この「だから」は二様の重大な意味をもっている。)だから、そこに何物かを――よりよき存在を創造するためにアリョーシャをもって来なければならない、と考える。(そして又)だから、どうせこの世はどうにもならない、救のないものなのだ、ということを知らせるために、ジュードを作らなければならないと思う――この二つなのだ。「光と闇の文学」が生れる。ハアディがドストを見たら、「お目出度い奴だ!」と笑う。ドストがハアディを見たら、じっとその顔をみて、それから悲しそうに眉をひそめて、その前を立ち去るであろう。ハアディは利口者だ、そしてドストはどんなことをしでかすかも知れない「大馬鹿者」だ。
然し、ジュウドとアリョーシャを頂点として、外の道を歩んだ人を自分は考えよう。自分は、長い長い受難の旅のあとで、こうつぶやいた一人の詩人を知っている。
――暗は何処から。
――光そのものから……でなければ私は分らない。
――それは、じゃ多分ほんの影であったのだ。影には光がつきものだから。しかし暗には光が必要でない。
――もうお止め、いつまで経ってもきりがない。
「もうお止め、いつまで経っても切がない」。自分はその詩人の「山猫」のような額に始めて「あきらめ」の深い皺がよったのを見ることが出来るのである。
が、更に、自分は「第九シンフォニー」の第四楽章の初めの、あの荘重にひゞくコントラバスの如く、イヤもっと強く、高くひゞく一つの言葉を知っている。
――幸福は不幸を必要とする。吾々が存在するのは影のお影です。吾々は絶対の幸福を夢みるような、馬鹿げた抽象事について夢見てはならない。(そして)、「人間はそれぞれ一つの全真理である」真理を有するという事は然し悲哀を変じない。悲哀は歓喜と同じく絶対である。(そして)、生の狂熱をのぞいて地獄もなく煉獄もない。
「地獄(インフェルノー)」の作者は、だから「光明(クラルテ)」の作者に当然なって行かなければならない。けれどもその前に、自分達は一人の辿った道をふりかえってみなければならないであろう。その社会改造家は社会のために働いた、然しそのために一人の不幸者も減らなかったことを見た。一人は一人の肩に足をかける。と他の一人はその一人の肩に足をかける。それで今度は絶望のふちに沈まんとしているたった一人の者を助けようとする。それも駄目。そしてその生涯の最後にその老社会改造家はこう考えている――
凡ての賢い連中がやってくる。夢想者よ、と彼等は云う。夢想者に現実は分らない。論より証拠ではないか。
信仰! 信仰は我等を救う。しかし何を信ずるのか。全能全智でありながら世界をこんな風に放任している支配者たる神をか。あゝ然し偉人は曾つて生きていた。彼が生きていたという事実は汝にとって一つの慰安にならないか。お前は刃と血と金銭と背信とをもっているユダの族のみを今まで見ていたのだ。
――勿論その偉人達は夢想家だった、しかし今日地上に常闇のないのは彼等の賜物だったのだ。
……(ポーヤー)
自分はこの実人生に生活してゆく度に自身ジュウドであることを感ずる。それは、複雑な色彩のニュアンスから出来ている人生をジュウドという一色に思い切って塗りつぶしたものであるだけ自分達にはグザッとくる。けれども、自分達はきまって、その苦しさから、キットその心はひそかに(或いははっきりと)アリョーシャを望むのである。自分はこの心理的事実を知っている。こゝに流動してやまない人生の諸相が端的に示される。自分は、前に「夢想家」を侮辱した。それは、その夢想が冷然たる現実に対して浅薄だからの故であった。(且つて、自分はこんな事を本気になって考えたことがあった――世の中が始まって以来、如何に多くの小説なり、戯曲なりが出たが、然し、そうかと云って人殺しも、夫婦喧嘩も、互の憎悪も不信も詐欺も、絶望も一つとして減らないのはどうしたことか。とすれば人はなんで小説などを書くのだろう、何んのために作るのだろう。単なる表現欲求のためか、自分の名を知られるためにか、そんな為にか?)然し、人間がジュウドであるとき「本能的」にアリョーシャへ転化しようとする必然さを理解してみれば、この極めて人間的な心理的事実からして、その「夢想家」は始めて自分の胸にぴたりと是認されるのである。(それ以外ではない。ポーヤーが考えた如くに迄自分は思っていない。)だから、「テス」を書いて、又「ジュウド」を書いたハアディは人間を知らなかった、と云わねばならない。(けれどもジュウドが常に大学にあこがれていたことは興味ある問題を暗示している。)
然し人が幸福になるにはどうすればいゝだろう、この事が考えられる、これだけが。(が、自分は未だにそれを知ることが出来ずに、こうした彷徨をやっているのである。)
(一九二六・六・一七)
題名の付されてないノート稿です。『小林多喜二全集』の「解題」によると、1926年(昭和元年)6月10日の日記に、「『ジュードとアリョーシャ』のホヾ大体の骨組だけを書いた。」と記されています。
稿末に、「あゝ苦しかった。」との記入があります。
単行本で6ページちょっとの長さになると、電子書籍にした方が読みやすいようなので、これらのテキストをまとめて「パブー」でも公開する予定です。(2月に予定)
【参照~前の記事】紫芋と「一太郎」のNewバージョン
底本は『小林多喜二全集』第5巻(新日本出版社,1992)
(原文に付された傍点は省略しました。くの字点は表示困難の為、「とうとう」という様に表記しました。)
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無題
小林多喜二
ドストエフスキは必ずその作品に一人のアリョーシャ(カラマーゾフ)を作る。が、又きまって一人のジュードを主人公とせずにはいられないハアディがいる。(人生という被告に対してはジュードは検事であり、アリョーシャは弁護士である。)
――これだけのことが、ある日の感想として、自分のノートの端にかきつけてある。
自分は世界の文学のなかで、ドストエフスキーのもの位「明るい」ものはない、と思っている。あまりに無条件に明る過ぎる。自分はだからドストのものを随分浅薄だとさえ思って、一向感服していない。(然しカラマーゾフ兄弟が完成されてあったら、問題は別だが。)そして、ハアディ位、その反対のものはないと思う。全く暗い――無条件に(これが重大)暗過ぎる。明るさがちっとも予定されていない。
この現実に自分たちが沈潜して行って、何等わずらわされない眼をもってみれば、アリョーシャが「うそ」であると同様、ジュードは大嘘である。(自分たちは過大に評価された過去の偶像にしばられ勝ちだけれど。)アリョーシャはその傑作とされている小説「カラマーゾフの兄弟」を見れば、堂々と「生きて行けている」然し、アリョーシャが今この世にいた、として、三日生きてゆけたら、自分は首をやる、とでも云いたい。これは実感の根拠をもって云うのである。(実にその小説では、万事アリョーシャに都合よく出来ているから可愛い!)
ジュ-ドと同じ、そっくり同じ事件を自分たちが、若し経験したとしても、自分たちは、決してあんなに惨めでは「断じて」ない。何故ハァーディはジュードがアハヽヽヽヽと心から笑えた日のことを省いたのだ。然し、若しジュードにそんな日がなかった、とでも云う人があったら自分はその人を軽蔑する。(実にその小説では、万事ジュードに都合わるく出来ているから愉快だ!)
裁判所へ行ってみると、この事がよく分かる筈だ。
人生に対するこの二つの態度――色眼鏡だ。眼鏡は実に奇麗にみがかれている。然し、片方の眼鏡はおかまいなしにどんなものでも「赤」に、他の一つは何がなんでも「青」にしか。然し自分は、この事を大きな欠点だとして論議しようとしているのではない。
自分は二度ほどベエトオベンの第九シンフォニイをきいて、あの最後の歓喜はうそだと思った。「桜の園」「三人姉妹」「叔父ワーニャ」で、とうとうチェホフはうそをついてしまっている。若し多くの人がチェホフのこの三つのものを限りなく愛しているとすれば(愛しているのだ。実際多くの人はその最後のシーンを読んで涙をポロポロ出している。)自分はその人達を女学生位に浅薄だと思う。キリストは「神の国は近づけり」と云った。神の時間の単位はどの位か分らないが、そう云ってから、もう二千年になる。キリストもうそをついたのだ、自分はそう考えている。「資本主義は円熟すれば必然的に崩壊することによって、社会主義組織へ移ってゆく」とマルクスが云っている。然し、自分はこゝでマルクスという人は随分お目出度く出来ていると思った。何故って、とうとう「万国の労働者よ、団結せよ」と云っているではないか。
現実な人生を考えるとき、自分達はそんなお目出度い要求を人生に対して持つ人々を軽蔑したくなる。然し、そう云って、自分はジュードの作者を尊敬する気持になれないことは、前者におとらない。(手際よく、書く位のことはヴァイオリンを稽古するのと同じで、四、五十年もやっていれば、皆相当になるのだ。)間違った「ゆがみ」で人生から、自分に都合のいゝような材料しか拾いあげないハアディなのだ。「頸飾」の作者モウパッサンも自分はそう考えている。勿論事実に於て、人生はたえざる循環小数である、四を三で割ってゆくと、永久に一、三三三……だ、然し人間は何時でもいつか四でも立つんではないか、と思ってゆくものだ。この気持! これさえハアディが知っていてくれたら。モウパッサンよ、「人生は本来として絶望的なものだ」かもしれない、然し、そこを生きてゆく人間自身にとって、そうとばかしは感じられないのだ。このことを知っていてくれたら! そして如何なる人も、御身達の小説の主人公のように惨めでないのだ。
(人の性は善か悪か。物の価値は主観によってか、客観によってか?……この事について絶えざる論議がされてきている。人はある一つのものを解決するのに必ず「白」と云わなければならない。そしたら他の一人は必ず「黒」と云わなければならない。然し誰かゞ「白と黒」と云ったら、その人は「妥協」したとか「折衷者」だとか云われる。経済価値論上のリカードとマルクス、そして「鉄の両刃」のマーシャル。学者は、真理を発見するために苦心する、と云うよりは、誰かゞ「白」と云ったから、自分はどうしても「黒」と云わなければならない、どうしたら、……とそれを考えるためのものなのだ。そうとしか考えられない。そしてこの事はジュードとアリョーシャにぴったり同じ型を見るのである。)
人生が愉快ならざる存在であると見たことに於てはドストとハアディは同じであった(かも知れない。)然し、その次にはもう二人はまるっきり違っている。「だから……」(この「だから」は二様の重大な意味をもっている。)だから、そこに何物かを――よりよき存在を創造するためにアリョーシャをもって来なければならない、と考える。(そして又)だから、どうせこの世はどうにもならない、救のないものなのだ、ということを知らせるために、ジュードを作らなければならないと思う――この二つなのだ。「光と闇の文学」が生れる。ハアディがドストを見たら、「お目出度い奴だ!」と笑う。ドストがハアディを見たら、じっとその顔をみて、それから悲しそうに眉をひそめて、その前を立ち去るであろう。ハアディは利口者だ、そしてドストはどんなことをしでかすかも知れない「大馬鹿者」だ。
然し、ジュウドとアリョーシャを頂点として、外の道を歩んだ人を自分は考えよう。自分は、長い長い受難の旅のあとで、こうつぶやいた一人の詩人を知っている。
――暗は何処から。
――光そのものから……でなければ私は分らない。
――それは、じゃ多分ほんの影であったのだ。影には光がつきものだから。しかし暗には光が必要でない。
――もうお止め、いつまで経ってもきりがない。
(ストリンドベルク)
そして、その詩人は道を「ダマスクスへ」選んだのだ。「もうお止め、いつまで経っても切がない」。自分はその詩人の「山猫」のような額に始めて「あきらめ」の深い皺がよったのを見ることが出来るのである。
が、更に、自分は「第九シンフォニー」の第四楽章の初めの、あの荘重にひゞくコントラバスの如く、イヤもっと強く、高くひゞく一つの言葉を知っている。
――幸福は不幸を必要とする。吾々が存在するのは影のお影です。吾々は絶対の幸福を夢みるような、馬鹿げた抽象事について夢見てはならない。(そして)、「人間はそれぞれ一つの全真理である」真理を有するという事は然し悲哀を変じない。悲哀は歓喜と同じく絶対である。(そして)、生の狂熱をのぞいて地獄もなく煉獄もない。
「地獄(インフェルノー)」の作者は、だから「光明(クラルテ)」の作者に当然なって行かなければならない。けれどもその前に、自分達は一人の辿った道をふりかえってみなければならないであろう。その社会改造家は社会のために働いた、然しそのために一人の不幸者も減らなかったことを見た。一人は一人の肩に足をかける。と他の一人はその一人の肩に足をかける。それで今度は絶望のふちに沈まんとしているたった一人の者を助けようとする。それも駄目。そしてその生涯の最後にその老社会改造家はこう考えている――
凡ての賢い連中がやってくる。夢想者よ、と彼等は云う。夢想者に現実は分らない。論より証拠ではないか。
信仰! 信仰は我等を救う。しかし何を信ずるのか。全能全智でありながら世界をこんな風に放任している支配者たる神をか。あゝ然し偉人は曾つて生きていた。彼が生きていたという事実は汝にとって一つの慰安にならないか。お前は刃と血と金銭と背信とをもっているユダの族のみを今まで見ていたのだ。
――勿論その偉人達は夢想家だった、しかし今日地上に常闇のないのは彼等の賜物だったのだ。
……(ポーヤー)
自分はこの実人生に生活してゆく度に自身ジュウドであることを感ずる。それは、複雑な色彩のニュアンスから出来ている人生をジュウドという一色に思い切って塗りつぶしたものであるだけ自分達にはグザッとくる。けれども、自分達はきまって、その苦しさから、キットその心はひそかに(或いははっきりと)アリョーシャを望むのである。自分はこの心理的事実を知っている。こゝに流動してやまない人生の諸相が端的に示される。自分は、前に「夢想家」を侮辱した。それは、その夢想が冷然たる現実に対して浅薄だからの故であった。(且つて、自分はこんな事を本気になって考えたことがあった――世の中が始まって以来、如何に多くの小説なり、戯曲なりが出たが、然し、そうかと云って人殺しも、夫婦喧嘩も、互の憎悪も不信も詐欺も、絶望も一つとして減らないのはどうしたことか。とすれば人はなんで小説などを書くのだろう、何んのために作るのだろう。単なる表現欲求のためか、自分の名を知られるためにか、そんな為にか?)然し、人間がジュウドであるとき「本能的」にアリョーシャへ転化しようとする必然さを理解してみれば、この極めて人間的な心理的事実からして、その「夢想家」は始めて自分の胸にぴたりと是認されるのである。(それ以外ではない。ポーヤーが考えた如くに迄自分は思っていない。)だから、「テス」を書いて、又「ジュウド」を書いたハアディは人間を知らなかった、と云わねばならない。(けれどもジュウドが常に大学にあこがれていたことは興味ある問題を暗示している。)
然し人が幸福になるにはどうすればいゝだろう、この事が考えられる、これだけが。(が、自分は未だにそれを知ることが出来ずに、こうした彷徨をやっているのである。)
(一九二六・六・一七)