アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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鶏の唐揚げではありません。

アンダギー

イトーヨーカ堂の沖縄フェアで買った、サーターアンダギー。
台所用品やら衣料品やらを買って、両手が一杯になっているところに、ふと眼に入った「オバアの味」というノボリ。
アンダギーを盛った大皿の側で、バンダナを頭に巻いたおじさんが、ブロック状の黒砂糖を鑿で小片に砕いている。
オォ!これは是非とも! と買って帰る。

さっそく、中学生の握り拳ほどもある大きな塊にかじり付くと…。固い……。
アンダギーに食い込んだ上下の歯を外すのに、大口を開けていたため、一苦労。(^◇^;)

気を取り直して、小口でちょこちょこ囓って食べると、外は何か繊維質のコシがあり、中はギュウギュウに詰まってモソモソしている。
甘すぎず、ご当地で食べたアンダギーに近い味だった。
(アンダギーに入ってたのは白砂糖だったみたい。
翌日、残りを食べると、しっとり柔らかくなっていた。時間をおいた方がいいのだろうか?)

ずっと以前に、コープさっぽろで買った、工場生産品を密封パックしました、みたいなアンダギーは、球状ドーナツと何が違うの? という感じだったが。

ドーナツ_convert_20120429163717

ファストフードのドーナツショップで売っているドーナツは、圧縮するとピンポン球ほどに小っちゃくなっちゃうんだろう。
スカスカすヵ? と突っ込みたくなるような、食べ応えのなさ。

そんなスカスカドーナツを、しきりに食べていた時期があった。
それも、リングドーナツばかりに執着して食べている私を見て、夫が「儀式みたいだな」とつぶやいた。
夫は、小説も詩も読まない。
私は、読めない本を積み上げてある。その山に積もった埃を払っても、開いて中を見ようとはしないが。妙に「儀式」めいた意味合いは、感じ取ったらしい。

120429_1540~01_0001


ある夜に見たひとつの夢をきっかけに、その「儀式」は始まった。

(。u_u。)(。u_u。)(。u_u。)ZZzz…(-_-)。。ooO((【・:*:・夢・:*:・】))

よく肥った女が、小上がりで寝ている。
私がつねっても叩いても、大イビキをかいて寝ている。
その女は、戦没者遺族というのが自分の存在証明になってしまっている。
大きな“かまってちゃん”だからか、やたら血色がいい。
私の勤めは、女をどうにかして家に送り返すことだった。
その家がどこなのか、分かっているような分からないような。
その前に、私はどうしても、リングドーナツを食べたいのだった。
小上がりは何故か、ドーナツショップの一角にある。
ドーナツショップのショーケースには、ツイストドーナツ、団子の串刺し状ドーナツ、棒状のチュロス、餡ドーナツ、カレーパン等、色々並んでいたが、リングドーナツだけは無かった。
「おたく、ドーナツショップのくせに、なんでリングドーナツ売ってないの?」
と、文句を言おうとしたら、目が覚めた。

。o○(°▽°)ハッ!!

ちょうどその頃、ユングの『元型論』を読んでいたせいで、私はそんな夢を見たらしい。
ユングに刺戟された私の無意識が、リング状のものを食っちまえ!
と、私の自我に指令したわけだ。

チョコ輪_convert_20120501182343

私の無意識は、リングドーナツを、ウロボロスに見立てたのである。
ウロボロス。つまり、自分のシッポを噛んで円環を形作ったヘビ。
始まりも終わりもない、同じことを延々繰り返す運動の象徴。
他者と交わって変性することもない、自己完結的な円環。
円環がぐるぐる回り始めると同時に、ぽっかりと空虚な穴が顕れる。

milk-リング_convert_20120501182503

ドーナツを買うともれなく穴が付いてくる、とジョークを飛ばしたのは、アメリカの……。誰だっけ?
ウロボロスを買うともれなく空洞が付いてくるwww


私はその円環を、空洞もろとも、モグモグ噛み、胃の腑に収めていた事になる。
何のために?
円環運動する“かまってちゃん”から自由になるための、精神の助走として。


(実は、北海道に移住する前にも、ベーグルばっかり食べていた時期がある。
そのころは、ユングは読んでなかったが。)

穴の開いた食べ物を食べ続けて、その後どうするか。
村上春樹のお勧めは……。
ツイストドーナツをナップサックに詰めて、深い穴に落ちると良いんだそうな。
なんのこっちゃ???

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[2012/05/01 22:20] | ユングを通して見る日本・「私」
[tag] 羊男のクリスマス 集合的無意識 循環性
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やけなかまじし3
当方のサーターアンダギー記事です↓

http://yakenakamajishi.blog90.fc2.com/blog-entry-282.html

Re: 浄化法
小谷予志銘
やけなかまじし3さんへ

濃いブラックコーヒーに、塩を小さじ1杯。
↓↓
http://yakenakamajishi.blog90.fc2.com/blog-entry-314.html

それに串刺しアンダギーを添えて出すと、起こるのはきっと、カタルシスです。

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河合隼雄の『母性社会日本の病理』は1976(昭和51)年9月に刊行されている。
この40年ほども前に書かれた本は、日本社会の根っこにある「病理」を考えるために、依然として有効だ。

人間の心の中には、「父性」と「母性」という対立原理が存在する。
河合隼雄は、日本という国は「母性」優位の心性を持つと見ていた。その点、基本的に日本は今も変わらない、と私は思う。

母性原理はその肯定的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑みこみ、しがみつきして、死に至らしめる面をもっている。
(『母性社会日本の病理』,講談社+α文庫,p20)

カール・グスタフ・ユングの高弟である、エーリッヒ・ノイマンを引用すると、「母性」とは上のように説明される。
「母性」原理は、全てものを良きにつけ悪しきにつけ包み込んでしまい、そこでは全てのものが絶対的な平等性を持つ。
この原理によって、上手くいく面と、ダメになってしまう面と、両方がある訳だ。

一方の「父性」原理とは、「すべてのものを切断し分割する」。「主体と客体、善と悪、上と下などに分類」する。
こういう働きの上に、ものを考える、ということが成り立つ。
だから、父性原理は、進化、建設的な面、を持つ。ただ、「切断し分割する」働きが強くでた場合、破壊に至らしめるという、やはり両面性を持つ。

母性社会_convert_20130618155053

こういう風に「父性」「母性」という言葉が使われると、女性蔑視の感じを抱かせるかもしれない。
学術用語にも、おそらくジェンダーの問題が潜んでいるから、不快感を与えるなら、別の語に変えたって良い。
「母性」原理を「ベタ塗り」原理に。「父性」原理を「描線」原理に名称変更したらいいのでは、と私は考える。

この世界は、アモルフな斑模様のある、カンバスである。
ベージュかなにかの絵の具を、カンバス一面に塗る働き。
まだら模様に沿ったり無視したりしながら、カンバスに線を引く働き。
この両方が、人間の心の中にあると考えれば。性差別のイヤらしさを捨象して、心理学を有効なツールに出来る。

実際、河合も書いているが、「母」は、「肉親としての母ではなく、自我を呑みこむものとしてのグレートマザー」(p34)である。
「母性」は、すでに現実の個人としての母親の機能をはるかに超えており、すべての母に共通に普遍的な無意識の中に存在するものと考えられるので、このような母なるものの元型をグレートマザーと呼び、個々の母親と区別して考える。(p60)

この「母なるもの」は、現実には、男性や父親の中にさえ、存在すると言ってよい。
戦前から、未だ死に絶えていない「家父長制」的な父親について、河合は書いている。
父親は、家長としての強さを絶対的に有していても、「それはあくまで母性原理の遂行者としての強さであって、父性原理の確立者ではなかった。(p61)」

これは、河合隼雄ならではの、卓見である。

こういう「母性」あるいは「ベタ塗り」原理に依っている男性については、色んな例を挙げることが出来よう。
私の曾祖父は、明治生まれの田舎の「家父長」だったが、話に伝わっている言動からして、「西太后」まがいの暴君だった(*゜∀゜)。
あるいは、平成の「ストーカー」男とは、まさに「母性」原理が荒れ狂っている人間のことだ。

「母性」「父性」の弊害と可能性を考える時、実際の「性別」は本当に意味がないと分かる。
私の実母と祖母は、河合流に言えば。
“母性原理を遂行する「家長」である曾祖父の、縮小コピー”である。(^0^)

白鳥・_convert_20130717172302

ひとりの人間が、絵の具で塗り込められた時、どうなるか?
その絵の具が、真っ黒であるか、真っ白であるか、あるいはバラ色であるか、によって、反応は当然違ってくる。
私の場合、たとえ、バラ色だろうが、マリンブルーであろうが、塗り込められる事、動きがとれなくなる状態自体を、快く思わない。
そういう点で私は、いかにも日本人らしい、という性質の人間ではない。
だから、今日までこうして生きてこられた。

けれど、墨をぶっかけられても、むしろ快感を抱くことの出来る、不思議な人間もいる。
日本人の場合、「場の原理」とか、「和」などという価値観によって、そうなってしまう人が少なからずいると思う。
「保守」と呼ばれる政治家というのは、「ベタ塗り」原理、「母性」原理に貫かれた、まさしく日本的な人々である。

そういう政治家によって「ベタ塗り」されて、これからの時代を、日本人は安穏に生きられるか?
一体どこが、どう、圧勝させるほど評価できるのか?
よく考察も吟味もせず(つまり、父性原理が後退していて)、なんとなく良さそう、と「付和雷同」する「世論」。
考察と吟味が不可欠な問題が、山積なのに・・・。
難を逃れ続けてきた人間の「嗅覚」をフルに働かせて、予言したい。

墨か、タールを塗られるでしょう・・・。

はずれたら、皆にとって幸い。
その時は、嘲笑してやって下さい。



[2013/07/17 18:13] | ユングを通して見る日本・「私」
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MASHIYUKI
感服いたしました。
ズバリと真を捉えており、

《「母性」原理を「ベタ塗り」原理に。「父性」原理を「描線」原理に名称変更したらいいのでは、と私は考える。》

この表現は、秀逸ですね~。
いや~、スカッとしました。

河合隼雄氏の『母性社会日本の病理』という本は読んだことはありませんが、

小谷さんの上記の一言で読んでみようと思いました。

やっぱり小谷さんのブログは、読むとワクワクしますねぇ~。知的好奇心が刺激されます。



Re: タイトルなし
小谷予志銘

MASHIYUKIさんへ

いよいよ選挙ですが。
ロイターの記事(http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE96H08V20130718)を読んでいて、安倍政権の今後について、企業の意識が割合まともなので、少し安心というか。右傾化の愚は企業の側も分かっているようで、日本人もそんなにバカじゃないと思ったり・・・。

「デフォルト」、「ガラポン」の末のファシズム・・・。
杞憂だったら良いんですが。
どうも、ああいう幼稚な人間がトップに立つと、ミスリードされるのが心配で。
自民党の政治家の中にも、もっと視野が広く見識のある政治家は、過去にいました。
安倍は選挙に勝ってしまえば、「釣った魚にはエサをやらない」という態度が、徐々に表に出て来ると思いますよ。

お身体、お大事になさってください。持つべきものは友ですねえ。
恢復しますよう、お祈りしています。



MASHIYUKI
小谷さんへ
参院選終わりましたが、私は安倍総理にリーダーシップがあるとは思っていないので、結局何もしない・できないまま、政権交代すると思いますねぇ。

企業のお偉方もその辺の事は分かっていて、取り敢えず下手なことはしないでという思いが、ロイターの記事のような結果になっているのではないでしょうか。 下手を打って問題がおこっても何もようせんでしょうし・・・

それから、私の身体の心配をしてくださり、ありがとうございます。
7/30に入院して8/1に手術です。どういう結果が出るか手術をしてみないことにはわかりませんが、頑張ります!

Re: タイトルなし
小谷予志銘
MASHIYUKIさんへ

当面は、公明党がブレーキ役になってくれそうですが、憲法を変えたいという安倍の執念はすごいですね。

9条のみを変えたいというのなら、私だって、分からなくもないんです。

国民主権や基本的人権の尊重の部分をいじろうとするのを、許してはいけない。
何故、そこを変えるのか?何故?
96条を先行改正するなんて、行き先の分からないバスに乗れと言われているのと同じ。
悪しきたくらみがあると疑わない方が、どうかしている。

「自分の国を自分で守るのは当然」と自民に追蹤する人々は、論点をロクに分かってないみたいですね。
阿部政権は「集団的自衛権の行使」をしたいわけです。つまり、日本の国土ではない所が攻撃された場合でも、日本軍を送り込みたい。
アメリカが攻撃されたから行け、と徴兵されて、賛成派の人は黙って行くんでしょうか?
尋ねてみたいです。
安倍の本性はファシストですよ。ファシストは、本当に優しげな紳士の外見で持って近づいてくるんです。
アベノミクスは撒き餌です。やり方が上手いですねえ。
世論を見ながら、言うことを微妙に変えたりして。

領土を守るべきではあるけど、じゃあ、中国と戦争して勝てるのか?
勇ましいことを言ってても、負けたら完全に取られますよ。沖縄本島までね!悪くすると九州の島も。
広大な国土と桁違いの人口を持つアメリカに挑んで、負けましたね。
中国に「尖閣はあきらめます」と言わせるために、都市をいくつ壊滅させる必要があるか?
その見積もり、シュミレーションをスルーしている人々に、「護憲は現実離れした理想」と言われる。
この食い違いを、何とかしたいですね。

憲法の問題については、これからもっと発信せねばなりません。
私の記事なんて、読んでくれる人は少ないけど。

手術頑張って下さいね。
そして、何を、どう、吟味せねばならないのか、発信して行きましょうよ。

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河合隼雄が「場の倫理」と呼んでいるものは、今も昔も、日本人の根っこに存在する。

「場の倫理」は、7月17日の記事で取りあげた、「母性原理」(言い換えれば「ベタ塗り」原理)に基づいている。

母性原理に基づく倫理観は、母の膝という場の中に存在する子どもたちの絶対的平等に価値をおくものである。それは換言すれば、与えられた「場」の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与えるものである。
(『母性社会日本の病理』)

「与えられた「場」の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与える」ことによって、恩恵を受ける面があることは否定しないが、平衡状態の維持とは、コピーを繰り返すようなものだから、時間と共に劣化していくのもまた、日本の現実と思われる。

「場の倫理」が悪く作用して最も弊害を生んでいるのは、「責任」の問題でだろう。
「責任」の問題を克服できないかぎり、日本は資産バブルは起こせても、社会としての再生は遠い。
(というか、行き着く先は、縮小コピーの挙げ句の無理心中だと思えて、私は最近悲観的だ。
当人達は自覚してないだろうが、無理心中したがっている人は、えてして声が大きい・・・。)

「場の倫理」というのは奇っ怪なもので、「責任が全体にかかってくるので、被害者もその責任の一端を担うことが必要となる」(p25)。
そうすると、責任の所在は限りなく曖昧になり。「日本人の無責任性」と批判を受ける事態が生じるのも、肯ける。

「賽の河原」などというのは、日本の俗信であるから、苛酷な「場の倫理」の代表例として見ることが出来る。
親に先立った幼子が「親不孝」の報いとして鬼に責められるという、恐ろしくグロテスクな信仰。(^_^;)
これは、さすがに平成の世では忘れられただろうが、そういう信仰を長らく保った心性までは、なかなか変わらないだろう。

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日本人がどんどん減少していく中で、遂にリセットとならないためには、意識的にきちんと線引きしていく態度が必要ではないか。
「個」が「個」として自立せず、「場」に依存しているままでは、必要な改革は出来ない。
(逆ギレする「女」のような「家父長」ではない、真の意味での「父性」原理を、模索することが必要だ。
「私は私、何がどうあっても私」、とはいかなる事態か?
「父」なるものとは、どういうものか?)

今問題となっている「体罰」についても、「影の補償性」という概念と「場の倫理」を合わせて、河合は大変鋭い指摘をしているが(p82-86)、個人の能力に応じてそれを生かす教育が出来ないという、日本の学校の不幸な事態についても、「場の倫理」が障害になっている事を明らかにしている(p86-89)。

「場」に依存した個人でしかないから、特定の学校とかクラスなどから外れることは「決定的敗北感」につながってしまう。
ただ、適性や能力の問題を「個人の責任において背負い処理」するためには、欧米的な「自我」が確立している必要がある。
日本では、「個」の尊重という事が、しばしば自分勝手な自己主張と同義になってしまう。
まして、「個」や「自我」についての浅薄な理解を、声を大にして唱える勢力が勢いづいている。
そんな「個」の確立が難しい中で、単純に能力差の問題を持ち出すとどうなるか・・・。
「ある個人を簡単に場から外す」ことを正当化するだけという、排除の論理になりかねない。
河合隼雄の洞察は、「日教組」風の、底の浅い平等主義とはレベルの違うものである。

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キリスト教が分からない日本人が欧米人の「自我」を理解できるはずもなく、また、欧米人と違っていて当然で、しかし、グローバリズムの中で立ち回らざるを得ない以上、線引きする思考を諦めずにやっていくしかない。
神話の時代や戦前に憧憬を抱く人は、自分の頭の中だけでやっていて欲しい。
間違っても、「個」を退かせながら「自助」を唱える、都合の良いスローガンを受け入れてはいけない。
そういう破綻した主張は、破綻したものとして、切って捨てなければならない。


よく考えてみれば、上手く線を引けない人々が、劣化する「場」の中で、「自虐」に陥っているのである。
「○○は無かった」と、「自虐」から決別したがっている人は、残念ながら、彼等の意に反して「自虐」に縛られている人々なのだ。
この問題に就いては、もう少し考えて、私なりに確信が持てたら記事にしたい。


[2013/08/05 20:30] | ユングを通して見る日本・「私」
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