アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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初期の遠藤周作を読んでいると、「フォンスの井戸」が繰り返し出てくる。

1950年(昭和25年)、遠藤周作は第一回のカトリック留学生としてフランスに渡り、リヨン大学でカトリック文学について学んでいる。『作家の日記』(福武文庫,1996.12)によると遠藤は、1951年3月21日、「フォンスの井戸」を見るためにマルセイユ行きの列車でアルデッシュ県に向かっている。翌々日、23日の記述には次のようにある。

「これはレジスタンスの悲劇のあった井戸なのだ。フォンスは山また山の中の寒村なのだ。梅や桑や葡萄の畠にかこまれ戸数十二戸位、ぼくたちがついた時は日が翳り、畠に一人の百姓が働いているきり村は死んだように静かだった。」

遠藤と寮友のアンドレは、その百姓に井戸への道を教えてもらい、「入口が二米の四辺形になった捨てられた井戸」を丘の上に探し出す。アンドレが井戸の中に石を投げると、何かはね返る音がして、水のしぶきが聴こえた。その石の下には数十人の遺体がある。アンドレは「何故こんな所までそれを見に来たのか」と訊ね、遠藤は、3月23日の日記の中ではこう答えている。

「アンドレよ、文学とはそんなものなのだ。君には物好きと思えるだろうが、このほの黒い、人の叫び訴えるような声がきこえる井戸の底に、ぼくは、人生の一つの投影を見に来たのだ。」

第2次大戦中、フランス・アルデッシュ県の寒村フォンスにおいて、アルデッシュの抗独運動家たちが、ドイツ人ではなく同胞であるフランス人を拷問、虐殺した。その際、抗独運動家たちが同胞たちを投げ込んだ井戸を、遠藤は「フォンスの井戸」と呼んでいる。

和琴半島から

アルデッシュからリヨンに帰った遠藤は、日記によると4月11日に「フォンスの井戸」の草稿を終えた。その後、ポーランド人の青年(クロソヴスキイ)や中国の青年(陳)を入れることで、厚みをつけるべく書き直されたものが(4月13日、16日)、「フランスにおける異国の学生たち」というタイトルで『群像』(1951年9月)に掲載された。(『日記』8月22日-「フォンスの井戸」が好評だったとの、『群像』大久保氏からの手紙のこと)
この定稿は、エッセイ若しくは現地報告と呼ぶべきスタイルで書かれており、『フランスの大学生』 (新風舎文庫,2005.1)の目次でも、ルポルタージュとされている。しかし、日記の記述によると、小説的虚構をかなり交えながら、遠藤はこれを起伏に富んだドラマに仕立てていることがわかる。

「フォンスの井戸」のモチーフは、遠藤を強く捕らえていたようであり、帰国後の小説『青い小さな葡萄』(1956年12月)で変奏された。また、未発表の草稿にも見いだすことができる。
『われら此処より遠きものへ』(2011年3月,長崎市遠藤周作文学館)は、留学から帰国後の1953年に初めて書いた習作であることが、池田静香の調査によって断定されている。その中には遠藤によって抹消されているが、「エスマンがフォンスの井戸で裏切った娘マリイ・パストル」とある。

「フォンスの井戸」に引きつけられた遠藤に同調するように、私もまた、「フォンスの井戸」に憑かれている。寝具にくるまって横たわっている夜、目を閉じた自分の背後の空間が広がって、そこに井戸の口がぽっかりと開く。そのイメージが最初に現れたときから、私は当たり前のようにそれを受け入れた。
私が一日を終えて静かに横になることができる、そういう相と、遠藤が「穴の中に今一度、顔をさしのべ」て見ようとした相とは、一続きの地平に併存しているという実感。


「この中に三十人の男女の肉体が、だれにも祝福されず、永遠の地獄さながらに、ねじくれ、ころがり、埋まっているのです。」(「フランスにおける異国の学生たち」)

私は、「祝福される」とはどういうことか何も知らないので、自分が祝福されているのかどうか、分からない。
ただ、その三十人の男女と私とは、同じであり、しかも違う、と思う。そして、この矛盾した感覚は、自分にとって必要であるとも。

函館の夜景

それにしても、フォンスの井戸を思うことは、人間に何をもたらすのだろう。

『作家の日記』の遠藤も、ルポや小説の人物たちも、「フォンスの井戸」を見ようとすることにおいて、執拗である。「フランスにおける異国の学生たち」や『青い小さな葡萄』では、ナチスの被害者が井戸に同行するから、ファシズムへの批判というような意味付けを、一応はできるようになっている。だからこそ敢えて私は、寮友のアンドレと連れ立っていく‘日記’の方を丹念に読みたい。

「何故、ぼくはフォンスの井戸を見た時一つの戦りつを感じたか。妻を殺した男を裁判所で見た時、それは、すべて『地獄の季節』のランボオと関わりあるように思われる。つまり、救済前の世界に。つまり絶対に直接ふれてみたいという願望なのだ。」(『作家の日記』1951年4月5日)

『作家の日記』とは別の、公表するために遠藤が手を加えたと思われる「春—日記から」(『牧歌』新潮文庫,1974.2)には、イボンヌという女の裁判を傍聴したことが書かれている。イボンヌは、自分の情欲のために邪魔になった娘を殺し、懲役二十年を言い渡された。遠藤は、彼女の住んでいたアパートの六階まで上がり、帰り道でこんな事を考えている。

「イボンヌが、ぼくに教えてくれるのは、情欲の渦は、一切の堤や防壁を一挙に押しながし、崩したおして濁流のように流れてゆくということだ。どこへ— 、もっとも人間の深淵の部分に。ぼくは、その時ほど、人間の罪の無限さに震えることはない。」(「春—日記から」7月5日の項)

フォンスの井戸に誘引されるのは、壁を張り巡らされた「出口なし」の人間が「無限」を見たいからではないか。遠藤の日記を読んでいると、そう思えてくる。
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[2011/08/05 12:05] | 遠藤周作の文学
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遠藤周作の書いたものは、小説よりも批評のほうが良いように思う。(本人もどこかで、自分より上手い小説を書く作家はいくらでもいる、と書いていた。)
遠藤の小説を読んでいると、観念的なところが気になって面白くないと感じることがあるが、批評となると途端に筆がよく伸びて、私などは引き込まれてしまう。
この作家は基本的に、大変な読み巧者であり、戦後間もない頃にフランスのカトリック文学を研究するために渡仏するような、目利きである。
だから彼の書いたものは、政治と宗教(と文学)の難しい関係について考えようとする時、一つの足場であり続けるのだろう。

『イエスの生涯』(1973年,新潮社)は、遠藤50歳の時に出されたイエス・キリストについての評伝である。
この書で遠藤が、「期待はずれの預言者」・「無力な男」である‘人間イエス’を書いたことは、一部のキリスト教徒から顰蹙を買ったらしい。
キリストを信仰する人々にとってイエスは‘子なる神’なのだから、イエスを単なる‘有徳の人’で済ませたり、ましてや「無力な男」にしてしまうのは許せない事だというのは、私のような者にも分かる気がする。信徒である以前に小説家・批評家であるとして、遠藤の信仰の弱さを突くこともできよう。

しかし遠藤が、「汝等は徴(しるし)と奇蹟を見ざれば信ぜず」(ヨハネ福音書,四-四十八)という、イエスの嘆きに焦点を合わせようとするとき、読者は、‘政治と宗教’という1つの難問に向けて誘導されている。
そうして、その難問に出くわした人間には、信仰を持つことが出来る人間の幸福とは異種の幸福があるのかもしれない。

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聖書によると、当時のユダヤの人々は、イエスの処刑と引き替えに「革命家バラバ」の釈放を求めた。
苦しい生活を強いられていた民衆が、イエスの説く「神の愛」よりも、「革命家バラバ」が発揮する現実世界での力と効果に期待した為である。
遠藤曰わく、‘政治’とは、力と効果を要求するものであり、「人間は現実世界では結局、効果を求めるから」である。
イエスの「生涯の課題」が、遠藤の言うとおり「神の愛の証明」という事にあったのならば。そして、「現実における愛の無力さ」をイエスがよく分かっていたならば。イエスの苦しみは、「汗、血のごとくしたたる」ほどに極まったであろう。

だが愛は現実世界での効果とは直接には関係のない行為なのだ。そこにイエスの苦しみが生まれた。

苛酷な現実に生きる人間は神の愛よりもはるかに神のつめたい沈黙しか感じぬ。苛酷な現実から愛の神を信ずるよりは怒りの神、罰する神を考えるほうがたやすい。
(『イエスの生涯』)

なるほど、貧困、病、争いごと、離別に死別、と「苛酷な現実」に悩まされていた人々は、「神の愛」よりも、神の怒りや罰を思いがちだろう。「愛の神」なんかより、鬼でも邪でもいいから、その苦悩を実際に何とかしてくれる存在の方が有り難かったりする。

そこで、‘貧病争’の解決、いわゆる現世利益を売りにするような宗教(きわめて‘政治’的な性質を持つ宗教)が、おこってくる訳だ。またそういう「現実世界での効果」を謳う宗教には、信者が群がって来る。

ある仏教系新興宗教の信者達が、よく言っていた。
ハリツケになった神さんなんか信じてもなんにもならん。

要するに、その新興宗教は‘結果をいただける’信仰であるという点で、キリスト教なんかよりも優れているという事だったらしい。‘霊界のお手配’で、事業が回復し、病気が治り、家庭円満になった、という「奇蹟」についての‘体験談’が、まるでテンプレートに個々の事例をはめ込むようにして、量産されていた。

札幌タワーから2

そうやって本当に幸福でいられるのなら、そういう「現実世界での効果」がある信仰に入れ込むのも1つの生き方か、と私は思う。
しかし、‘貧病争’が‘ある程度まで’解決されてもなお、私の回りの大人達は、あまり幸せそうではなかった。例えば、その夫や父親が戦死したことを、彼らは嘆き続けていた。(たぶん、今も嘆き続けている。そしてそれは、ちゃんとした‘喪の仕事’とは似ても似つかぬものである。
そういう姿を見ていた私は、彼らの夫や父親が生きて帰っていたならば、彼らの嘆いてばかりの毎日は違っていたのか? と疑いを抱くようになった。そして、その夫や父が無事に復員していても彼らは別の嘆きを見つけ出しているだろう、と私は見定めた。その時には、長い年月が無為に過ぎ去っていた。

彼らのような人々は、たとえ人ひとりの人生を食い潰しても、その渇きがおさまることはなく、かえって渇きが増してしまう。
これはもう、現世利益の宗教では、手当てが不可能である。
そもそも、現世利益の宗教で救われる人なら、わざわざ宗教を奉じる必要はなく、政治(現実的な効果を見込める合理的努力)を行っていれば良いとも言える。
彼らの癒えない渇きに真に必要なのは、次のような逆説であるかもしれない。

だが我々は知っている。このイエスの何もできないこと、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿されていることを。
(『イエスの生涯』)

遠藤のこういう説明もまた、キリスト教徒の顰蹙を買うのか、或いは賛同されるのか、私にはよく分からない。
しかし、可能ならば自分も、この「秘儀」に通じてみたい。それは、理屈で分かるという事ではなく、直観的に、啓示に打たれるような出来事なのだろう。

遠藤の上の言葉を読むと、私は、論理の向こうに何かがヒラメクように思う。

口惜しいが、私にはそのヒラメクものをつかむことはできず、‘回心’には至れそうにない。
ただ私は、イエス・キリストを鼻先であしらったり、蹴っ飛ばしたりはできない。
『イエスの生涯』で遠藤が書いた、苦しむ人の側に一晩中座ってじっと手を握っているだけのイエス。そんなイエスに逆説を見ることが出来ない大人達を、反面教師にできたこと。それが、私が受け継いだ数少ない資産であるようだ。


[2011/10/31 05:00] | 遠藤周作の文学
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『キリストの誕生』(1978年,昭和53年,新潮社)は、遠藤周作自身の「あとがき」にあるように、「イエスがキリストになるまで」(『新潮』に連載)を加筆訂正したものである。

‘イエス’とは、人名(当時のパレスチナではごくありふれた名だった)。‘キリスト’とは‘救世主’のことであるから、この本は、一人のパレスチナ人‘イエス’が、どの様にして‘救世主’として高められていったのか、という問題を、当時の人々の心に分け入るようにして明らかにしたものだ。

11月も下旬となると、クリスマスケーキの予約にいざなう広告を手に、今年はどうしようかと迷う。キリスト教徒でない私がクリスマス商戦に乗せられるのもどうか、と我ながら興ざめな考えが、毎年のように頭に浮かぶ。それで、適度に消費行動をすることも社会貢献になる、とか目新しくもない言い訳を捻り出したりする。
やっぱり今年も、美しくデコレーションされたケーキを、目で楽しみ味わうのがよかろう。まだ切り分けてない丸ごと一台のケーキがテーブルに載るのは、クリスマス以外では、やっぱり人の誕生日くらいなのだし。

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それにしても、クリスチャンではない私にとって、キリスト教とは何とも理解しづらいものだ。しかも、日本的風土で生活してきた人間には、余計に解りにくいかもしれない。
遠藤の功績の1つは、そもそもキリスト教のどこが日本人にとって解りにくいのかを、食卓に珍味を1個1個並べるようにして、示してくれたことだろう。
何かを理解できないという際、どこが理解できないのかさえ理解できない場合がある。これはかなりの重症である。どこが解らないのかを理解することこそ、理解のための第一歩だ。

キリスト教が解りにくいのは、何よりまず、その‘落差’の為であろう。
祭壇に祀られているのは、十字架に架けられ頭を垂れている、ガリガリに痩せた神様の像である。(カトリック以外の事はややこしくなるので、今は考えない。)
とても崇拝の対象になりそうではない神様を信仰するという、‘落差’。(これを、私が以前の記事で書いた‘逆説’と言ってみてもいい。)

イエス像とは対照的に、日本人になじみ深い仏像の場合、みな割合にふくよかである。如何にも苦難を超越している様子だ。如来像などは、もう豊満と形容する以外にない、はち切れんばかりの福々しさだったりする。
そういう福徳の象徴のような神仏を崇拝する時、そこに‘落差’はない。人間の願いは、信仰の対象に向けてストレートに伸びて行き、引っ掛かってつまずくことがない。

とはいえ、イエスが十字架刑に処せられたという事実に躓くのは、日本人に限ったことでもない。イエスの直弟子でさえ、その事実につまずいて苦しんだ。そのことを、遠藤は『イエスの生涯』にも書いている。弟子達は皆、恐怖と保身のためにイエスを見捨てて逃げ出し、隠れていたのだという。
要するに、イエス亡き後の弟子達がその躓きから如何にして体勢を立て直したか、という事がキリスト教を理解する時の鍵になるのだ。

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そこで、革命的重要性を帯びてくるのが、使徒パウロ(西暦六〇年代に殉教)の神学である。パウロの「犠牲と生贄」の神学がどう生み出されたか、という問題が、『キリストの誕生』で叙述の中心になっているわけだ。(なお、遠藤はパウロをポーロと表記している。)

このパウロの神学について、私がここで生半可な理解を述べるのは良心が咎める。ただ、パウロの神学は、ユダヤ教の“律法”(『旧約聖書』)を越えようとする動機から生まれた。遠藤は次のようなパウロの言葉を引用している。

「律法がなければ、私は罪を知らなかった。律法が『むさぼるな』と命じなかったなら、私はむさぼりという罪を知らなかっただろう。だがその戒律ゆえに罪は私の心に浮かび、あらゆるむさぼりの心を起させた」(「ローマ人への手紙」七 - 七~八)

私は以前、これと似たような言葉に、哲学者の著書で出会ったことがあるが、著者も書名も忘れてしまった。こういう人間認識は、古く『新約聖書』にまで遡れるということだろう。
ユダヤ教に限らず、善く生きようとして“戒律”を守っていると、逆に自分の罪深さに気付いてしまう。“戒律”を守って神仏に近づこうとすると、かえって人間が神仏から遠い存在である事に気付く。(自分を誤魔化せば、自分は神だと思えるかもしれないが。)
ユダヤ教以外の古今東西の宗教でも、この『旧約聖書』的な限界に落ち込んで、一歩も出られないままの宗教も多い。

長崎ちゃんぽん

そこで、『旧約』を越えるためにパウロは、どう考えたのか。
「この時、ポーロは人間のどうにもならぬ神との分離に終止符をうったのが、キリストだと考えたのである。」(『キリストの誕生』)

さらに遠藤は、パウロの独自性を次のようにとらえてみせる。
「彼(パウロ)の独自性は人間が神の怒りをなだめるためだけの従来の生贄の意味を百八十度、転換させて、神が人間の罪をゆるすために、わが子「キリスト」を地上に送り人間の罪をすべて担わせたと主張した点にある。」

ここでまた、多くの日本人はつまずくだろう。
遠藤曰わく、
「我々日本人の宗教には生きた者の生命を生贄に捧げることを求めるような、すさまじい神はほとんどいなかったからである。」
「我々は客をもてなすように、神に初穂や食べものを捧げる民族である。」
(『キリストの誕生』)

この「客をもてなすように」というのは、面白い。日本人論として面白い。

ただ、○○論というものが、○○の全てをカバーできず、必ずこぼれ落ちるものがあるように、「すさまじい神」を求める日本人も相当に存在するのではないか、とも私は思う。
○○論を展開する時、それが○○の何割程度に当てはまっていれば、論としてOKなのか?
どんな目利きにも、見えない部分があり、想像力で補えない部分がある。○○論を受けとめる側にも、同様に死角がある。
要は、○○論を‘仮設’する事によって、問題の本質に切り込んでいければOKだろう。

「客をもてなすように」神仏に接している部分と、神仏との峻烈な関係を欲する部分と。人間は本来、その両方を持っていると思われる。
歴史的・社会的諸条件によって、どの部分が表に出るかが変わってくるのだ。現代の日本人は、「すさまじい神」を求めたくなるような、厳しい状況に入りつつあるのかもしれない。
これまでのところ、日本人が祝うクリスマスとは、「客」達の中に混じったキリストが大人しく末席に座っている、という感じだろうか。


現代日本人は、『旧約聖書』をどういう風に越えればいいのだろう。
クリスマスケーキでも食べて、ゆっくり考えるとしよう。


[2011/11/20 09:00] | 遠藤周作の文学
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西洋・東洋の枠組みをなぜ‘仮設’するか
小谷予志銘
遠藤が言う、東洋・西洋の枠組みへの疑問。また、私がその枠組みに単純に乗っかっているかのように受けとめたコメントがありましたので、補足しておきます。

確かに、聖母信仰などを取りあげれば、西洋人の宗教観にも、日本人の観音信仰とか土着神への信仰に近いものを見出す事ができます。遠藤の日本人論を、そういう指摘により覆すのは、実は簡単です。
しかし、○○論には必ず該当しない例もある事を認めた上で、あえて○○論を‘仮設’しているという、私の記事の趣旨をご理解下さい。

西洋・東洋の枠組みで簡単に論じられない、という指摘に対しては、例えば、岡田温司の『キリストの身体』(中公新書)を参照できます。

この本には、「美しいキリスト、醜いキリスト」という章があって、“キリストの「醜さ」のうちにこそむしろ、神の恩寵はあらわれる”という概念が指摘されてます。
この概念は、異教やユダヤ教には存在しない、“おそらくキリスト教に特有の感受性であるといえる”と、岡田は書いてます。
いわゆる「神性放棄」という概念で、イエスがへりくだり人間と同じものになったという考え方だそうで、やはり使徒パウロに由来するものだという事です。
とはいえ、キリスト教内部でも、初期の教父達以来、キリストが美しいか否かで議論が続いていたとのこと。特に、イタリア美術では、十字架上のキリストも含めて、「醜い」キリストが主流となることはなかったそうです。
この事例と共に、ルネサンスやマニエリスムの画家達が受難のキリストを美しく画いたことに対し、カトリックの聖職者達が批判していた例も、岡田温司は紹介しています。

要するに、「すさまじい神」に対する西洋人の態度も一様ではない事が、うかがえる訳です。

その上で敢えて私は、「我々は客をもてなすように、神に初穂や食べものを捧げる民族である。」という遠藤の日本人論に注目します。
この日本人論から、日本人・日本文化の美質と限界とを、共に考える事ができるからです。


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