アンチ-ロマンチシズムと文学との幸福な共存を謀ります。当面、「炭鉱のカナリア」になる決意をしました。第二次安倍政権の発足以来、国民は墨を塗られるだろうと予測していましたが、嫌な予感が現実になりつつあります。日本人の心性や「日本国憲法」の問題などを取り上げながら、自分の明日は自分で決めることの大切さを、訴えていきたいと思います。
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先日、書棚の中を点検した時に、奥の方から、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』が出てきた。
イヤなものを見つけてしまった、と私は一瞬思った。小説家の書いたものと違って、華がないというか、如何にも可愛げがなさそうだ。著者である橋川文三が悪いわけではない。橋川が論じているところの、「日本ロマン派」が可愛くないのである。

「日本ロマン派」とは、戦前にもてはやされた、いわゆる「ウルトラ・ナショナリストの文学グループ」である。橋川は、この一派を評して「精神史的異常現象」とまで書いている。
一派の内の亀井勝一郎などは、私は過去に読んで感心したことがないし、保田与重郎に至っては‘触らぬ神にたたりなし’といった感じだった。それで、橋川の本が自分の書棚にあることさえ、私は忘れていた。

しかし、見つけてしまうと、これが時期というものかな? と思った。

日本ロマン派

このブログでは、そもそも遠藤周作を中心的に取りあげつつ、手始めとして宗教について考えるつもりだった。
それが、懐かしく手にした伊藤整にハマってしまって、ついでに小林多喜二を再発見して……、と最初の思惑から明らかにズレてきている……。まあ、宗教の問題と、日本文学の古典的(?)作家のことを、並行して気の向くままに書けばいい、と思っていた矢先である。

この本と出会う時期がようやく来たのだ、と半ば観念する思いで『日本浪曼派批判序説』を読んだ。そして、このブログが何となく進んでいる方向は、あながち間違いでもないと感じる。
昭和8年(小林多喜二の死の年)前後の状況について、私は、伊藤整の叙述に吸引されたわけだった。
その上で橋川の著書を読んでみると、その昭和初年代・10年代とは、日本思想史・文学史の問題が集中的に現れている時代だと分かる。この時期に現れた日本社会の宿命的な‘錯誤’は、現在の日本にまで尾を引いている。


宗教の問題は、‘政治と宗教と文学’の関わりにおいて考えるべきだろう、と漠然と思っていた私の中で、何かがカチリと噛み合った。

こんな風に書くと随分エラそうだが、何のことはない、読んでみて解らないことだらけだった。
だから、このブログに「日本ロマン派」のことを書くのは、2012年の何時か? である。
多喜二ならぬ、生きのびた方の小林(秀雄)のことやら、‘第二『文学界』’のことやら、面白そうだが一筋縄ではいかない事がたくさん関係しているので。
(すみません。どうぞ気長にお付き合い下さい。ダイエットや禁煙をする人が、それを周囲に宣言して自分にプレッシャーをかけるように、私も自分の心積もりについて此処に書いておきます。)

少し以前に見たテレビ番組の事を思い出した。

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NHKが今年(2011年)の1月から3月にかけて放送した、『シリーズ 日本人はなぜ戦争へと向かったのか』について、橋川文三の著書との関連を思い、録画してあったのを再び見た。
当時の「大本営政府連絡会議」(内閣と軍の首脳で構成)のバカバカしさには、開いた口がふさがらない。特に、最終回の「開戦・リーダーたちの迷走」では、NHKも“驚くべきリーダーたちの実態が明らかになった”としているが、私は、驚愕を通り越して脱力してしまった。

NHKの取材で新たに見つかった、“当事者”達の証言テープ等から明らかになった事とは。
(1)「大本営政府連絡会議」が何一つ決められず重大案件を先送りしている間に、一つ一つ選択肢が失われていった事。
(2)開戦決定する以外にない状態に追いつめられ、“勝算なし”と分析済みの戦争を始めた事。
(3)彼らの頭に唯一あったのは、組織を存続させるための時間稼ぎ、“様子見”という考えだった事。

近衛文麿も東条英機も、言葉は悪いが、まるで‘能なし’、‘でくの坊’である。
「連絡会議」といっても、まともな議論などできない人間の集まりだったらしい。

選択肢を失った後の“決意なき開戦”……。もう、泣くしかない程に無惨だ。
国粋主義者達が偏った信条をかかげて狂信的に突っ走った、という方が、太平洋戦争の莫大な犠牲を考えた時、まだ救いようがあるかと思う。
あくまでも、アドルフ・ヒトラーのような者の方がチェックしやすいという意味で。


当時の国家指導者たちの‘不気味な空洞’と、大衆の側の‘不気味な空洞’が呼応するように、私は思う。
大衆の側の‘不気味な空洞’とは、「日本ロマン派」(特に保田与重郎)をもてはやした戦前・戦中の一般人達の心の空洞である。



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[2011/11/27 08:00] | 右翼・戦争・カルト
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最近、色んな場面で、自分のモチベーションが下がっているのを感じる。
疲労が蓄積しているせいもある。
この9月は、北海道らしくない残暑だった。
さすがに夏バテのようになっているところに、秋の冷気が降りてきて、気が緩んだせいもあろう。

しかし一番の原因は、どうも、新聞の一面に躍るヘッドラインが、毎朝いやでも眼に入る事らしい。
世事にうとくなってはいけないと、テレビのニュースを見ても、尖閣問題を見ない様には出来ない。

「核時代の森の隠遁者」というタイトルの、大江健三郎の小説がある。
私は、仕事でも現役を退き、インドア派を決め込んでいるのだから、既に「隠遁者」の様なものだが、この頃いっそう、憂鬱な隠者に憧れたりする。
気が付くと、色んな事にネガティブになってしまっており、これはアブナイ、と自分でも思う。

しかし、人間の欲望が剥き出しにされるのを見ていると、気が滅入る。
目を血走らせて他者を圧迫し、少しでも多く分捕ろうと躍起になっている姿の、なんと醜いこと。

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中国という国がちゃんとした近代国家に成熟するのに、あと何十年必要だろう?

どういう場合でも、“十把一絡げ”的な発想は、禁物だ。
おまえは……だ。
(おまえらは…。やつは…。やつらは…。)
と、いったい誰を指しているのか具体的にし得ないまま、敵意を抱き、英雄を気取るなら、そこら辺のエテ公にだって出来る。
私が、高校生の時に第一志望を断念させられて、文学に関わる様な選択をしたのは、消去法的にやったことであった。
それでも、未だに文学の周りをうろうろしているのは、文学的発想とは、“十把一絡げ”にする言動とは、本来最も遠いものだからだ。

そして、“十把一絡げ”にしたがる人間達によって、さんざんな目にあってきたからだ。
13億人を越えるとされる中国人だって、個々人のレベルも性向も、千差万別。

ただ、そう言って、平然としていられないものがある。
情報統制された、言論の自由のない政治体制。
これが一番困る。そんな社会は、内からの成熟を邪魔する。
人権活動家は投獄・幽閉される。
政治体制としては、恐怖政治といっても過言ではないし、社会構造も、誘拐や人身売買が後を絶たないほどの歪みを抱える。
日本の様な、欧米化された価値観で理解したつもりでいたら、しっぺ返しを食う。
iPadやiPhoneの商標権をめぐって、中国企業の言い分を通す中国の司法。
こちらの常識が通用しない世界である。

北朝鮮もだが、中国の共産党政権がいっそ崩壊してくれないか、と思ったりする。
ただそうなれば、隣国の日本も世界も、無傷ではいられないだろうから、それも恐ろしい。

ユキヒョウ_convert_20120926201724

今の中国がミャンマーなどに「南進」している様は、懲りもせず歴史は繰り返す、と思わせる。
戦前の日本や、アジアを植民地化していた頃のフランス・イギリスなどと、そっくりだ。
みな、内政が上手くいかず、国外に解決策を求めて進出したわけだ。
それを、“侵略”と呼ぶかどうかは意見が別れようが、例えばフランス領インドシナの歴史からも、事態の本質が見える。
どの歴史にも共通している教訓がある。
違う言語・違う文化を持った人々が既に居住している土地に、異質な者が入っていけば、ただでは済まない、ということだ。

国外はおろか、日本国内でも、アイヌ民族への影響は、未だに続いている。
本当に、ただでは済まない、後世に負の遺産を残す行為だと、北海道にいると実感することがある。
どんな大義名分があっても、それは入って行く側の都合であって、植民地はいずれ独立運動を起こし、“列強”も色んな犠牲を払ってきたのだ。
そういう事に懲りたのが、成熟を遂げた近代国家、ということで、今の日本はその仲間入りを果たして久しい。
ノーベル文学賞を受けた作家が三人目になるかもしれない文化大国に生まれて良かった。
『1Q84』が書店から撤去されることのない国で・・・。

近代国家の後追いをするコピー大国は。
どうしても同じ事をやってみないと、懲りないらしいが。
非合理的で得体のしれないエネルギーを、周囲に発散させているものは、他者を衰弱させること甚だしいのだ。



[2012/10/01 07:00] | 右翼・戦争・カルト
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Re: タイトルなし
小谷予志銘
Sさんへ

こちらこそありがとうございました。
書きたくなったら、また何か書いてください。


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参議院選挙では、大方の予想通り自民党が大勝したものの、これも予想通り公明党と合わせて、という形になり、少しほっとしている。
憲法を変えたがっている自民党に対し、「ブレーキ役」を公言する公明党に期待する以外に、私には選択肢がなかった。

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新興宗教の団体を支持母体とする政党。
そんな党にだけは投票しない、というのが、私の原理原則なので、安倍政権が発足してからというもの、いずれは決めねばならないとずっと悩んでいた。
私の一票が当落を左右するはずもないが、普段の態度との一貫性という点で、こだわらない訳にはいかなかった。
「何でこんな酷い目にあうのか?」「こういう事態を作り出している元凶は何か?」
と、悩んで悩んで、悩みまくってきたのだから。

投票用紙を渡されてもまだ決めかねていたが、今度だけは節を曲げるしかない、と公明党に票を入れた。

私は、「創価学会」がどういう団体なのか、その中にいて酷い目にあった「霊友会」ほどには、知らない。
「日蓮主義」を都合の良いように継ぎはぎするという事は、警戒すべき事である。
その点では、両者は似たり寄ったりで、「要注意」だと思う。
そういう団体が支持している政党に頼らざるを得ない、というのは、末期的である。

安倍政権が、その公明党を振り切る、という事態になるかならないか、現時点では分からないが・・・。
悪くすると、政治面でも経済面でも、日本は「暗黒の時代」に入るかもしれない。

「円安」期待は、たぶん、アベクロの思い通りにならないだろう。
一時的に105円だの110円だのにタッチすることはあっても、そのレベルに止まるのはかなり難しそうだ。
103円程度で大雪崩を起こしている間は、アメリカの輸出産業も我慢しているだろうが、彼等がアメリカ政府に圧力をかけ出すやいなや、投資家達は手仕舞いに向かうだろう。(そういう動きは、すでにあった。)
中国や欧州で、危機の予兆があると、皆が「円買い」に走る。
「円」が、「相対的」に安全な資産と評価されているからだ。
せっかくそんな風に評価されているものを、無理にねじ曲げようとしても、引力によって落下するように容易に、「円高」に振れてしまう。

「消費税」を増税するかどうかも判断は難しく、「庶民」にとって、とりあえずは不利であること、明白だ。
しかし、増税する以外にないのだろう。
麻生太郎は、安倍よりは経済に通じているようで、「マーケット」の反応を気にしている。
日本は財政再建をする気があるのか?と疑われると、「日本国債」が危ないことになるだろうと。
円相場や株価にばかり気を取られる向きがあるが、「扇のかなめ」は国債である。

「マーケット」なんて外国人投資家達の顔色をうかがって、私たち日本人の生活が左右されて良いのか?
と、納得できない人もいるかもしれない。
けれど、「異次元金融緩和」とはそういうものであり、「輪転機をクルクル回して」と言う安倍が選挙で勝って以来、日本の政治経済と「マーケット」とは、「一蓮托生」の関係に入ったのである。
ジェットコースターのように「円」の価値が乱高下し、一流企業の株までも「仕手株」と化した状況は、ファンドの連中が待望していたものだ。

ただ、「マーケット」の顔色をうかがうことは、悪いことばかりではなく、意外に、私達小市民はそれによって救われるかもしれない。

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戦争は、不景気を吹き飛ばすための強力な手段ともいえるが、穏健な経済活動を望む投資家が多いのだろう。
安倍政権の「右傾化」もまた、投資家達の懸念材料だ。

前の記事に対する、MASHIYUKIさんからのコメントに、私の返事として書いたのだが・・・。

中国と戦争になった場合、勝算はどのくらいあるのか、それこそ「現実離れした理想」ではなく、リアリズムでもって、はじき出してみるがいい。

中国が戦勝国になったら、尖閣だけ渡せば済むだろうか?
沖縄本島まで取られないだろうか?

ではどういう事態になれば、日本が中国に勝って、「尖閣は諦めます」と中国に言わせることが出来るか?
精鋭パラシュート部隊が降下して、上海でも制圧するか?
東シナ海で、中国戦艦と中国戦闘機を、どのくらい撃破すればいいのか?
そんなことで、日中どちらも引き下がるはずはなく、都市を幾つか壊滅させるところまで進む必要があるだろう。
広島と長崎が壊滅したように・・・。

そうやって、広い国土と膨大な人口を持つ中国を降参させることが、本当に出来るだろうか?
日本の国土は狭く、人口は減少している。
青年層は特に少なく、戦争でまた減ってしまうのか?
おまけに、日本の狭い国土には、原発が乱立している。
ミサイルが一発当たれば、核兵器を使わずとも、放射能の害から逃れられない日本人が、大量に発生する。
「国を守るために戦うのが当然!権利を言うなら義務を果たせ!」と勇ましい事を言うのは、簡単だ。
そう主張するならば、戦争が始まる前に、日本中の原発を片付けるよう、世論は政府に圧力をかけるべきだろう。
停止中のものはもちろん、稼働しているものは止め、核物質が飛散しないよう、地中深くに埋める必要があるのではないか?


理想ではない現実というのは、後になって「知らなかった」では済まないほど情け容赦のないものだ。

「You Tube」にアップされている政治家の発言を聞いてみて欲しい。
すぐに消されてしまうかもしれない。
「文脈を無視」している、「揚げ足を取っている」と、擁護してあげるほど、値打ちの有る内容だろうか?
↓↓
軍法会議


[2013/07/26 20:33] | 右翼・戦争・カルト
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