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アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
堀辰雄は、昭和16年(1941年)10月に奈良を旅行し、唐招提寺の松林のなかで古代世界に憧れ、‘此処こそは私達のギリシアだ’と記している。(『花あしび』,「十月」)

古代ギリシャ。キリスト教に教化される以前の、汎神の世界。

堀は奈良を旅しながら、1つの小説を書こうとしていた。
それは、‘イディル風なもの’、‘ギリシア語では「小さき絵」というほどの’意味のものだった。
イディル’の中には‘物静かな、小ぢんまりとした環境に生きている素朴な人達の、何物にも煩わせられない、自足した生活だけの描かれることが要求されている’のだという。
大和の古い村を背景にして、万葉集的な気分を漂わせた、そんな小説を書きたいと、「十月」で堀は述べている。
しかし、堀が意図したものは、結局書かれなかった。

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奈良の旅の成果は、『曠野』(昭和16年12月,『改造』)という王朝風の物語だった。
『曠野』は、『今昔物語集』巻30第4話「中務太輔娘、成近江郡司婢語」を下敷きとしたものだ。
西の京の六条のほとり、中務大輔(なかつかさのたいふ)の娘は、両親を失い、婿も通ってこなくなり、崩れかかった屋敷で暮らしていた。やがて、近江の国の郡司(ぐんじ)の息子が通ってくるようになり、近江の国へ下女として同行する…。‘自分を与えれば与えるほどいよいよはかない境涯に堕ちてゆかなければならなかった一人の女の、世にもさみしい身の上話’(「十月」)である。

‘何物にも煩わせられない、自足した生活’とは対照的な物語になってしまった。

万葉風の牧歌が書けないので、堀はこんな言い訳をする。
古代の人々の生活の状態なんぞについて、いまみたいにほんの少ししか、それも殆ど切れ切れにしか知っていないようでは、その上で仕事をするのがあぶなっかしくってしようがない。(「十月」)

しかし、堀の言い訳どおり、堀に古代についての知識が不足していたから、彼は万葉風‘イディル’を書けなかったのか???
堀は、大原美術館に行ってエル・グレコの「受胎告知」を見なければならない、とも考えているし。(「古墳」)
古代人の牧歌的生活なんて、堀が本気で信じていたとは、私には思えないのである。
堀は、折口信夫にひどく傾倒したりしている(『花あしび』,「死者の書」)。
…にも関わらず。
なぜって、堀辰雄は、近代のフランス文学を知ってしまった人なのだ……。


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しかし、秋篠寺の伎芸天に、東大寺の月光菩薩や広目天に、法隆寺の百済観音に、堀辰雄は次々と魅了される。(如来には執着していない。おもしろい。)
遠藤周作が言うところの‘汎神的血液’(『堀辰雄覚書』)が、堀辰雄の中を流れていた。

なかでも伎芸天は、奥ゆかしい芸術の女神。

このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい。朱《あか》い髪をし、おおどかな御顔だけすっかり香《こう》にお灼《や》けになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ、いまにも何かおっしゃられそうな様子をなすってお立ちになっていられた。……
(「十月」)

「ひかりこころ」さんが描いた、秋篠寺の伎芸天
↑↑↑クリック(造立当時、彩色されていたならば、こんな感じだったろう、と思います。)

東大寺・戒壇院の広目天は、男前。とても‘いい貌’をしている。
広目天←←クリック, リクエストして「ひかりこころ」さんに描いてもらいました。眉のあたりが素敵!

これはきっと誰か天平時代の一流人物の貌をそっくりそのまま模してあるにちがいない。そうでなくては、こんなに人格的に出来あがるはずはない。……
(「十月」)

しかし、『花あしび』を読んでいて、私の興味をひいたのは……。
その広目天が踏みつけている天邪鬼(あまのじゃく)に対する、堀の態度である。
堀は、友人に誘われて天邪鬼に目を落とすが、曖昧にスルーしているw

広目天の足下

 A君もA君で、何か感動したようにそれに見入っていた。が、そのうち突然ひとりごとのように言った。「この天邪鬼《あまのじゃく》というのかな、こいつもこうやって千年も踏みつけられてきたのかとおもうと、ちょっと同情するなあ。」
 僕はそう言われて、はじめてその足の下に踏みつけられて苦しそうに悶《もだ》えている天邪鬼に気がつき、A君らしいヒュウマニズムに頬笑みながら、そのほうへもしばらく目を落した。……

(「十月」)

ヒュウマニズムか……。堀にうまくかわされた気がする。
しかし、この天邪鬼とは要するに、遠藤が言うところの、絶対神に反抗する者だ。
人間の中の、超自然的存在に抗おうとする部分。
堀の中にも、遠藤の中にもあったところの。
そういう部分を、括弧でくくって、他者として括り出してしまうと…、天邪鬼の出来上がりw

四天王たちは、憤怒の形相で、此奴等をしっかり踏んづけておかないと。

天邪鬼が、伎芸天の足首をつかんだりしないように。


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[2012/03/08 06:20] | 遠藤周作の文学
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昭和18年(1943年)、堀辰雄は、『大和路・信濃路』と題した連作を『婦人公論』に掲載した。
『花あしび』(昭和21年3月、青磁社)とは、そのうちの「十月」・「古墳」・「浄瑠璃寺の春」・「死者の書」に、昭和19年発表の「樹下」を加えて一冊にしたものである。

現在『花あしび』は、比較的高価な限定再生本という形でしか販売されていない。
が、新潮文庫の『大和路・信濃路』で読むなら、新品でも452円だ。青空文庫でも、堀辰雄はかなり充実している。

堀辰雄は、昭和14年から数回にわたり奈良を旅行している。連作はその記録である。
堀は海龍王寺の前に立ち、廃墟の美を見出したりする。(昨今の廃墟ブームの先駆けか。)
この多分に感傷的な一連の文章に、現代の日本人は、豊かな蓄積をみるか、それとも妖しい衰弱をみるか?

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遠藤周作の『花あしび』論(『堀辰雄覚書』)では、堀辰雄の‘汎神的’傾向について、表現を変えながら同じ様な説明が繰り返される。
ちなみに、‘汎’という字が“あまねく”という意味をもっていることから分かるように、汎神論とは“万物に神性が宿る”とする立場である。
その定義は、遠藤流に言えば次の如くである。

神的なものを人間的なものを基体として、その人間的なものの純化、拡大したものと考え、神的なものと人間的なものの間に如何なる存在の超絶(transcendance)も認めない

汎神世界は神的なるものは人間的なるものの拡大延長である故に、人間的なるものは神的なるものに、直接的に吸収されることを願い、何らの反抗も異質的なものの克服のための戦いもない。汎神論者は自己と存在同質的な神的なるものに反抗する必要をみとめない。
[『堀辰雄覚書』,花あしび論(汎神の世界)]

一神教と多神教の違いを説明するのは、案外難しい。
この両者に、さらに‘汎神論’(これは自ずと多神的状態になる)が絡んでくると……。もう、3者がどういう関係になっているのやら、色々資料を読んでもスッキリしない。
敵前逃亡してしまいたくなる。

馬酔木ピンク_小

しかし、遠藤がウルサく繰りかえす説明を読むうちに、ああそうか、神の数が1か多かという点に拘泥する以前に、着眼すべきは、神と人間との間に‘超絶’があるか否かなのだと、気付かされた。(さすがカトリック作家!)

で、その‘超絶(transcendance)’とは? 平たく言えるか?

人間は、“自然的存在”である。物理学で説明できる時間・空間の縛りの中に在る、という事。
これに対しキリスト教などの神は、物理的時間・空間を元々‘超絶’した存在、“超自然的存在”である。
それゆえ一神教では、人間と神の間には、決して超えられない断絶がある、とする。

一方の汎神論的宗教では、人間が‘純化・拡大’すれば神になれるとし、神もまた、自然的であり人間的である。
仏教で、人間は修行を積めば菩薩になり、ひいては仏になれると説くわけである。

だから、世間でよく言われ本のタイトル等にもなっている、“一神教と多神教”というのは、見た目の印象ほどに対義語ではない。
‘一神教’の対義語は“汎神論(的宗教)”である。


こう考えると、一神教・多神教・汎神論の3者の関係を把握しやすいだろう。

‘汎神論’だと、人間的なものが次々と神になり、世界は神仏だらけとなる。
仏教では、釈迦如来・大日如来・薬師如来、などと様々な仏が出現し、神道の八百万の神もまします。結果として多神教となる
‘一神教’だと、物理的時間・空間を‘超絶’した神様に、バリエーションは生じない。時間・空間という人間の感性を超えた神様は、人間の観念でとらえがたい。人間がとらえられないものに、どうやってバリエーションをつけるのか? つけようがないから、結果として神は一つである。

どさんこ君と3kids

なんだか、堀辰雄の『花あしび』はどこに行ったのか? という感じだが…。
今日はもう少し、遠藤がなぜ‘汎神論’に目くじらを立てるのか、考えておきたい。


日本人の一般的な宗教感覚では、神仏と人間との間に‘超絶’がない。だから、多くの日本人は心地よく神仏と融和し、神仏に食ってかかったりしないだろう。
堀の『花あしび』には、幸福そうな例が色々あるので、一つ引用しよう。

 月光菩薩像。そのまえにじっと立っていると、いましがたまで木の葉のように散らばっていたさまざまな思念ごとそっくり、その白みがかった光の中に吸いこまれてゆくような気もちがせられてくる。何んという慈しみの深さ。だが、この目をほそめて合掌をしている無心そうな菩薩の像には、どこか一抹の哀愁のようなものが漂っており、それがこんなにも素直にわれわれを此の像に親しませるのだという気のするのは、僕だけの感じであろうか。……
(「十月」,三月堂の金堂にて)

何とも幸せそうだ。これでいいじゃないか、神仏に食ってかからなくても、と思ったりする。
『堀辰雄覚書』を読んでいると、カトリックというのは強くないと続けられないのだ、と感じる。
延々、神とのバトルを続けるには、気力体力が要る。

それにしても……。疲労困憊しながら神に反抗するメリットとは何なのか???(なぜ、反抗したほうが良いと、遠藤は考えるのか?)

(ーー;).。oO (今回の記事、何時にも増してコムズカシイ!)

遠藤は、汎神的態度に‘異質的なものの克服のための戦い’が無いと言っている(上の「花あしび論」の引用)。
そういう事をひっくるめて、考えると…。
絶対的な超越者に反抗することは、“普遍的概念”の形成をうながす、強力な契機なのだろう。
神に盾突くほどの大きなエネルギーが、答を呼ぶのだ。


この世界は何故あるのか?
人間は何故いるのか?
人間はどう生きるべきか?
この社会はどうあるべきか?

こういう普遍的な問題に対するビジョンは、“形而下”の議論(例えば物理学など)をやっていても出てこない。
いわゆる“形而上”的議論において、日本人は総体として、鍛えられていない。揉まれてこなかったのだ。月光菩薩にスーッと癒やされてしまう人々だから。


国会議員たちがビジョンを持っていない事を、我々は嘆く。
しかし、絶対神に「なぜなんだ!!!」と激しく食ってかかる事がマレだった国民から、急にビジョンが出てくるだろうか?
遠藤が言いたかったのは、きっと、そういう事だろう。


[2012/03/01 06:30] | 遠藤周作の文学
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“自分探し”とは、いつ頃からなされてきたのだろう?

「――いま事務所でおれにあてがわれている仕事なんぞは此のおれでなくったって出来る。そんな誰にだって出来そうな仕事を除いたら、おれの生活に一体何が残る? おれは自分が心からしたいと思った事をこれまでに何ひとつしたか? おれは何度今までにだって、いまの勤めを止め、何か独立の仕事をしたいと思ってそれを云い出しかけては、所長のいかにも自分を信頼しているような人の好さそうな笑顔を見ると、それもつい云いそびれて有耶無耶《うやむや》にしてしまったか分からない。そんな遠慮ばかりしていて一体おれはどうなる? おれはこんどの病気を口実に、しばらく又休暇を貰って、どこか旅にでも出て一人きりになって、自分が本気で求めているものは何か、おれはいま何にこんなに絶望しているのか、それを突き止めて来ることは出来ないものか? おれがこれまでに失ったと思っているものだって、おれは果してそれを本気で求めていたと云えるか? 菜穂子にしろ、早苗にしろ、それからいま去って行ったおよう達にしろ、……」
(「菜穂子」十六)

これは、太平洋戦争の開戦前に堀辰雄が書いたものである。「菜穂子」は、1941年3月の『中央公論』に掲載された。
平成の小説の文章だといっても不自然ではない程に現代的である。
私は、あれっ、(。_゜)、と思って堀辰雄の年譜を確認した。大戦後、堀は病気療養のため床に伏しがちで、代表作は、みな戦前戦中に書かれている。1953年没。
間違いない。

現代人が‘おれ’と同じような思いに襲われることは、珍しくなかろう。
誰にでも出来るような仕事をしている、取り替え可能な、スペアとしての自己…。今の自分は本来のあるべき姿を見失っているという感覚。
こうした感覚は元来、現代というより近代の産物なのだろう。
“実存(個別具体的で主体的存在)”は孤独・不安・絶望につきまとわれ、絶えざる自己超克を強いられている。という、西洋哲学の古くて新しい課題。


それにしても、近代化において大幅に後れを取った日本が、歪んだ悲劇的な道を進もうとしていた状況下。
そんな中で堀辰雄はすでに、物心両面で近代化を果たしていた訳だ。
一人の先駆者である。

上の述懐をしている‘おれ’の名は、都築明。
堀辰雄が立原道造(1914-1939)をモデルとして書いたといわれる作中人物で、黒川菜穂子の幼馴染みという設定である。

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しかし、都築明の“自分探し”の旅は、失敗に終わった。
理由は、遠藤周作が「実存の悲劇(都築明の旅)」で指摘するとおりだ。
明が‘暗黒に向って飛び立つ夕方の蝙蝠のように’、ただやみくもに‘生の衝動’に駆られて飛び出したからである。
(遠藤はこういう‘衝動’を‘悲しき決意性のヒロイズム’と呼んでいる。私は、ヒロイズムほど厄介なものは無いと思っている。

「おれはとうとう自分の求めているものが一体何であるのかすら分らない内に、何もかも失ってしまった見たいだ。そうして恰《あたか》も空っぽになった自分を見る事を怖れるかのように、暗黒に向って飛び立つ夕方の蝙蝠《こうもり》のように、とうとうこんな冬の旅に無我夢中になって飛び出して来てしまったおれは、一体何を此の旅であてにしていたのか? 今までの所では、おれは此の旅では只おれの永久に失ったものを確かめただけではないか。」
(「菜穂子」二十)

‘神を失える’人間、都築明は、どんな方向を選択すればよかったのか?
‘方向と目的’が分かれば誰も苦労しない。或いは、これも身の丈と、目的を小さいところで区切ってしまえるならば…。
小さくまとまるにしても、何が良くて何が悪いかは見極めねば…、まとめようがないではないか。
神も仏も失った私だが。遠藤周作の次の主張には、甘く苦く、胸に染み込んでくるものがある。


悪とは何であるか。聖トマスの形而上学に依れば善は存在の完成に他ならない。樹が成熟し花を咲かせ、果実を結ぶ事、即ち樹そのものの「存在を完成さす」事は樹にとって善である。花にとって善とは何であるか。それはその花にとって最も美しい色と馨りとを果し群がる蜜蜂に蜜を与え果実を結び媒介と職能を終え少女を楽します事である。個々の存在物のその固有の存在フォルムを完成さすことが善である。
(「実存の悲劇(都築明の旅)」,『堀辰雄覚書』)

しかし、しかしですよ。
人間は、樹や花のように単純ではないでしょう? 遠藤先生……。
人間の‘固有の存在フォルム’とは、何なのでしょう? どこまで行けば完成するのでしょうか? 先生。

どさんこ君斜め後ろ

仕事もして、結婚もして、母親にもなって、国会議員になっても金メダル取って、とか……。
そのどこまでが‘固有の存在フォルム’でしょうか?
トマス・アクィナス。中世の神学者ですか……。
近代の病を癒やすためには、やはり先祖返りですか?

悪とは従って、聖トマスに依れば存在者の存在の欠如、存在の下降、フォルムの不毛を意味する。一切の存在をして欠如と下降と不毛に至らしめるものは悪である。従って善とは如何なる社会的契約や人間の日常的契約によっても計られず「存在」そのものによって計られる。
(「実存の悲劇(都築明の旅)」,『堀辰雄覚書』)

‘固有の存在フォルム’の完成を邪魔する連中。沢山おります。
‘欠如と下降と不毛に至らしめる’ために、躍起になっているニセモノの仏教とか。
こういう連中へのウラミは、腹の奥に結石のように、現に在って。どうしようもなく在るのです。どうしようもなく在る、ということは、それは“真実”なのでしょう。

中世の神学者の言葉は、無意識の裡に追いやった“真実”を呼び覚ますだけの力を持っております。
この善と悪についての言葉は、何処かとても暖かい……。

どさんこ君ポーズ

私は、遠藤の次の言葉を支えに、ぼちぼち勉強を続けていこう。‘人間の条件’とは……。

都築明は美と真とを混同する。それはまた堀辰雄氏の欠陥である。この似而非(えせ)プラトニズムの影響は、堀氏が一つの思想家として僕たちの前にあらわれる時、僕たちが考察せねばならぬ事であろう。今日若い僕たち世代にとって、実存者の生に対する無償の犠牲、かなしくも美しい詩人の悲劇性ほど魅力あるものはないであろう。然しそれを乗りこえる為には、まさしく存在者をして存在の条件に則せしめる思考が必要なのである。
(「実存の悲劇(都築明の旅)」,『堀辰雄覚書』)

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[2012/02/16 17:25] | 遠藤周作の文学
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